今日一日だけ生きてみよう

卯月タラの日々のつぶやき

久しぶりに。

2014-05-28 20:46:06 | タラの日記
今日は、娘が久しぶりに来た(帰ってきた、と言いたいところだけど、それもちょっと微妙に違う感じ)。
元気でやってるけど毎日忙しくて、あっという間だと言っていた。
家事ってこんなにいろいろあるんだ、と改めて親のありがたみを思い知ったとのこと。
少し痩せたかな、なんだか疲れているようにも見え、私としてはちょっと心配。
今、入籍の時期について悩んでるようで、そのことを少し話した。
急展開で、正直、心の準備が追いつかないよと私が本音を言うと、本人も自分が結婚するという実感が湧かない、そもそも結婚て何だろう?ってところにいる、と。
でも、生活ぶりを聞いてると、彼氏にすごく大事にされてるんだな、と思った。お弁当作って持たせてくれてるとか(逆じゃないの?とビックリ)。助け合って暮らしてるというより、助けてもらうばっかりなのでは?って感じで。
彼氏には頭が下がります。

会いたかった娘だけど、会う前ワクワク、帰った後は寂しくなってしょんぼり、という心のアップダウンがあったせいか、ぐったり疲れてしまった。

図書館で本を借りてから、毎日本を読んでいる。よくこんなに本を読めるもんだと思うくらい。
これまで本、読めなかった。
どうしてかわからないけど、文字を読んだり理解するのがすごくしんどかった。
それが、先週あたりから嘘のようになくなって、今は、かわいた土に水がしみ込むみたいな感じで、本が面白く読めるようになっている。
この間、小説大好きな女の子から、オススメの本を教えてもらって図書館に予約したので、明日あたり取りに行こうかなと思ってる。楽しみ。

明日は息子の誕生日。
夫の命日でもある。
毎年、複雑な思いで迎える日だけど、今年もやっぱり複雑な思いを抱えながらケーキを食べるんだろうな。
息子のためには、心からお祝いしたいのだけど。
娘もいないし、今年は丸いケーキだと食べ切れないかな? 2人でのお祝いはやっぱりちょっと寂しいな。

ではまたね、おやすみなさい。

図書館。

2014-05-23 23:21:48 | タラの日記

今日は、カウンセリングスクール1年目の仲間で集まって、新宿でゴハンを食べた。
深い話、勉強の話、いろんな話題が出た。こんなふうに話せる仲間って、すごく貴重だなと、いつものことながら思う。

仲間の一人で、すっごい読書家がいる。彼はよく図書館を利用して、いろんな本を読んでいて、物知りで、すごいなあって、前から感心していた。
で、今日も何気なく図書館の話が出て、夕方、解散になった後、時間があったので、私も自分の地元の図書館に行ってみようと思い立って、途中下車して(うちの最寄駅から2駅のところに図書館があるので)、寄ってみた。

借りてみようかなと思ってた本は貸し出し中で、「73人待ちです」と言われてビックリ。
で、ほかにも読んでみたい本を見つけたので、カウンターに行き、「すみません、図書館、10年ぐらい来てなくて、利用者カードも失くしちゃったんですけど」と言って、そこでハッとなった。

思い出した。

最後に図書館に来た時、夫がいた。
夫が亡くなる前は、図書館はうちの家族のレジャースポットだったんだ。
4人でそれぞれに好きな本を選んで、近くのレストランで食事して帰る、そんなことを2週間ごとにしていた。

すっかり忘れていた。不思議でならない。
図書館は遠いから、不便だから利用しないと、自分でいつからかそう決めて利用していないんだと思っていた。
欲しい本はAmazonでもブックオフでも、どこででも買えばいい。そう思っていたし、ここ10年以上は、そうしていた。

家族で図書館に行っていた時期があったことなんて、記憶から抜け落ちていた。
今日、図書館のカウンターに行って、初めて思い出したのだ。

神さまって特に信じていないけど、こんな時、ふっとその存在を思う。
これまで私を図書館から遠ざけてくれていたのは神さまなんだ。
もう大丈夫って思って、今日、図書館に引き寄せてくれたんだね。

