今日一日だけ生きてみよう

卯月タラの日々のつぶやき

赤いペン。

2011-03-29 21:57:43 | タラの日記

先週土曜日、無事カウンセリングに行きました。
思ったこと、考えていたこと、感じていたこと(震災について)を思いっきり先生にぶちまけて、楽になるかと思ったら、帰りにものすごい自己嫌悪に陥ってしまい、「何様のつもりだ」「おまえが死ねばよかったのに」という思いが頭をぐるぐるした。
何もわからないくせに、私はえらそうなことを言って、無自覚に人を傷つけている。
それは今に始まったことではないのだろう。
未熟者が、恥を知れ、と思った。
こういうときに、人間としての質の低さが露呈するのだと思った。
しばらくもう何も言いたくない。人を責めるなと言った私が、結果的に人を責めていた。嫌なやつだ。

翌日の夕方、1日遅れて母の誕生会(?)を、多摩センターのファミレスでした。
息子、娘、母、私の4人での食事は、去年の春の娘の入学祝い以来だから1年ぶり。
母に桜色のきれいなカバーに入った小さなルーペをプレゼントした。
それから、「ラジオがない」と言っていたので、この間私が手に入れることができた小型のラジオをあげた。あと、ソーラー式のケータイ充電器、小さなライト、ホイッスル(瓦礫の下から救助を求められるように)などなど。
どんなに心細いかと思ってそれらを渡したのだけど、母はなんだか私より数段元気で、震災の5日後ぐらいには近所のお友達とカラオケに行っていたという。
「私は戦時中を生き延びてきたからね。若い子たちはかわいそう。こんな体験したことないものね」と話していた。
「ありがとう。すごくいい誕生日でうれしかった!」と笑顔満面の母と、駅で別れた。
とりあえずホッとした。
家に着いたらもう何もできなかった。

昨日は一日、なんだかイライラしたり悲しくなったり、不安定で辛くて、ずっとフトンの中にいた。

今日、銀行の用事があって、ネットですむはずだったのが私が「第3認証」という重要な番号の印刷されてた紙を捨ててしまったことが発覚。
急遽、多摩センター支店に行って手続きするハメに。
おまけに慌ててたのか眠かったせいか、届出印と違うハンコを持っていってしまい、銀行であとはハンコだけという時になって「あ、ハンコ間違えた!」と叫んだら、銀行の人がさすがに「嘘!」と叫んでた。ショック。こういう間違いはしないタイプだと自負していたのに。
でも、突っ伏す私に銀行の人は「大丈夫。届出印を今あるハンコに変更する手続きをしましょう。そうすれば出直さなくても手続きできます」とやさしく言ってくれて、書類を持ってきてくれた。
混雑した銀行の閉店間際の忙しい時にこんなバカな客に仕事を増やされ、それでも笑顔で対応してくれた担当者さんに感謝。

昨夜3時間しか眠れていなかったのでふらふらでなんだか気持ち悪かったんだけど、銀行だけで帰るのも寂しくて、何か気が晴れる可愛いものが見たいと思い、雑貨屋さんと文具店に寄った。
照明はもちろん落としてあり、お客さんも少なかったけど、雑貨を見て少し和んだ。
文具店で、ちょっと高級な(子ども向けでない)キティちゃんの赤いペンを見つけた。
今朝、実はカウンセリングスクールから「クラスに登録されました。4月17日から始まります」という通知が来ていたのを思い出し、自分への入学祝に買ってもいいかな?と迷った末に、店員さんにショーケースから出してもらった。
キティちゃんに励まされる気がして、「これください」と言った。
店員さん、包んでくれながら「じつはこれを作ってた工場が北関東にあったんです…今はもう、これだけなんですよ」と話してくれた。
これを作ってくれた人たち、今、どうしているのだろう。工場も流されてしまったのか。
胸が苦しくなった。
ごめんなさい。
被災地の方たち、何もできなくてごめんなさい。
私はこのペンを使って一生懸命勉強します。3.11のことをずっと忘れないで、復興のためにできることを探しながら、勉強して少しでも強く大きな人に成長します。
ちょっとでも、力になれますように。

