新年度のことしか考えてなかったけど、この1年のことが思い起こされ、先生からの長いコメントもあって、「ああ、1年がんばったんだな」って、しみじみ感じました。クラス全員が皆勤賞でした(こんなことは珍しいそうです)。
また1年、がんばろう。
額に入れて飾りたいぐらい、うれしい。
ガッツポーズ。
昨日はいつものクリニックで先生と話してきた。
人から「もう何も心配しなくていいんだよ」と言われる夢を立て続けに見た、という話をして、「そんなこと言ってくれる人いないし。私だって人にそんなこと言えないし。だって、どんだけ背負えるんだよって話でしょ」と言った。
そうしたら、診察(面接)の最後に握手しながら(いつも私のお願いで握手してもらう)、「私がまた1週間過ごせるように、何か言って」という私のわがままに応えて、先生は「何も心配いりませんよ」と、しっかり顔を見ながら言ってくださった。
びっくりした。
足腰がまた痛かったのと頭痛と、外出時に周りの人の声が頭にがんがん響いてきてこわい(ヘッドホンしてるんだけどそれより響く)、などといろいろ不調があったのだけど、なんかそういう何もかもが吹っ飛ぶぐらい、先生の「何も心配いりませんよ」は嬉しかった。
私って単純。
足は、念のため足首用のサポーターを買ったので、それをつけているとほとんど気にならなくなった。
外出時のために、頓服の安定剤を出してもらったので、昨日はそれをのみながら帰って、今日ものんでから買い物に行った。今日のスーパーは混んでいたけど、薬のおかげかパニクらなくてすんだ。
ただ、昨日の帰りにお昼ゴハンと思って寄ったパン屋さんで、ちょっとびっくりすることがあった。
パン屋さんがけっこう混んでて。
2人席(カウンター席はないので)に座ってパンを食べてたら、知らない女の人(私と同年代かちょっと上か?わからないけど)がいきなり来て「ここ、いいですか」と言って、私が顔を上げるともう向かいに座っていた。
はい?(←心の声)
「合席で」と彼女は言うと、携帯をいじり始めた。
うーん。
まだいいって言ってないよ。
ふだんだったら、こういうとき私は決して嫌な顔をしない(できないし)人間だと思う。席がなくて困ってる人がいたら、むしろ「よろしかったらここにどうぞ」と言うほうだと思う。
ただ、昨日はちょっとタイミング的にまずかったというか。私は外界の人の声が侵入してくる症状がまだおさまる前だったので、とてもこわかったのだ。
で、固まってしまった。
正直、「頼むからあっち行ってよ!」とわめいて突き飛ばしたい衝動にかられ、それを抑えるのがたいへんだったのだ。
なんとかコーヒーだけ飲み終えて、私は愛想笑いもできず「ごゆっくり」と棒読みで言って立ち去った。
ああ、せっかく診察室を出たままのいい気分で帰れると思ってたのにな。残念。
と、まあちょっと愚痴ってしまいました。元気なときは心の広い(?)対応ができるんだけど、具合が悪いときもあるんだよ。って、そこまで想像してほしいって思うのはあつかましいって思うけど、ちょっとわかってほしい甘えもあって。すみません。
では、今日はこのへんで。
またね、ごきげんよう。
さっき郵便受けを見に行ったら、放送大学から「入学許可書」と「入学者の集いのご案内」というお便りが届いていた。
4月8日(日)の午後、渋谷で(私の所属学習センターが渋谷なので)「入学者の集い」なるものがあるとのこと。
学習についての注意や学習センターの利用のしかたなど、学生生活を過ごす上での必要事項を説明するので参加してください、とあった。
それって入学式みたいなもの?
