今日一日だけ生きてみよう

卯月タラの日々のつぶやき

こんな時間ですが。

2011-08-26 01:58:36 | タラの日記

こんばんは。

22日締め切りのレポートは無事に提出しました。

友人が「すごくよかった」と言っていた『シック・マザー』という本を買って読んでるんだけど、なんだかつらくなる一方だ。
『毒になる親』(まだ終わりまで読んでない)のときもそうだった。
私は「子ども」の立場でこういう本を読むのが難しい。「親」の側で読んでしまう。
で、自分のいたらなかったところを次々思い起こしては、「毒は私だ。私のせいで子どもたちは生きづらくなっている。私は自分の親はサイテーだと思ってきたけど、私よりははるかにマシな子育てをしていたんじゃない? 私に親を責める資格なんてある? 私よりサイテーな親なんている?」って、どんどん苦しくなる。
子どもを苦しめるダメな親、死ねばいいのに、とか、思う。

このところすごい散財をしているのは、つらい気持ちをなだめるためかな。
何かの用事で出かけると、あちこち歩き回って(帰りたくないのだ)、結局「これを買ったら帰ろうね」って感じで、自分へのプレゼントを買い捲っている。
ピアスなどのアクセサリーは前から買ってるけど、最近は化粧品と本が多い。
美白のパックとかBBクリームとかミネラルファンデとか持ってるものまで別に買ったり、本だってそんなに読みきれないのに買ってしまう。読まずに寝てるくせにね。
あ、バッグも2つ買った。子どもたちに見えないようにしまってあるけど、使ったらバレるよな。

何を買っても、何を食べても(最近また太ってきた気がする…。吐き気がして食べたくないのに、食べ始めるといつまでも食べてたり)、満たされることがなく、日常生活をしていてもいつも根底に不安感がある。

そうだ。でも、昨日は、新しい「出会い」があった。
bluefairyという韓国の会社が作ってる「pocket fairy」というお人形さんを、ある人のブログで知って、調べた。
驚いた。
こんなにも何か言いたげな表情を作れるものか。美しい(愛らしい)顔立ちに、えもいわれぬ表情。釘付けになった。
(ちなみに私は親韓でも反韓でもないです、韓流ものにはほぼ関心ないです。)
pocket fairyは子どもで、大人のお人形もあり、それもいずれはほしいと思うぐらい魅力的なのだけど、大きいのは置く場所に困るし値段が高いし、というのでちっちゃい子をお迎えすることにした。
海外での受注生産なので2か月ぐらいかかるらしい。
待ち遠しい。
とりあえず、いろんな種類のお人形さんを、久々に眺めて(ネットで)、その世界にしばし浸っていた。
癒しだわ~。
しかし。またこれで私の中で「人形ブーム」が再燃してしまうのか?
お人形さんにはまるとお金がかかるのよ(ブライスちゃんにどれだけつぎ込んだことか)。
趣味にはまり込み過ぎないように、気をつけよう。

今日、明日、明後日と、続けて学校です。
金曜のいつものクラスがあり、土日はそれとは別に講座があるので。
「つらかったら休みなさい」と主治医の先生が言ってくれたけど、今の私には勉強が必要なの。いろんな意味で。
10月の2泊3日の合宿も、申し込んだ。正直ちょっと自信がなくて、まだお金を振り込んでいないんだけど。でも、きっと行くと思う。「行ってよかった」と思うだろうし。

「SMAP AID」を聴いてる。SMAPには安心感がある。
今回のアルバムは、ファンのみんなの希望で決まった選曲らしいし。
元気出る曲が詰まっている。

じゃあ、おやすみなさい。また。


メガネを作り直したよ。

2011-08-16 23:30:16 | タラの日記

息子から始まった夏風邪が娘にうつって、私も一昨日ぐらいからだるだるです。
と言いつつ、昨日は久しぶりに隣街に、メガネを作りに行きました。
なんか最近、すごーく目が疲れるし、本とかスマホの画面とかが見づらくなって、不便してたのです。
あと、風邪薬と熱さまシートとかを買って、ついついまたアクセサリー雑貨のお店に行って…夕方起きてから出かけたので、帰ったのが9時でした。

今日は一日、だらだら寝て過ごしてしまった。
娘も熱っぽいと言ってずっと寝ていました。
娘、風邪の前はけっこうお友達と遊びまくってて、「ゴハンおごってもらった」「ゲーセンでぬいぐるみ取ってもらった」などと、優しく接してもらってるみたい。何人かグループみたいなんだけど(4人ぐらいかな)、男女比率とか年齢層とか、気になりつつ、どこまで聞いていいのか(成人してるのに干渉していいのか)わからなくて、「楽しかった?」ぐらいしか聞けない。
娘も「今日はボーリングするのにサンダルで行っちゃって、靴下買うハメになった」「回転寿司食べた。タコのストラップもらった」とか、そのくらいの報告(?)はしてくれるので、根掘り葉掘り聞きたいところを、抑えている。