最近、また情緒不安定な私です。
外に出ると、「馬鹿野郎! 死ね!」とわめき散らしてしまいそうになって、怖いです。
人を殴る夢を見たりします。
ちゃぶ台返しをしたくなります。
自分を抑えるのが大変です。
私、何を考えているの?
なんだかもう、悲しくて、何かが悔しくて、言葉にならないです。


温かい目、温かい手を。

2011-03-24 22:48:03 | タラの日記

ようこそ、卯月です。
テレビのニュースを見なくなった代わりに、ここ3日ほどパソコンに張り付いて、ネット上をあちこちうろうろしていました。

今回の震災、心に病のある人たちも被災者の中にはいるはず。
震災のショックで新たに心に変調をきたす人ももちろん多いと思われる。
また、被災地外の人でも、精神的にダメージを受けてバランスを崩す人もいると思う。
みんな、どうしているのか。
手は差し伸べられているのか。
それが知りたかった。

震災で影響を(多少にかかわらず)受けて、心のバランスを崩している人たちとつながりたい、と思ってmixiでコミュを探したりしたけど、見つからなかった。自分で作るだけの元気が出ないでいる。

今、生きるか死ぬかの厳しい環境におかれている被災者の方たちの心のケアはどうなっている?と調べた。
今は、水と食料と暖房がとにかく必要、それがなければ不安やストレスは募るばかりだから、まずは衣食住を安定させること、それが心のケアにつながる、今はその段階なのだと知った。
臨床心理士会のHPに今日、行ってみて、被災者やその人たちを支援する人たちのための電話相談窓口が開設されているのを知り、また、各都道府県の臨床心理士さんの活躍を支えるサポートセンターみたいなのが東京にできた(必要ならグループで現地に赴いたりするんだったような…うろ覚え)ということも知った。
心理の専門家が、動いてくれている、とわかった。

首都圏の心療内科でも、「ずっと症状が安定していた患者さんの状態が悪化した」「健康だった人が外に出られなくなった」というようなことが起きている、という。
受診できる環境にあるなら、日常生活に支障のあるほどの不安や症状が出ている人は精神科や心療内科に相談に行ってほしい。
でも、それもままならない状況の人もいるんだろうな。

自分が生き残ったこと、自分が安全に暮らしていることに強い罪悪感を感じる人たちもいるという(私もそうだけど)。
いろいろ情報をあさっていて(いらん情報もたくさんあった。不快になるようなものもあった)思ったんだけど、被災された方の大変さを思うあまり、それ以外の人に対する目が厳しくなりすぎていないか。
「家を流された」という人に、「命が助かったのだからがんばれ」と言う人がいる。
「被災地に家族を残して入社式に行くのが不安」という人に、「職を失った人も大勢いる。恵まれている」と言う人がいる。
「水道水の放射能が心配」という人に、「水が出るだけいいじゃないか」と言う人がいる。
もっと苛酷な状況にある人がいる、それはわかる。
でも、みんながそれぞれに不安でいるときに、人を責めるのはやめないか。
恵まれてるんだからがんばれ、と言われれば、つらい気持ちの持って行き場がなくなって、自分の気持ちにフタをすることになる。
誰かと比べることはない、つらいものはつらいんだと思わなければ、健康でなどいられない。
健康でなければ、生き延びたことへの感謝の気持ちだって持ちにくい。

被災地の方たちにできる限りのことをする。
被災地から遠く離れたところで、ニュースを見て心が病んでしまった人にも、同じように、温かい目で、温かい手を差し伸べたい。

あ、東京でも乳幼児に水道水を飲ませないで、と昨日言ってたけど、今日はもう基準値を下回った様子。
小さい子を持つママたち、ほんとに大変だと思う。水の買占めはしないで、妊婦さんや若いママたちに回そう。
「子どもを不安にさせてはいけない」と元気に振る舞うママたちにも、温かい支援を。


寝た。

2011-03-20 22:58:03 | タラの日記

ようこそ、卯月です。
この土日は計画停電がないので、精神的に楽です。

昨日、いつもどおり、カウンセリングに行ってきました。
計画停電の時間帯はクリニックのあるビル自体への出入りができなくなるとのことで、停電中は先生もスタッフのみなさんもビルから出ていて、診療はその間ストップしているそうです。
土曜日は大丈夫だと思うけど、来週もし停電していたら会えないので、薬を一応2週間分出しますね、と言われて、すごく心細くなったけど、平日の停電で先生に会えないでいる患者さんも多いんだと思うと、こうして今日、話を聞いてもらえてよかった、ありがたいと思った。