そして利用案内をもらってみると、なんと2駅行かなくても、家の徒歩圏内に、この10年の間に新しく図書館が建ったみたいで。
よーし。
これから私も図書館を利用して、本をたくさん読むぞー。
たくさん勉強するぞー。
などと思った。

今日は不思議な日でした。


勇気の花が。

2014-05-19 20:21:15 | タラの日記
銀行に用事で出かけたら、担当の女性(同年代)が私のバッグを見て、「わー♪ キティちゃんですね! わー!」と、感激している様子。このところ、どこへ行くにも、革製の、キティちゃんのデッカい顔のついたバッグをさげているのだ。
あまりにバッグに夢中の様子なので「お好きなんですか」とたずねたら、「大好きでグッズ集めてました。年齢でザセツしてしまったんですけどね」と言う。
「私もいい歳ですけど、こうして持ってます」と苦笑いしたら、「卯月さんは大丈夫ですよ。なんか、そういうオーラが出てますから」って。
どんなオーラだ。

帰りにブックオフに寄って、ふと目についた、やなせたかしさんの本を買って帰った。
パラパラめくっていくと、最後のところに、「勇気の花が開くとき」という歌の歌詞が載っていた。
アニメ「アンパンマン」の中で馴染みの歌だけど、こうしてじっくり歌詞を見たのは初めてだ。
なんだか泣きそうになってしまった。
ドリーミングの優しい歌声を思い出し、どうしても今の私に必要なのはこの歌だと思って、ダウンロードして、今もずっと聴いている。
これまでアニメの中で何度も聴いたのに、こんなに心にしみるのは初めて。
なんか応援してくれているような、慰めてくれているような、守られているような、不思議な感じです。
歌詞の転載ってダメなんだよね?
興味のある方は、「勇気の花が開くとき」で検索してみてください。
泣ける。

逆転移。

2014-05-16 17:00:36 | タラの日記
月曜のクラスでの発表は、無事?終わりました。
ものすごい緊張で、手がガクガク震えたよ。隣の席に座ってた、1年目からずっと同級だった仲間が、背中さすってくれました。優しい。

特に褒められもけなされもしなかったので、人からの評価がないと不安になる私は、なんだか手応えがわからず、あれ?という感じ。
帰ってから、クラスの子にメールして、感想を聞かせてと言ったら、「よくできてたと思うよ。でも、今の時点では評価も何もないんじゃないかな。これから勉強していくところなんだから」と返信が来た。
そうだよね、と、そのメールで納得。
これまでの学習の成果を発表するわけではなく、これからやろうとしている継続面接について、初回どうだったか、次回以降の課題をどう捉えるか、という発表だったのだ。
考えてみれば、評価も何もないのが当たり前だった。
私が気にしていたのは、体裁だったのかも。
器用にまとめられたかが気になってただけなのかもしれない、と思った。
そんなことより、これからの面接、今回は逆転移に振り回されちゃったので、それをどう立て直すか。それをしっかり考えて、仕切り直ししなくちゃ。

話が深まるほど、相手に、自分の過去で関わりの深かった人を重ねてしまう。
そして、感情をかき乱されてしまう。冷静な応答ができなくなる。

今回、相手に対して「嫌いにならないで」という思いが強く現れた。
それについて、発表の時、先生は「カウンセラーはクライエントに嫌われようが嫌われまいが、自然体でやるしかない。それでクライエントがもし来なくなっちゃったら、それでしょうがない。もちろんそれについて後から検討はするけれども。嫌われまいと意識しないことが一番」とおっしゃった。
そうなんだ、と思ったけど、嫌われてもいいから自然体でというのが難しい。
今後の大きな課題かもしれない。

発表が終わって、ドッと緊張がゆるんだので、火曜日以降はなんだか具合が悪かった。
都営住宅の申し込みもあったし。
今日、都営の申込書を出したので、少し楽になりました。あとは運任せ。

