今日一日だけ生きてみよう

卯月タラの日々のつぶやき

学ぶ日々。

2011-07-31 23:27:35 | タラの日記

なんだかお久しぶりになってしまいました。

睡眠は、まだ安定していない状態です。
でも、いくぶんマシになったかな。
寝つきは少しよくなった。でも、昼間、起きているとしんどくて寝てしまう。
昼夜逆転ぽい生活をしています。

22日、クラスのワークで「ベーシック・エンカウンター・グループ」というのがあって、メンバーと講師の先生で輪になって座り、「暴力とセックス(この2つは話題ということでなくその場での行為としてはダメということで)以外はなんでもあり。何でも話していいよ」と言われて、その時間の中で、私は流れでつい、自分の夫が10年前に自殺というかたちで亡くなったことを言ってしまった。「みんな引くよなー」と思ってたら、講師の先生から「精神科に通うようになったのはそのことがきっかけだったの?」と聞かれ、「いえ、それはもっと前からで」と言い、そこでついつい、幼少期からの家庭環境やら学校でいじめられたことやら、大人になって子どもを持ったらその子たちが不登校になって周りに理解が得られず孤立し「母親失格」のように言われて精神科の門をたたいたことやら、おおまかにだけど全部、喋ってしまった。
みんなの時間なのに一人でいっぱい喋ってしまってごめんなさい、こんな話されても聞いてるほうは困るよね、と最後にあたふたと謝った。
そうしたら、みんなが、一言ずつ、私に言葉をかけてくれた。
これまで生きてきたことへのねぎらいの言葉(よく生きてきたね、闘ってきたね、というような)とか、こんなヘタレな自分をさらけ出した私のことを、「やさしい」「強い」と肯定する言葉とかを、たくさんもらった。
涙ぐんでくれてる人もいた。

いつもつけていた重い鎧を、脱いだ気がした。
そして、これまでも「タラさんはやさしい」「強いね」って言われることはあったけど、「違うんだよ、それは私の演技なんだよ。そういう鎧を着ているだけで、ほんとの私は違うんだ」と、そのたびに思って、「私って嘘をついて生きてる」って罪悪感にさいなまれてきたけど、クラスのみんなに受け止めてもらって、「もしかして鎧でも演技でもなく、やさしさや強さは本当に私が持っているものなのかもしれない」と素直に思う自分がいた。
「嘘はついていなかった。こういう面も私自身だったんだ」
そう思ったら、引け目がなくなった。やましいことは何もないんだ。胸をはって歩いていいんだ。ひとつ、荷物を下ろした気がして、軽くなった。

昨日はクラスの日ではなかったのだけど、資格を取るための必履修講座があって、クリニックをお休みして学校に行った。
倫理についての勉強で、いろんな職業についてる人たちがたくさん集まってきていた。
小グループに分かれて話し合うときも、すごく勉強を積んできている人が多くて、「うわ~、アホは私だけだよ」と汗を拭き拭き聞いていた。
帰りに事務局に寄って、その倫理の講義をしてくださった先生の本を買って帰った。
入学して4か月だからしょうがない?にしても、それにしても、あまりに私は不勉強だ。

最近、アマゾンでも本を買うようになった。
学校の勉強に直接関係ありそうなロジャーズ関連のもののほかに、自分の回復のために認知療法に関する本も買った。
今は、読みかけの『毒になる親』をいったん置いて、『こころが晴れるノート』というのと、昨日学校で買った『臨床心理学の倫理をまなぶ』というのを読んでいる。

けど、鬱の人はわかるかなと思うんだけど、なかなか本を読むっていう気力が出なくて、活字を追い理解するというのが大変。
亀の足取りでちょっとずつです。

今月末にある講座と、来月にある講座も、昨日申し込みしてきたし、10月にある2泊3日の合宿にも行こうかなと思っている。
とにかく勉強。
ほんと言うと、始めるの遅すぎたなって正直思ってる。
どうしてもっと早くに、勉強し始めなかったのか。これまで何をしてきたのかって。
でも、こういうのは出合いだから。
今が、私にとっての「時期」だったのだろう。