自分のことでいっぱいいっぱいで、助ける側にいるのに何もできない。怖くて不安で眠れなくて日常生活もままならない。というような泣き言を、先生に聞いてもらった。
大きな地震を体験した後で、余震も続くし、電車が止まったりネットスーパーが使えなくなったりお店が閉まってたり、毎日停電停電とおどかされて、不安になるのは当たり前です、あなたも被害を受けているんです、自分を責めてはいけない、と先生は言ってくれました。
そして、ニュースは見ないで音楽を聴いたりして過ごしましょう、必要な情報は東京電力や市役所のHPで確認することにしましょう、とも。
眠剤、安定剤、吐き気止めを足してくれました。

帰りにビックカメラに寄ったらすごく混んでた。単1・単2の電池はやっぱり売り切れてた。
とりあえず残りわずかの単3・単4電池を1パックずつと、小さいラジオ(これも最後の1つだった)を買った。
ほかのお店が照明をすごく落として営業している中、ビックカメラはものすごく明るくまぶしくてビックリした。
パン屋さんで何日かぶりに食パンと再会。これも最後の1斤だった。
あとは、スーパーで食料品を買った。牛乳がなかった以外は、ほしいものはだいたい買えた。

眠剤をのんで爆睡してる間にすごい地震が来たら?と思ったけど、もう疲れが限界だったので、とにかく休みたくて、昨夜は増量された眠剤をそのままのんだ。
今日昼過ぎまで眠って、ゴハンを作って食べて、「今日は停電もないし、食料も昨日買ったのでしのげる」と思ったら、そのまままた夕方まで寝てしまった。
寝た、という感覚は久しぶりのもの。

夜、母から電話。「26日、ヒマ?」という。26日は母の誕生日だ。
「うーん、昼間はダメ。急ぎの用事?」と聞くと、「誕生日だから一緒にゴハン食べてほしい。多摩センターまで行くから。子どもたちも一緒に」と言う。
こんなときに外食する気になれない、と思ったけど、いろいろ考えて、夕ご飯を外で一緒に食べることにした。
母も一人で多分、不安や不便で心細い思いもしているんだろう。最初は「よくこんな非常時に誕生日とか言ってられるな」と思ったけど、こんなときだからこそ、子どもたちと一緒にお祝いしてあげるのがいいのかもしれない。

今日は「ガキ使」を見て、久しぶりに笑った。笑えた。
がんばろう。


情けない。

2011-03-17 23:32:59 | タラの日記

ようこそ、卯月です。
お昼過ぎから計画停電の予定だったので午前11時に目覚ましで起きて、3人で朝ご飯を食べた。
予定の時間になっても、今日も停電はなかった。
「昨日と同じ地区で停電を実施」と、市役所の車がマイクで言いながら走っていた。
連日停電になってるところも、同じ市内にあるのだ。それなら持ち回りにすればいいのに、と思う。

午後4時近く、停電の終わる時間に合わせて、娘が買い物に行ってくれた。
駅前のスーパーは閉まっていて、駅と反対方向のスーパーまで行ったと言って帰ってきた。
欠品もあったけど、混雑もなく、みんな普通に買い物をしていた、とのこと。
少し安心した。

私がこんなに不安なのは、多分、人と接していないからなんだろう。家にこもりきりで怖いニュースをぶっ通しで見ていて、被災地以外の人たちが(多少の不便はあっても)普通に暮らしているのをこの目で見ていないせいなんだろう、と今日になって思った。
といって、外に出る気力もない。
とりあえずテレビは、通常の番組が始まっているので、気が紛れるものを見ている。

昨夜、かのこさんのブログにmixiに寄せられた心温まるお話がたくさん転載されているのを見てうれしくなり、何か月ぶりかでmixiにログインしてみた。
多くの人が、地震後の混乱の中で見知らぬ人から受けた善意、やさしさ、心の触れ合いの体験を寄せていた。日本も捨てたもんじゃない、とみんな書いていた。
殺伐とした様子を想像していたので、思いやりの気持ちを忘れない人たちがたくさんいるのを知って、救われた気がした。
この情報をくれたかのこさんに感謝します。

