まとまりある記事になるかどうかわからないけど。
今の精神科にお世話になって、確か27年になる。
人生の半分、とは言わないけど、とても長い時間を先生に支えてもらって過ごした。
その先生の口から、引退という言葉が出るようになった。
今すぐではないけれど、そういう日が遠からず訪れるということを、私は考えなくてはならなくなった。
若い頃、生きていることが苦痛でしかなかった私に、先生は、生き続けている限り支え見守り応援し続けると言ってくれた。
だから生きていきましょう、と。
そしてここまで来た。
生き続けている限り支え続ける、その言葉に無理があることに、私は気づかざるを得なくなった。
生き続けている限り、は、ありえない。
無理がある。
家族でもない、一患者の私だ。
その言葉から何十年が経ち、先生も(私も)年齢を重ね、高齢と言われる域に達してきている。
先生も、仕事から解放されていい時期になる。
引退と聞いて、感謝と労いの言葉がすぐに頭に浮かんでいいはずだ。
けど。
私はこだわり続けている。
支え続けると言ってくれた、あの頃の先生の言葉に。
どうしたらいいんだよ。
ひとりぼっちになって、どうやって生きていけばいいんだよ。
冷静に考えれば、ひとりぼっちではないことはわかる。
家族もいる。心の深いところでの友達もいる。
でも、先生は私の心の杖だった。
がんばれば杖がなくても歩いていけるのだろうか。
というか、杖がなくても歩ける私になるのが正しい在り方なのだ。
わかっている。
この人がいるからがんばれる、そういう人が誰にでもいるでしょう? それがたまたまお医者さんだったからって、何がいけないの? 何が違うの?
私は先生にそう言った。
でもね、それはやっぱり違うんだよ、ということを、本当は私もわかっているんだ。
お医者さんと患者、セラピストとクライエント、そういう関係は、やっぱり特殊なんだよね。
何故なら、お医者さんは、セラピストは、どこまでも支持的で投げ出さないから。
そういう意味で、対等とは言えない。
関係に、保証があるから。
普通の、対等な当たり前の人間関係の中で、生きていけるようにならなくちゃいけないんだよ。
そう、わかっている。
いろんなことがね、頭ではよくわかっているんだ。
でもさ、この気持ちを私は、どうしたらいいんだ。
ああ、やっぱり記事としてはまとまらないね。
独り言、許してください。
ものすごく寂しい。心細い。
迷子になってしまった。
ここからどう立ち上がって、どこを目指していくの?
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