今日一日だけ生きてみよう

卯月タラの日々のつぶやき

いい日。

2011-09-30 23:33:22 | タラの日記

学校でカウンセリングのロールプレイをして、クラスのみんなと先生に、すごく褒めてもらった。

友達にちょっとしたことをして、ものすごく喜んでもらえた。

生きててもいいのかな。

「私」という存在は幻影のような気がしていたけど、「いる」んだな、と思えた。

いい日だった。ありがとう。


行き先がわからない。

2011-09-28 23:34:22 | タラの日記

かくはん。
そして、洗濯機(?)がこわれる。
ぐるぐるにかき回されてちぎれた端切れが残る。
状況をつかもうとする自分に、「考えるな、無駄だ」という声が聞こえる。

自分はどこに。

ってか、自分は誰。

何をしてきたの。

どうして、得たものをきちんと積み上げることができないの。
どうしていつもバラバラなの。
どうしてすぐにこわれてしまうの。

どっちに歩いていけばいいのか、またわからなくなってしまった。
おまえはほんとうにばかだ めをさませ と言って誰か殴ってくれればいいのに
みんなやさしくて。

かなしい。


ズタズタ。

2011-09-07 23:48:50 | タラの日記

昨夜から具合悪かった。

「自殺遺族」で検索して、いろいろなサイトを見てて、ちょっとヘンなところに行ってしまった。
管理人さんが子育て中のママさん。双子のように仲の良かった妹を自殺で亡くし、うつ病で治療中。母親が統合失調症、夫もうつ病で苦労している様子。
妹の死後、いろいろな本を読んだり多くの人と触れ合い体験談を聴いたりして、自殺遺族支援サイトを立ち上げたとのこと。
そこまでは立派。

怖いと思ったのは、その管理人自らが、チャットとメールで「傾聴カウンセリング」を行っている、というところ。
チャット30分2000円が基本料金らしい。
彼女は「心理学を学んだことはなく、心理職の資格は持っていない」、けれど「当事者としての経験は豊富にあるので、あなたのお話を『自分の経験に重ねて』、親身に『傾聴』します」という。

無資格で、「傾聴」の意味もわからずにカウンセリングって、一歩間違えたら「人殺し」です。
文章を読む限り、苦渋の人生を生きてきて、「誰かの役に立ちたい」という善意から行動しているのは、痛いほど伝わってくる。
だから怖いと思った

私もつらい経験はまあたくさんしている。似た苦しみを抱える誰かの役に立ちたいという思いは、ずうっと持っている。
そして、今の学校に入るまで、「自分は人の悩みを親身になって聴けるほうだ」と思い込んでいた。
でもそれは多分、一部の親しい友達の話とかに限った話だ。
当事者としての経験なんて、感情移入しすぎるだけで、聴き手として何の役にも立たない。
自分の子どもしか育ててない人が、「私は子どもを育て上げたから」と、人の子育てに偉そうに口出しするのと一緒。
あんたはあんたの事例しか知らないでしょ、ってこと。

無自覚に「善意」のもと「人殺し」しかけているその人のサイトに、「おえ」っていうほどの嫌悪感と怒りを感じ、昨夜は気分の悪いまま眠りについた。

今日は市役所に用事があったんだけど、昨夜の怒り(私もこだわりすぎなんだけど)と体調不良でイライラし、通り魔殺人とかしそうで出かけるのをためらっていた。
そこに、ちょっとした出来事(刺激)があって、キャパを超えてしまい、それを愚痴ったことで娘と大喧嘩に発展。
お互いに具合が悪かったということなのだと思うけど、娘の一言に自分の人生と存在価値のすべてを否定されたように感じて、ものすごく傷ついた。
逃げるように、泣きながら市役所に行って、用事を済ませたのだけど、涙が後から後から流れるし、もう家にも帰れない、どこにも居場所がない、と途方に暮れて、気がついたら主治医の先生のいるクリニックに向かうバスに乗っていた。