一日の大半を寝て過ごしている状態ですが、起きているときは勉強のことを考えています。
音楽も、最近は聴いてないなあ。
聴いてると寝ちゃうんで。

では、今日はこのへんで。またね。
おやすみなさい。


寝れない。

2011-07-18 23:35:05 | タラの日記

なんだかすごく塞いでいる。

緑内障の目薬のせいで、昨日まで目が重くて、首の凝りと頭痛がひどくて(パソコンも開けてないし特に目を使ってないのに)、なんかな~、という感じで、「このまま続いたら眼科に行って薬を変えてもらおう」と思ってた。でも、今日はそうでもないので、様子をみることに。

それより、困ってるのは眠剤だ。
緑内障と診断されたら、これまで長年慣れ親しんだ眠剤が使えなくなった。
一昨日、別の薬に変えてもらったんだけど、思うように寝れない。
寝れない、だるい、起きていられない、変な時間に寝てしまう、でも熟睡できないで疲れがとれない、という状態。
このところ別のモヤモヤを抱えているので、そのせいで鬱が酷くなって熟睡できなくてだるいのか? なんだかよくわからない。

寝れなくて地味にイライラして、娘に「爪とか剥がしたい」と言ったら、「それはやめてよ」と言うので、「何か痛いことしたい」と言ったら「髪の毛を抜くとかどう?」と言われた。
ちまちま痛いのはイヤだし、歳なので髪の毛は大事だもん、と言って、やめた。

うーん。
緑内障、というのがまずストレスじゃん。「疑いあり」と言われてたから想定内のことだけど、私にとって「目」って商売道具じゃん(体調が戻ったら、勉強しながら働くつもりでいる。とりあえず今の私にできる仕事って、やっぱこれまでやってきたこと関連になる=目を使う、じゃん)。
日常生活に支障がない、と言われても、仕事に支障が出ると困るもん。
ガッカリするよ。十分。

そのことの上に、薬が変わるって調整するのにすごい時間かかるしその間の心理的・身体的負担を考えたら、もう勘弁してよって思うし。

今までだって生活がガタガタだったのに、それを調整して立て直せるの? もう気が遠くなるよ。

今週、学校あるのに、こんな生活時間ぐだぐだで精神的にまいってて、大丈夫なの、自分。
不安だ。マジ、爪剥がしたい。


あー。

2011-07-15 00:22:46 | タラの日記
去年の春、ドライアイで眼科にかかった時、視神経に変形が見られるので定期的に検査を、と言われて、半年ごとの検査を受けていた。
今日(もう昨日だけど)、眼圧は正常だけど前回に比べて明らかに視野が欠けてきている(3分の1ぐらいは欠けている)、という結果が出て、「緑内障です」と診断が下った。
前回、前々回と、それほど欠けていなかったので、検査結果を見せてもらってちょっとビックリした。
とりあえず点眼治療が始まったのだけど、なんか地味にショック。

濃い日々。

2011-07-11 01:05:20 | タラの日記
金曜は学校、土曜クリニック、日曜(今日)は姪(夫の姉の次女)の結婚式、という、なんだかハードな3日間を過ごしました。
なんというか、身体もしんどかったけど、それぞれの場所での感情の揺らぎみたいなものが大きく、「濃い」感じの3日間で、いろいろなことを感じ、考え、ちょっと整理ができずにいます。

一つ思ったのは、「私の心には、撥水加工がなされているのでは?」という疑惑。
恵みの雨は降り注いでいて、それは昔から変わらずそうであり、私の心がそれを弾いていたのかもしれない。

生育環境は満足できるものでは決してなかったけど、出会った人たちの中に、私を思い心配してくれる人はいろんな場面で存在していて、私がその気持ちを受け取れなかっただけなのかもしれない。