どんな格好で行けばいいんだろ。
こわいなあ。
いよいよ始まる、と思ったら、急に胃が痛くなってきた。頭もがんがんする。
私に学生が務まるのか。
早くも逃げ腰。
どんどん下降していく感じの中にいる。
自分の部屋のベッドで寝ることに新鮮味がなくなったら、何も楽しいことがなくなった。
掃除も片付けも一生懸命やってたのに、どうでもよくなってしまった。
革のペンペースとカステルの素敵な鉛筆を買ったけど、届いてみてもわくわくしないし。
クラスが終わってしまった。しばらく出かけるところもない(お医者さんとか銀行とかスーパーとか以外)。
人に会わないって、こんなに何もかもがどうでもよくなるものか。
友達に困った出来事が降りかかって、その解決を手伝った。
すごく喜んでもらえて、役に立てたことがうれしかった。
友達が「タラさんは優しい、本当の心遣いのできる人」と言ってくれた。
私は優しいだろうか、と考えている。
クラスでも、「優しい」と言ってもらったことがある。
誰かが困っているとき、悩んでいるとき、私に何ができるか、どうしたらいいのか、すごく迷い、悩む。
できることは何か、どうしたら相手は楽になるか。頭がいっぱいになる。ある意味、夢中になって助けようとする。
そこが私の個性でありいいところ、と、主治医の先生が言ってくれたこともあった。
私は優しいだろうか。そして、それは本当に長所であるだろうか。
私が優しい人間でないことを一番よく知っているのは私だ。
人が悲しい気持ちになると、自分が悲しくなってしまう。その自分の悲しい気持ちを解消したくて必死に動いているにすぎない。
自分が楽になりたいだけなのだ。
そして、人の悲しみがそのまま自分の悲しみになるということは、私の問題点であり課題だと思っている。
私は正直、本心ではそういう「人のことを自分のことのように感じる自分」が好きだ。
でも、それがとても危険だということ、本質的には正しいあり方でないということを知っている。
多分、今のもやもやは、そのあたりなんだろう。
午前中、気分転換に少しコラージュをやって過ごした。画用紙に好きな写真やイラストなどの切抜きをただ思うままに貼っていく作業。スクールで2度ほどやって、はまった。
表現することで気分は楽になる。文章を書いたり絵を描いたり歌を歌ったり楽器を奏でたり、何でもいいのだけど、コラージュは「へたくそ」と自分を責めなくてすむ方法だし、気軽に取り組めるという点で気に入っている。
画用紙がなければ手帳の空いているところにちまちまとお気に入りの雑誌の切抜きを貼ったりすると、後で見ても楽しいし、手帳にその分、愛着も増すし。
27日、一日遅れで母の誕生祝いを子どもたちも誘ってすることになった。
祝いたい気持ちがないではないし、プレゼントを選ぶのも楽しかった。ただ、集まって食事をするのが正直めんどくさい。気が乗らない。
そう言ってプレゼントだけ送ればいいのだけど、楽しみにしている母のことを思うと、とりあえず私が我慢して行けばいいんだから、と思ってしまう。あーあー。これまでのパターンじゃないか。進歩ないなあ。
まあ、そんなふうに、さえない気分の中で暮らしているけれど、なんとかこの重苦しさを打破しようともがいてもいる、というところです。
ではまたね。
ごきげんよう。
父が亡くなって以来、命日に母と姉と3人で食事会をするのが恒例となった。
今日、その食事会を、横浜でしてきた。
姉は一昨年の癌の闘病がうそのように(とは本人は思ってないだろうな。不安もあるのかもしれない。ここは一応、はたから見て、という意味で)元気になってて、相変わらずかわいくてお洒落で細くて、昔は洋服の借りっことかしたのになあ(いつだよ?)って感じ。
もともと似てないので、まあ姉妹には見えません。
あーあー、姉に会うたびに、普段はあんまり意識にのぼらなくなってきた容姿コンプレックスが頭をもたげてくるのよ。人間は見た目じゃない、ってわかってるんだけど、正直、やっぱかわいく生まれたかったなあ(せめて痩せよう、と決意をあらたに)。
いや、こんなことを書くつもりじゃなくて。
母とは珍しくしばらく会っていなかった。暮れに会って、暴言とも言えるような毒を吐かれて、私はもうあなたの支配下にはいないのよというつもりで初めて自分の意見を言った。
そしてそれ以降、一度も会っていなかったのだ。