娘、レポートは大丈夫なんだろうか。
私も、22日までのレポートがまだ全然できていない。
マジ、頑張らなくちゃ、ヤバイ。

そうそう。
「オクトパス君」というタコのキャラ、知ってますか?
震災復興の願いを込めて、被災地で名産のタコをキャラにして文鎮を作ってネットで売ってるんです。売り上げの一部は寄付されます。
このあいだ、それを注文しました。まるっこくてすごく可愛いタコです(まだ届いてないけど)。
よかったら「オクトパス」で検索してみてください。

ああ、肩こりがひどい…。やっぱメガネのせい?(新しいメガネはあさって受け取りに行きます)。
週末までにレポート! 頑張ります。
ではまた。


解放。

2011-08-09 23:49:49 | タラの日記

相変わらず、昼夜逆転生活をしています。

学校(私の)は、8月5日で一応前期が終わり、夏休みに入りました。
5日は「コラージュ」で、初めての私は「文章以外の表現は苦手だ~」と気が重かったのですが、なんとか無事に作品(?)を仕上げて発表。
クラスのみんなに「雑誌の巻頭カラーみたいにステキ!!」と褒めていただき、うれしかったです。
でもね、やっぱりなんかこう、自由に表現というより、「いかに見栄えよくやるか」というところに気がいってしまう、表面を器用にまとめる自分、というのをあらためて感じたというのもほんとのところ。

夏休みといっても、22日締切りのレポートもあるし、26日にはもう始まるし(休み、短っ!)、27・28日と2日にわたって講座はあるし、10月の山中湖の合宿(2泊3日)も申し込もうと思ってるし、なんか、焦る。

娘が、外に出始めた。
いや、去年から高校には行ってるけど、学校でお友達ができるでもなく、「バイトする」と言いつつ体調がついていかず、リアルな(ネットでない)かかわりというのがなかなかできなかった娘なのだが、ネットで知り合った仲間と、最近ちょくちょく遊びに出かけるようになったのだ。

これはもう、長かった引きこもりからすると「万々歳!」なのだけど、なぜか「よかったね! 今までの分もいっぱい遊んで楽しい経験をたくさんしてね!」ともろ手を挙げて応援できない自分に、じつは戸惑っている。

息子に友達ができた(それも始まりはネットだった)ときも不安はあったが、これほどではなかった。
この差は何だろう。
やっぱり女の子だから、何かの被害にあったら大変、という心配なのか。
それとも下の子だからいつまでも頼りなく思えて子ども扱い?
なるべく距離をとって、干渉せずにいたいのだけど、何しろ10年間、お友達と遊んだことがない子なのだ。小学4年生から、空白なのだ。人間関係を学ぶ機会がまったくなかったのだ。
口にも顔にも出さずにいるけど(それは娘もかな)、ものすごく怖い(娘もだろうな)。
メールのやりとりのちょっとしたニュアンスで相手を傷つけたと感じて寝込んでしまうような娘なので、ほんとは「何かあったらいつでも言いな! お母さんがついてるから大丈夫!」とかドーンと構えていなくちゃいけないとわかっているのだけど、私自身が不安でたまらない。
こっちが寝込みそうだ、正直。

じつは今になって、これまでの子どもたちとの接し方が本当によかったのかがわからなくなって、自信が崩壊している。

夫が亡くなったとき、子どもたちはすでに引きこもりだった。息子は教育センターの先生になついていて、その後もつながりは続いたけど、娘は教育センターにも行かなくなってたし、二人とももちろん私の実家の親にも夫側の親族にもなついていなかった。むしろ、かかわりあいたくない様子に見えた。

それまでも不登校に関して周りの理解が得られていないことは嫌というほど身にしみていたので、子育てについては一切、誰にも口出しをさせなかった。
とにかく無理解な外野から子どもを守る。子どもに寄り添う。子どもの心を大切にする。
私しかいないんだ。そう思ってきた。

それに、だってまず、食べさせて着せて、という(つまり「稼ぐ」という)ところからでしょう。
(遺族年金という助けはあったけど)稼いで家事やって子どもたちに目を配って、それを夢中でやってたら10年経っていた、という感じだった。

でも今、思っているんだ。
「私しかいない」という私の思い(込み)のせいで、子どもたちが外からの助けを得ることを阻んでいたのではないか。
外との壁を、私が高く厚くしてしまったのではないか。
ほかの人に心を許せない、そういうふうに育ててしまったのではないか。
私がほかの人を信頼して、その人に助けてもらう、そういうところを、子どもたちに見せてこなかったから、子どもたちはそれができない大人になってしまったのではないか。
私がかたくなだったばっかりに、閉鎖的な家庭になってしまったのではないか。

子どもの気持ちだって、ほんとに大事にしてきたのか、わからない。

食べさせて着せて、それだけじゃん。っていう気がしてくるんだ。
子どものために何かしてきたのか、ちゃんと向き合ってきたのか。

そんなことを考えたりしているせいか、最近、子どものことを、正直、重荷に感じてしまう。
「夏休みは毎日子どもが家にいるし、給食もないから大変」とかのんきな台詞を言ってみたかったなあ。
その「夏休み」が、私のところでは365日、何十年も続いてるのよ。
子どもは大切、宝物、ってずーっと思ってきたけど、この重い責任から一日でも解放されたい。疲れた。

子どもが心配、と言ったり、解放されたい、と言ったり支離滅裂になってしまいました。

日曜日がほしい。