予約日でなかったので、迷惑にならないように短く話して去るつもりだったのに、号泣。
結局、クリニックが閉まる時間まで1時間半ぐらい、処置室で休んでから帰ることに。
先生がやさしく対応してくださって助かったけど、家の玄関のドアに着くまで、涙は止まらなかった。
ドアのところで、口をぎゅっと結んで涙を拭いた。
何事もなかったかのように、子どもたちが迎えてくれたけど、私の中のわだかまりは解けない。

子どもに甘えて愚痴ったのがいけなかった。
家族だし、もう大人だと思って、つい甘えが出た。
私はどこで愚痴を言えばいいのかな。
って、ここで言ってるけどな。
いつもいつまでも親でいるって、つらいな。


悪あがき。

2011-09-01 23:18:59 | タラの日記

こんばんは。

先週の金曜から、後期のクラスが始まったのだけど、なんだか一気に「カウンセラーの勉強」っぽくなって、焦った。テープに録音された、スタッフの扮する「クライエント」の声に耳を傾け、瞬時に応答を考えてみんなで発表、というのを10例ぐらいやったのだけど、頭をフル回転させたので、終わった後はぐったりだった。
土日は「早期発達論」という講座を受けた。ユニークな先生だった。
でもやっぱり2日間、朝から夕方までというのはキツイわ。途中で睡魔に襲われ、とったノートが一部分、ミミズののたくったような文字(もはや文字でもないか)で、自分でも判読できないところがあったり。

今週は、とにかく疲れて寝てばかりいた。
眼科に行った以外は、家にこもって昼夜逆転生活。

本を買って読みかけては放り出して次、というのを繰り返している。
昨日はアマゾンに、自殺遺族の心のケアに関する本を2冊注文した。
今さらか、という感じは否めないけど。
なんか、自分の心の中に何の問題があるのか、誰もがそうだとは思うけど、複雑に絡み合ってて、つかみきれない。
両親・姉に精神的虐待(ときに体罰を伴う)を受けて育ったこと。
そこから来たと思われる、中学時代からの心身の不調。
学校でつまはじきにされたこと。
短大時代に性犯罪に遭ったこと。
結婚して出産後、自分が受けられなかった愛情を子どもに注ぐ違和感、プレッシャー。
子どもが不登校になって戸惑う中、「過保護」との批判を浴びて孤立したこと(そこからまた心身の不調が表面化、追い詰められ精神科の門を叩く。パーソナリティ障害であることがわかる)。
夫が鬱を発症、自殺。中学生・小学生の子どもと遺されたこと。
「がんばらなくちゃ」という強い思い。
去年、仲の良かった友達が自殺したこと。

とくに、子どもが不登校になったあたりからは、「自分にできるベストを」と思い、それを考える中で「自分の中にある問題」を自覚して、「なんとかしなくては」と思って生きてきた。
「問題は子どもでなく、私の中にある」ということを頭に置いていた。
でも、実際には落ち込んだり混乱したり、自分を制御できなくて、回復には程遠い生活が続いていた。
「死なないこと」が目標だったりした。

今の私がそこから進歩しているのかどうか、わからない。
ただ、「勉強する」という、これまでと違ったやり方で、問題に取り組もうとしている。
で、まあ学校に行ったり、本をいろいろ読もうとしているわけだ。

でも、人間の心の回復って、どういうことだろう。
歪みのない人間なんて多分いないよね。
自分が「この私でいいんだ」って思うことかな。
口で言うのは簡単だけど。

死ぬまでに、「この私でよかった」と思えるようになるのかな。
なんだかなあ、空回りしてるっぽい気もするんだよな。
努力がむなしいっていうか。悪あがきっていうか。
結局、何も突破口も見つからず、何の解決の糸口も見つからずに「私の生きた意味って何だったんだ?」って思いながら死んでく気がしたりするんだ。

ああ、悲観的になってきた。寝よう。
おやすみなさい。