一昨日、学校のクラスのみんなの前で、ふと「自分は『負の感情を出すのは悪いこと』と叩き込まれて育ったので、愚痴や不満を口に出すことが苦手です」と言い、未だに親の影響を受けていてうまく感情表現ができないことを話したら、帰りに「でも、感情表現をしているタラさんは素敵だよ」と声をかけてくれたメンバーがいて、嬉しかった。

昨日は、主治医の先生が、17年にもわたる治療でいっこうに進歩していないような気がして落ち込んでた私に、「過酷な幼年期・青年期を過ごし、その後もたくさん苦労をしてきた。その分、回復には時間がかかるものだし、その中で自分をなんとかしなくちゃと頑張って、学校に入ろうと決意するまでになったんですよ。それは回復してきているということですよね」と言ってくれた。
支えてもらうことも、甘えることも、必要なことだと言ってくれた。私が先生に執着(依存?)していることも、悪いことではないと教えてくれた。
先生は、私にとって学校が負担になっていないか、すごく心配してくれている、ということもすごくよく伝わってきた。

今日の結婚式でも、私は夫亡き後、自分は夫の親族とは他人なのかなって、いつも微妙な気持ちでいたんだけど、義姉たちはずっと「きょうだい」として私を大事に思ってくれてることが感じられた。
披露宴のテーブルに、招待された人それぞれへのメッセージが書かれたキャンドルがあって、私の分のキャンドルに「タラおばちゃん(の次にハートのマーク)」という書き出しの後、感謝の気持ちが綴られていた。
これまで、夫の親族には(姪や甥にも)ずっと「タラさん」(いや、本当は本名に「さん」付け)と呼ばれてて、キャンドルを見たとき一瞬、「へ? おばちゃんかい?」と地味にショックだったんだけど、新郎新婦の赤ちゃん時代から出逢いまで、そして二人一緒の楽しそうな笑顔のスライド写真を見ていて、なんだか涙が出てきた。
私たち夫婦の結婚式の時、彼女(姪)は義姉のお腹の中にいた。
生まれた時から知っていて、育っていく彼女を折々に見ていた。
私は「ダンナの姪」と思ってどこか他人の目で見ていたかもしれない。
でも、彼女の目からは、私は「小さい頃から知っている『叔母ちゃん』」だったのだ、と思ったら、「ああ、親戚なんだ。他人ではなかった」と、不思議な感慨があった。
私は受け入れられていたんだ。ずうっと。

人に思われている、心配されている。これまでもそうだったのだろう。
今もだけど、私はその「人からの思い」を、本当に心の奥から実感することができない。
「撥水加工」とはそのことだ。
人の温かい気持ちを、受け取る(満たされ、温かく感じる)ことができない。

でも、今日あらためて、そのことに気づいたし、そういう自分を知った。
これから、と思うことにする。焦らず。

濃い日々を過ごした。
人とつながっている(らしい)ことを、「誰からも愛されていない」わけではない(らしい)ことを、ぼんやりと感じた。

恵みの雨は確かに降っているんだ。
それを身体中で受け止めて、温かい雨でずぶ濡れになって笑える日が、いつか訪れるかな。
それまで生きていくよ。

また長々と愚痴ですが。

2011-07-05 23:24:40 | タラの日記

今日は遊んだー!
日曜に姪の結婚式に行くので、銀行にご祝儀用の新札を下ろしに行き、黒い靴を買い、まあちょっと探したいものもあったのと気分転換のためもあって、町田(ローカルだわ!)まで行ってきた。
ハンズに行きたかったのだけど、ハンズにたどり着く前に下のほうのフロアであちこちに目が行ってしまい、もうほんと、気の向くまま、大好きなアクセサリーやら雑貨を好きなだけ見て回った(買ったのはちょっとよ)。
ハンズも隅から隅まで見て(と言っても、町田のハンズはビルの2フロアだけなんだけど)、「わー」「こんなものまであるんだー」と独り言を放ちつつ(あやしいオバサンです)、くたくたになるまで歩き回った。
町田は母とよく行くのだけど、「一人だとゆっくり見れるのにな」っていつも思いながら、でも一人だと「別に用もないし乗り換えもめんどくさいし」って結局なかなか足が向かなくて。
今日はほんと、自由気ままにショッピングを楽しみました。満足。