娘のいない寂しさはまだ続いていて、無気力というか、まだ元気出ないけど、なんとかその日その日をやって行こうという感じです。

ではまたね。

贈り物。

2014-05-11 18:54:49 | タラの日記

今日は母の日。
実家に行くことも考えたんだけど、明日のクラスでの発表を控えてレポートに忙しく、「ごめん!」って感じで。
お花は連休前に手配してあったので、それでカンベン。親不孝者でスマン、母よ。

息子はライヴがあるからと横浜まで出かけてしまい、子どもたちは母の日なんて忘れてるのかな?と思ってたら、さっき娘から画像つきのメールが来た。
「一緒に暮らしてないと欲しいものがわかんなくて何も買えなかったよ。代わりに絵を描いたから送るよ」と。
私の好きなワドルディの絵で、大きいワドルディにちっちゃいワドルディが「おかあさんありがとう」と言ってカーネーションを渡してる絵だった。かわいいのでiPhoneの壁紙に設定した。なんかサイズが合わなくてちょっとおっきくなっちゃったけど。

レポートがひと区切りついて、気になってたリビングの隅のダンボールを(引っ越して3年半たつのにまだダンボールが!)片づけ始めたら、中から何やら箱に入った額縁が出てきた。額の中は、上半分に写真が、下半分に縦書きで俳句がレイアウトされていた。
前の引っ越しの時、こんなの持ってきたんだっけ? と写真をよく見ると、横向きでうつむいてるからわかりづらいんだけど、うちの子どもたちが2人で遊んでいる(何か絵を描いているのか、見せ合ってるのか)ところだった。
多摩に来たばかりの頃に、夫が撮った写真に、自作の俳句をつけたものらしい。俳句の上手下手は私にはわからないんだけど。
初めて見る写真のようで、不思議な気がした。
小学生の息子と幼稚園前の娘の無邪気な様子。
ふと思った。
今日、このダンボールを開けたのは偶然じゃないのかも。
「子どもたちが育ってよかったね」と、母の日に夫が私に言ってくれているような気がした。
夫からの贈り物のような気がして、しばらく額縁を抱えていた。

どこかに飾ろうかなと思ったんだけど、大きくて重たいので、壁にかけると地震で落ちてきそうだし、迷いつつそのまま箱に入れて物入れにしまってしまったけど。
子どもたちはもう、幼いあの頃の子どもたちではないんだな。
でも、私のこどもたちであることに変わりはない。
夫くん、ありがとう。思い出を大切に、今も大切にして生きていこう。


煮詰まって。

2014-05-08 11:30:24 | タラの日記

昨日から、都営住宅の申込書配布が始まった。
今回、初めて申し込みをする予定なので、ダウンロード版を息子と二人で読んで、明日、二人で決めた候補の団地に下見に行ってみることにした。
思ったより募集戸数が少なくて、こんなものなのかあ、とびっくりしたり、当たってもすぐに入れるわけじゃないのねとわかって気が遠くなる気がしたり。
引っ越しは前回トラウマになってるので本当に嫌なんだけど、いつまでもここに住み続けるには経済的に無理があって、都営に当たっても外れても、どっちにしても苦しい感じ。
で、昨日は不安と緊張から具合が悪くなってしまい、いつもの頓服でダメで、ちょっと強い安定剤を飲んで、昼間少し眠った。
目が覚めたら不安はいくぶん和らいでいたけど、今日になってまた辛くなっている。

タイミングが悪いっていうか、来週の月曜がカウンセリングスクールの私の発表の日なのだ。
一番手なのでお手本もなく、先生の配ってくれたプリントでだいたいのやり方をつかんでレポートにまとめて行って発表しなくちゃならない。
これがけっこう頭痛い。
今、準備をしているところなのだけど、自己検討がなかなか進まない。昨年度のクラスでのレベル(観点)での検討じゃダメなんだろうなと思うけど、実際、今回のロールプレイの出来じゃ、昨年度のレベルもおぼつかない感じだから、検討する基準をどこに持ってくるかが難しい。
何を求められているのか、自分の課題が、指摘されないと分からないようでは今年度のクラスではダメなんだそうだ。でも、正直、自分の課題が何なのかが、昨年度の修了レポートには書けたのに、今、わからなくなっている。あまりに初歩的なところで躓いてて。
そんなわけで、録音を起こした逐語録を前に、頭を抱える日々なのだ。