まだ余震があって、頭がぐらぐらする。
大地震から明日で1週間。たった1週間前までの平安が思い出せない。
世界が変わってしまった気がする。
被災しながらも避難所のみんなにおにぎりを握っている人がいるのに、私は日常生活もまともに送れない。情けない。


がんばれない。

2011-03-16 23:53:23 | タラの日記

ようこそ、卯月です。
昨夜の情報では、小田急線は全線で運休、とのことだったけど、お昼過ぎに起きると(昼夜逆転しつつある)、息子が出かける支度をしていた。
新百合ヶ丘(電車で15分ほどの街)に、予約してあったものを受け取りに行くという。
「だって電車止まってるでしょ?」と聞くと、小田原方面はダメみたいだけど新百合ヶ丘までは通じているということだった。
少し安心した。

体調が悪くて起きていられず、夕方まで寝ていたら、息子が帰ってきて「はい、これ」と私の大好きなコリラックマのぬいぐるみ型ペンケース、指人形などを渡してくれた。私が元気になるようにと買ってくれたのだ。「ありがとう」と受け取った。

市内でも計画停電が実施された地区とされなかった地区とあるようだ。私の住んでいるところは、今日も電気は止まらなかった。
ときどき余震があって、そのたびに頭痛がひどくなる。

子どもたちは思ったより元気だし私より落ち着いている。
私がいちばんしっかりしなくちゃならないのに、いちばんまいっている。


疲弊。

2011-03-16 00:53:15 | タラの日記

ようこそ、卯月です。
今度は静岡で震度6を超える地震がありました。東京も揺れました。
静岡の被害状況はまだ詳しくわかりません。今のところ死者が出たというニュースはないけど、夜が明けたら被害が広がっているかも、と心配です。

昨夜、よく眠れなくて、変に興奮していました。
2時間ほどしか寝ていなかったので、今日(もう昨日だけど)はしんどくて、なんだか気持ちが悪くて、ずっと横になっていました。
お腹がすくと吐き気がするので、食べるようにはしているのだけど、食べても気持ち悪くて。
3時間ほど前にようやく起きてドラマを見ているところに静岡の地震があって、それからずっと頭ががんがんしています。

精神的にすごくきつい要因はいくつかある。
余震が怖い。福島原発がどうなるのか不安。被災地の様子の悲惨さが、他人事に思えないこと。
食品や日用品が手に入りにくくなっていること。
そして、意外かもしれないけど、電車が止まっていることが、ものすごいストレスになっている。
クルマのない我が家は、電車が止まるとどこにも行けない。バスもないに等しいぐらいしか通っていない。移動の手段がない、と思うだけで、ものすごい恐怖を感じている。
不安でたまらない。

テレビを見ていると、怖いニュースばかりやっている。
なのに見ていないと不安でいられない。
しっかりしなくちゃ、こういうときだからこそ、パニックになってはいけない、と思うのに。


市役所へ。

2011-03-14 23:49:46 | タラの日記

ようこそ、卯月です。
計画停電の予定だったのと、買い物や市役所の用事などがあったため緊張していて、昨夜はよく眠れなかった。
結局、今日の停電は見送られたのだけど、明日はあるかもしれない。
とりあえず、電気がついているのはありがたいことだと思った。

午後、郵便局に行く用事のあった息子が、ついでに買い物してきてくれるといって、いろいろ食料品を買ってきてくれた。パンやカップ麺の類は何もなかったと言っていた。パンはなくてもご飯はあるし、カップ麺も家にいつもあるので、今はそれほど困らないけど、この状況がいつまで続くのかわからないというのが不安。