でもなー。
こういう滅多にないウキウキ気分の日に限って、そういう気分をぶち壊すようなことがあるのよ。
気分よく「逃走中」を見てたら、母から電話で、また「武蔵小金井から行ける範囲で、手芸用品をいっぱい扱ってる大きいお店をインターネットで調べて」とかいう、例のごとくめんどくさい頼まれごとを引き受けるハメに。
私「なんで武蔵小金井? なんで手芸用品?」
母「Eちゃん(母の姉の娘。私の6歳上の従姉だが、もう45年ぐらい会ってないし、いじめられた記憶しかない)が手芸教室をやってるの。来週、高松から東京の武蔵小金井の娘のところに来るので、そのときに手芸用品をいろいろ仕入れて帰りたいんだって」
私「Eちゃんはネットやらないの?」
母「パソコンは苦手らしくて、調べものはお友達に頼んでるらしいの」
私「じゃあ、そのお友達に調べてもらったら」
母「だって、高松のお友達なのよ? 東京のお店なんて調べられないじゃない」
私(…はあ?)「あのね、どこに住んでいようが日本全国のお店が調べられるのがインターネットなんだよ!」(ちょっと強い口調)
母「え…。だって、高松のお友達なのよ? 山手線とか言われたってわからないでしょ! 土地勘がないのよ!」

あの、私だって武蔵小金井とか、土地勘ないんですが。
多分、Eちゃんに「タラに調べてもらっておくわよ」とかいい顔したくて言ったに違いないのだ。
昔から、私の意向も都合も何も考えずに「タラがやってくれるから」と勝手に決め付けてて、私がいい返事をしないと逆ギレ。
なんだ、この人。
反論するのもめんどくさくなり、「わかったわかった」と言って調べた。
最近はネット通販が多いから、店舗を持ってるところを探すのに苦労した(博多のお店とかひっかるし! だから、ネットは全国なんだってば!!)。
結果、蒲田のユザワヤ、新宿のオカダヤ、あたり?と思い、武蔵小金井からの行き方も調べてメール。
ソッコー電話がかかってきて、「このメールをEちゃんに転送するのってどうやるの?」
母のケータイの機能がいまいちわからず、息子に代わってもらい、息子がいろいろ説明したんだけど、どうやら母のケータイには転送機能そのものがないことが判明。
「わかった。私が直接Eちゃんにメールするから。アドレス教えて」と言ったら、「知らない」って…。
アドレス知らないのに転送するつもりだったんだー。やれやれ。
結局「電話で言うからいい」とのこと。最初からそうしろよ。

この間、高松の実家(母の)に帰る(母が)とき、「高松まで新幹線だといくら? シニア割引とかある? 一日何本ぐらいある? 飛行機だとどう? インターネットで調べて」と頼まれて、結局飛行機のチケット予約までさせられて、「なんなんだー」と思ってたら、母が姉にその件で叱られたらしく、後日「パソコンで調べたり予約したりってすごく大変なんだってね。もうめんどうな頼みごとはしないから」って。
つい1か月前なんですが。お忘れでしょうか。

まあ昔から、娘のもの(手間とか時間とか技術とかまでも)は自分のもので自由に使えると勘違いして、娘には娘の都合とか事情とかあるんだと理解できなかった人だからしょうがないか。
夫が生きてたときはちょっと遠慮してくれてたのに、いなくなったら「もうこっちのもの!」っていう感じが見え見えで、こんなこと言ったらいけないんだけど、もしかしてあんた、私の夫が死んで喜んでる?って思ったこともたびたび。