何か気分転換をしないと煮詰まっちゃってマズいなあと思ってるんだけど、楽しいことが思い浮かばない。
時間があったら寝ていたい感じ。ほかに何もする気になれない。
毎朝、目が覚めると「ああ、また一日が始まるのかぁ」と重苦しい気分に包まれ、食欲もない。
多分、発表が終わって都営の申し込み済ませたら、いくらか楽になると思う。
それまで大変だ。

この前会った友達に、「今の私は、自分が幸せだって思えない。すごく惨めな気がする」と言ったら、「ええー! 充実感にあふれてるのかと思ってた!」とすごくびっくりされて、そうか、私って外からはそう見える(ように自分がふるまってる)のか、とこっちがびっくりしたんだけど。
なかなか自分の弱い部分を、さらしているようでさらせていないのかもしれない。強がり、っていうか。
今はちょっと、弱っています。


見えなくても。

2014-05-02 23:27:36 | タラの日記
娘がいなくなって、すっかり無気力になり、些細なことでいちいち涙が湧いてくる日々だったのだけれど。
そんな中、昨日、夕ご飯が作れなくて、ピザを取ったのね。
で、ピザも前はLサイズだったのがMでいいんだな、とか思ったんだけど、そのピザを食べていて、ふと思い出した。
前に、娘の彼氏が遊びに来た時に、ピザ取ったことがあった。その時、リビングが散らかり放題だったのもあり、ラブラブの娘たちの邪魔をするのもねと思ったのもあって、娘と彼氏は娘の部屋、息子と私はリビングで、それぞれ別に食べたのだった。
あの時、娘は家にいたけど、娘の部屋にいたから見えなかった。
見えないけど、いた。
今もそれは変わっていないのでは?

いなくなったわけじゃなくて、見えないところにいるだけなのでは。
隣の市のアパートにいて、ここからは見えないけど、娘はちゃんといるのだ。
そんな当たり前のことを、昨日はピザを食べながら、ようやく「わかった」気がした。
見えないイコール無い、と感じて不安になってしまう私の癖。なんでだろうね。

今日は、新宿に、友達に会いに出かけた。相談したいことがあると彼女から一昨日メールもらって、私もちょうど話したいことがあったので、お茶しながら話した。
彼女は、「悩んで出口がなくてぐるぐるしちゃって、それでタラさんに聴いてもらおう!って思った」と言う。
私のこと思い出してくれて嬉しい、ありがとう、と言ったら、「タラさんのことはよく思い出すよ」と言ってくれた。
でも私には、人が、会っていない時に私のことを思い出している、というのが、いまひとつピンと来ない。

新宿で3時間ほど話して、お互いにそれなりに悩みに風穴みたいなのが空いた感じになって、よかった、また会おうね!と別れ、帰る電車の中で、別の友達から「どうしてる? 娘さんのいなくなった寂しさは少しは和らいだ?」とメールが入った。心配してくれていたらしく、ありがたくてお返事書いた。
「思い出してくれてありがとう」と書いたら、「私、けっこうタラさんのこと思ってるのよ」とのこと。
そして帰宅して少しして見ると、また別の友達から「渋谷でタラさんの好きなキティちゃんのイベントやってたよ!」と、画像までついたメールが。キティちゃんを見て、私が喜びそうだと思って写真撮って送ってくれたのだ。感激。彼もまた、目の前にいない私に思いを馳せてくれたのだ。

今日は、こんなふうに、なんだかありがたい思いをさせてもらった日だった。
私も、会っていなくても、誰かのことを思い出すことはある。でも、誰かが私を思ってくれている、というのがどうにも想像できないのだ。
見えないイコール無い、と思ってしまう。言葉やメールの文字になっていないと、伝わりづらい。
なかなか厄介な癖だと思う。

今日は、でも、温もりをもらった、いい日だったな。
Aちゃん、Kさん、Mさん、ありがとう!
友達っていいもんだ、と思えた日でした。