所得税の確定申告の締切りが明日に迫っていて、もう申告書はできあがっていたのだけど、家を売ったことで住民票の添付が必要なので、市役所出張窓口に出しに行ったときにそこで住民票をとって添付すればいいやと軽く考えて、3時半頃に家を出た。
電車が動いていないので、1時間に1~2本しかない市内のミニバスを使って隣の駅に出て、出張所のあるビルに行くと、「2~9階は休業中」と張り紙がしてあった(出張所は8階なのだ)。「市役所にご用の方は本庁へ」とあり、思わず「嘘だろ~!」と口から出た。
こんなときに、市役所の出張所が閉まってるって何だよ?
バスターミナルに走って戻り、市役所を通るバスを待つ。4時15分のバスに乗り、着いたのが4時半。
出張所が閉まってるせいで、市役所は大混雑で、めまいがした。住民票なんて、いつもは出張所ですぐに取れるのに。
23人待ちで、その後もどんどん人が訪れてきていた。
それでも市役所の人の応対が速くて、5時に住民票が取れた。
が、走って別棟の申告書受付所に行くと5時2分で、係のおじさんが一人で片づけをしながら、「今日はもう締めました」と言う。
「もう片づけちゃったので、今日は受け付けできません」と冷たく言われて泣きそうになりながら、「出張所に行ったら閉まってて、慌ててバスに乗ってここまで来たんですが、混んでいて、添付する住民票を取るのにすごく時間がかかって今になっちゃったんです。明日出直さないとダメなんですか?」と粘ってみた。
おじさんは迷惑そうに、「ちぇっ、困るんだよな、こういうの。申告書はできあがってる? 出すだけなの? じゃあちょっと待ってて」と、ぶつぶつ言いながら2階に上がって、住所氏名などをひかえるための用紙を持ってきてくれた。
「まあこんな状況だし、じゃあ受け付けますよ。住所と名前を書いて」と言われて書いて、申告書を渡して、「無理を言ってすみません、ありがとうございます」と頭を下げたけど、気分が悪くて吐きそうだった。

バスを乗り継いで帰ると、頭がぐらぐらして倒れそうだった。
苦手な市役所、急な予定変更、バス、混雑。
このところの精神的な疲労にそれが重なって、「被災地の方たちのストレスはこんな生易しいものじゃないだろう、しっかりしろ、自分!」と思いつつも、自分の限界を感じた。
万年床に倒れ込んで、知らない間に2時間ほどが過ぎていた。眠っていたらしい。

元気が出ないけど、不安でパソコンを開けている。節電しなくちゃいけないのに。
住んでいる場所がずれていただけで、こうして安全に暮らしている。おびただしい数の犠牲者が出たのに。

本当に、早くみんなの安全と安心が確保されますように。
被災地の方々が、生きる力を持ち続けられますように。


時間が経つにつれて。

2011-03-14 00:20:34 | タラの日記

ようこそ、卯月です。
大地震から2日。
気分が悪くて夕方まで寝ていた。
ニュースを見ている。
福島原発で爆発があったため、原発の運転が止まり、電力不足が起きている。
私の住んでいる地域も、明日は朝9時20分から昼の1時までと、午後6時20分から10時まで、計画停電の予定だ。
夜は暗いし、暖房も使えないし、心細い。
そろそろ食料もなくなってきてて、明日は買い物に行かなくちゃ。

テレビで被災者の方々の涙をたくさん見た。津波に呑み込まれた町の惨状を見た。
避難所の大人たちの恐怖とイライラが子どもたちに伝わり、夜泣きや赤ちゃん返りが起きている、とネットで知った。
つらい。
ようやくさっき、ネットで募金をしたけど、ほかに何ができるか思い浮かばない。

3日以内に震度6の余震が起きる可能性70%と聞いて、それでまた被害が広がるのだろうか、東京も揺れるのだろうか、と不安でいっぱいだ。
助ける側に回らなくちゃと思うのに、自分の恐怖でいっぱいいっぱいになっている。
最初の大きな揺れが起きたとき、きっとこれで自分は死ぬんだと思った。そのときはそれでもいいやと思った。
緊張が続いていて、昨日はまだ元気だった。
今日(ほんとはもう日付がかわって昨日になっているが)になって、少し緊張がとけたのと、何が起こったのかがわかってきて、精神的にすごくまいっている。

被災者の方々も、救助・支援に当たっている方々も、みんながんばっている。
応援したいのに、その力が出ない。


地震から一日。

2011-03-13 01:00:52 | タラの日記

ようこそ、卯月です。
12日の朝、クリニックと学校に予定の確認の電話を入れてみた。
クリニックは予定通り行って大丈夫とのことだったけれど、学校は「こんな状況なので、説明会は延期または中止します。後日、またご連絡します」ということだった。
こんな中、都心に出るのは怖いと思っていたので、正直ホッとした。