ああ、いい日だったのに、こんな汚い愚痴を書き連ねてしまったわ。
こんな自分もいやなんだけどな。
お友達は、お母さんが最近ちょっと具合がよくなくて、そのことをすごく悲しんで心配してるっていうのに。そういうのが大人なのに。
ま、外では母の悪口は言わないよ。がんばってもそこまでだなあ。
ほんと、子ども(母)が子ども(私)を産んで、その子がまた子ども(私の子どもたち。中身はどうかな)を産んで、みたいな感じですな。

長々愚痴を言いました。スミマセン。
ではまたね。
おやすみなさい。

 


Mother。

2011-07-03 21:01:03 | タラの日記
「Mother 」のDVD を最後まで見終わった。
涙、涙だった。
田中裕子さんが娘を捨てた理由が、家に火を放ちDV夫を死なせた罪で刑務所に入ったことだったのもビックリだったけど、わずかな回想シーンでわかったのは、火をつけたのが娘のほうだったこと。
幼い娘に「あなたは何もしていないのよ、全部お母さんがしたことなの。あなたは忘れなさい」と言いながら手をひいて逃亡した末に逮捕され、一切を自分の罪として罰を引き受け、30年後に再会した娘にも自分からは名乗らず、決して母親ヅラしないで、陰で娘のことを自分の命をかけて支え続ける。そういう母親だった。
娘に非難されても、一切言い訳をしなかった。自分にできる手助けを、感謝されなくても黙々とし続けた。

これが母親というものだとしたら、私はなんてわがままで自分本位だった(今も)ことか。
いつも自分のことしか考えていなかった。
不満ばかりを抱えていた。
子どもの立場から物事を見ているつもりで、自己満足していた。
薄っぺらな気持ちで、いい母親やってると自惚れていたんだ。

お母さんってすごいものなんだな、って思った。
無償の愛情、そして並々ならぬ覚悟。それを目の当たりにして、いろいろなことを考えた。

子育てはもう卒業、自分の人生を自由に生きるんだ、と思ってた。
親が自分の人生を大切に生きることは勿論、大事なことだと思う。
でも、親って「終わらない」んだな、って、認識を新たにした。
子どもをいつまでも子ども扱いして干渉するのはあり得ないけど、何か一大事が起きた時、子どもの心を支え続けられる存在でありたい。

なんかもう、いろんな登場人物の愛情や苦悩がそれぞれに深くて、胸がいっぱいになった。
すごい。の一言だ。
心の中でずっと大切にしたいドラマになった。
ああ、本当に、成長しなくては。

希望。

2011-07-02 23:50:17 | タラの日記

クリニック行ってきた~。
自分の社会性の低さ、人間関係の下手さについて、グダグダ愚痴を言った。
小さい頃から家庭で自分の思ったとおりのことを言うと母に罵倒され、姉に馬鹿され、学校で素のままで何か言ったりやったりすればいじめられ、「自分を出すとろくな目にあわないな」と学習した。
集団に溶け込めない、交じれないことを嫌というほど自覚して、そこから逃げて、結婚後は在宅やフリーの仕事を転々。
人に交じって働くのは無理だと思ってそうしてきたんだけど、それって逃げてきたってことでは? だから成長していないのでは? 等等。
自分のことを「ワガママ、問題児」と言ったら、「それって自分自身にたいして誠実っていうことだよね」と先生は言ってくれた。
過去がこうだった、だから…と言い続ける私に、先生は「感情を押し殺すのでなく、爆発させるのでもなく、相手の反応を見ながら、相手の意見も聞きながら、自分を主張する、ということが、これからできるようになりますよ」と言い、「だって、自分の意見を言えてよかったって思った経験ないもん。いつも嫌な思いするもん」と口を尖らせたら「言えてよかった、っていう体験を、これからすればいいんです。これからできますよ」と言ってくれた。
「いじめられたのは子どもの頃の話。今のあなたはたくさんの人に愛されていますよ。自信を持ちましょう」と言ってくれた。
「これからできる」「今からでも大丈夫」っていう言葉は、私の心を明るくした。
人生のすべてがダメになったわけではない。未来は変えられる。未来は私のものなんだ、と思った。