小田急多摩線は、各駅停車が20分に1本の間隔でスピードを抑えて運行していた。
隣の駅まで行って、そこからバス。バスは通常通りに動いていた。

クリニックで地震の話をした。
先生は怖くなかったの?と聞いたら、「そりゃ怖いですよ。でもすぐに震源地が宮城だとわかったので、命に別条はないなと思いました」と言っていた。それでも地震の後、夜寝るまで頭がぐらぐらしていて、地震のときの記憶が残っていた、とのこと。
震源地が離れているからと冷静に考えられたのはすごい。
私なんて、このまま東京も壊滅するかもと、夜中までテレビにかじりついていた。
寝不足と余震の気持ち悪さでくたくただったけど、先生に「怖かった」と言えてよかった。
先生も怖かったんだ、と分かち合えた気がして、少し楽になった。

乗り物酔いのような気分の悪さはまだ治らない。
昨日より今日のほうが、疲れている分、ストレスが強い気がする。
帰ってからもテレビのニュースばかり見ている。
自分も家族も無事で、家も壊れていなくてライフラインも今のところ大丈夫な私でも、こんなに気が休まらず、ショックとストレスでぐったりしているのだから、被災者の方々のダメージは計り知れないものがあると思う。
みなさんの不安や悲しみが、少しでも早く和らぐよう、安心できる暮らしが取り戻せるように、心から祈ります。

今日はゆっくり休もう。


大地震にショック。

2011-03-12 01:03:57 | タラの日記

ようこそ、卯月です。
11日金曜の午後、東北・関東で大きな地震がありました。
多くの被害が出た様子、ニュースを見てあらためて驚いています。
亡くなられた方のご冥福をお祈りします。
怪我をされた方、家を失った方、お見舞い申し上げます。
首都圏でも一時は電車が全部止まってしまい、帰宅できない人が駅にあふれていました。

私は地震のとき、自宅のリビングに子どもたちと3人でいて、すぐにおさまるだろうと思っていたのだけど、揺れは予想外に激しくなり、あちこちで物が落ちる音、家具が揺れる様子に「建物が倒壊するかも。このまま死ぬかも」とすくんでしまい、立つこともできなかった。
子どもたちもビックリして動けなかった。
すごく長い時間に感じた。怖かった、と思ったのはずいぶん経ってからで、大きな揺れの間はただ茫然と「世界の終わり」のようなものを感じていた。
こんなふうに人生って終わるんだな、みたいな。

実家が神奈川にあり、地盤の弱いところに立っているボロ家で母が一人で住んでいるので、大きな揺れがおさまってすぐに母に電話した。家が崩れて崖の下に落ちてるんじゃないか(崖っぷちに家があるのだ)と心配になって。
イエ電もケータイもつながらず、どうなっているのか見にいくにも電車は止まっているし、と気をもんでいたのだけど、夕方になってメールを送ってみたら「無事だよ」と絵文字満載の余裕の返信があって、ひと安心。
千葉の姉にもメールを送ったけれど、こちらはまだ返事がない。でも、22歳の息子と一緒に住んでいて、息子の勤務先も自転車で行けるところだし、多分大丈夫だろうと思う。

余震が続いているせいなのか、大きな揺れを体験したショックからか、私も子どもたちも乗り物酔いのような気分の悪さを感じている。

そんな気分だけど、明日出かけられるようにと、さっきお風呂に入った。お風呂のフタも浴室のもろもろも散乱していた。
でも、ライフラインがストップしている地域もあるのに(この近くではないけど)お風呂にはいれるなんて贅沢だ、とありがたく思った。

今週、ずっと家で寝て過ごしていた。無気力で、何もかもがめんどくさくて。パソコンを開けるのも億劫だった。
今回の地震で、「命があるのだから無駄にしちゃいけない」と思った。

12日はクリニックでカウンセリング、その後学校の説明会。どちらも地震の影響で予定が変わっていないかを、朝になったら確認して、交通手段も復旧しているか確認してから行く。

地震は嫌いだったけど、こんなに怖いと思ったのは初めて。
とりあえず自分の身内は無事だったけど、大勢の人が怖い思いや悲しい思いをしている。
何をしてあげられるだろう。