帰りにデパートに寄ったんだけど、節電のためか冷房がきいてなくて、汗がダラダラ流れて、頭も痛くなって、気分が悪くなってしまった(でもなんだかんだ買い物はした)。
フロアによってとかコーナーによってとかで涼しさが違うとかは勘弁してほしい。暑いのも嫌だけど、温度差で具合悪くなる。
10日に姪(義姉の娘)の結婚式があるので、フォーマルのバッグとかアクセサリーとかを買った。スーツはこの間ネットで買ったのだった。おめでたい席なので、ちょっと華やかにしたかったんだけど、親族だし歳も歳だし(私が)、もうヒラヒラした服でそういうところに出るのはちょっとなあって思って、控えめに黒のワンピ+グレーの七分袖ジャケットにした。
バッグも、スパンコールのリボンのついたやつに惹かれつつ、ぐっとこらえてなんでもない黒のバッグを選んだ。
つまんないなあ…と思ったけど、普段はまだまだヒラヒラ着るもんね。

帰り、マジ気持ち悪くなって倒れそうだったんで、駅からタクシーで帰ってきちゃった。家に入ったら、なんだかおさまった。
逆に、「お母さん、妙にテンション高いんだけど、どうしたの?」と息子に聞かれた。私は自覚なし。普通に喋ってたんだけどな。
娘が「寝不足だからじゃない?」と言った。娘の目から見てもハイテンション? どうしたんだ、自分。

夕方6時ごろ、疲れてたので頓服のんでちょっと寝よう…って思ったのだけど、結局眠れなかった。

あ、そうそう。
もうずいぶん前にマイブームで(いや、私だけでなく実際に人形界では大ブームだったのだけど)買い集め、連れ歩き、写真まで取り捲りしてた「ブライス」ちゃんが、今年10周年というのでアニバーサリーモデルが発売されたのよ。
今でもブライスのメルマガが来るので、それで知って、懐かしさと「おお! 10年か!」という感動で涙が出そうになり(夫の死後、私を癒してくれた大切なものの一つなのだ)、思わず買ってしまい、今日届いたのだった。
なんというか、この10年が思い起こされる。感慨というか。ブライスちゃんに、あんなにも支えてもらっていたのだ。あらためて、ブライスちゃんに感謝し、ブライスちゃんにしがみつきながら必死に生き延びた自分に「すごく寂しかったよね、よくがんばった」と声をかけたい気持ちになった。
ちなみに、当時買い集めたコたち(一部、あげたり手放したりしたけど)は、引越しのときにバッグにしまったまま、まだ出してあげてない。近々出して、新しいコと対面させよう。

あ、TSUTAYAちゃんから「Mother」(なんかこの間はスペルを間違えてた! 「Mouther」ってなんだよ??)No.4と5を発送しましたのメールが来ていた。結局No.5は見ないで返して、また予約リストに入れ直したのだ。
これで最後まで見られる。
結末が楽しみです。

これから変われる。今からでも間に合う。
誰からも愛されないって思ってた(子どもたちは私を思ってくれてるけど、私から子どもに求めてはいけないと思うんだ)。
「あなたは一生懸命生きているし、それを表現しようとしている。そこが魅力的だし、人に好かれる人だと思いますよ」と言ってくれた先生に感謝。
私は自分のことをまだ自分で肯定できないので、そばに肯定し続けてくれる人がいるって本当にありがたい。
方位磁針、かな? 私が自分を見失っても、自分に帰れる道をいつも示していてくれる、お守りのような人。
いつか私は自分の方位磁針を持つんだ。自分で「どっちが北?」とかって自問自答しながら、歩いていくんだ。希望を捨てない。