だから、今日、母に会うことに不安があった。あの一件がうやむやにされ、自分の意識もなしくずしになり、またもとの関係に戻ってしまったら?って。
でも、今日の私はブレなかった。他愛ないおしゃべりのなかでも、これまで相槌をうつしかできなかったのが、「うん、でもそれはこうじゃない?」「私はこう思うなあ」って自然と言えたし、態度も声の調子も、きっとこれまでとは違ってた。
母に会って別れた後、いつもはすごくつらくなって薬をのみながら帰るのだけど、今日はそれもなかった。
今月下旬に母の誕生日があるので、そのときにゴハンおごって、と言われて、まあそれは断れなかったけど、誕生日なんだからそのぐらいしてあげるかな、とも思ったし。
「親孝行しなくっちゃ」ってどこかでずーっと自分にプレッシャーかけてきたけど、今日思ったのは、別に母にべたべたやさしくしなくてもいいのかもしれない、ってこと。
私は私のできる範囲のことしかできないし、しなくていいのかもしれない。
私は親として思うのは、子どもが生き生きと生きていて幸せでいてくれることが一番の親孝行ってこと。
それって母と私の関係でもありなんじゃないか。
私が自分らしく生きて幸せをつかむ姿が、親孝行なんじゃないか。それを母は、喜んでくれるんじゃないか。
そんなふうに考えながら帰ってきた。
帰ると郵便受けに、放送大学からの合格通知が来ていた(すみません、大学に行く行くとふれまわっていましたが、正式にはまだ決まっていませんでした)。って、まあ書類が揃ってればおそらく不合格にはならないと思うけど。
それでも「いよいよ大学生だ」って思うと、うれしかった。
明日、学費の払い込みに行く予定。
今のスクールの来年度のクラス申込書も、今日、投函してきた。
春が来る。
がんばろう。
おととい、カウンセリングスクールの今年度のクラス最後の授業だった。
全員が新年度同じクラスに進むわけではないので、抱き合って号泣かな…と予想していた。
でも、多少うるうるはしたけど、みんな冷静な感じで(心の中はわからない)解散した。
思うのだけど、「この絆は消えない。まだまだ続いていく。また会える」ということを、みんなが強く思っていたから、信じられるから、取り乱すことなく別れられたのかな。
とはいえ、私は帰りに一人で電車に乗る気になれず、解散した渋谷駅からぶらぶら西武に行き(「せいぶくらふと」で見たいものがあったのだ)、その後ロフトに寄って自分をあやすかのようにいろいろなものを見て回り、散財して、帰宅したら9時を回っていた(スクールは5時に終わったのに)。
昨日は疲れてぐったりだったけど、クリニックへ。
スクールのクラスでは明るくて元気で前向きな私だけど、そしてそれも素の自分だし疲れることはないのだけど、クリニックでの私はまた違って、甘えん坊で寂しがりやで不安ばかり抱えている私なのだった。主治医の先生にしっかり受け止めてもらって、帰りはちょっと笑顔が出た。
クラスのメンバーでメールをくれた人もいて、うれしいあったかい気持ちになった。
疲れていたのに昨日も帰りにあちこちショッピングに寄ってしまい、自分はやっぱ買い物依存傾向があるなあ(最近ひどくなってるなあ)とため息をつきながら帰った。
帰ると玄関に山のようなダンボール箱が待っていた。
ベッドが組みあがったのでその下に入れる引出し式の収納BOXを4つ、床に敷くラグと長座布団(というとなんかイメージが違うな、ぺたんこクッションの長いやつ)をネットで買ったのが届いていたのだった。
そのままだと家族の生活に支障が出るので、休む間もなくダンボールを開けて部屋に運び込み、部屋のごちゃごちゃをその中に整理してしまって、というのを夜中までやっていた(途中ゴハンは食べた)。
そんなわけで、おととい昨日と出かけて遅くまでふらふらしてて尚且つ部屋の片づけをしたりしてたので、今日はもう動く気になれません。はい。
スクールの新年度の申込書を書こう書こうと思いながら、まだ書けないでいます。
今なら読めると思って本棚から抜いてベッドに置いてある『ロジャーズ選集』も、ちょっとかじっただけ。
おとといのクラスで先生が配ってくださった本のコピーに、心にとどめておきたい記述がたくさんあって、赤線を引きながら夢中で読んだのだけど、「こういうのを書き留めておきたいな」って思って、昨日、白い新書サイズのノートを買ってきた。
忘れたくない言葉や文章を書いておこうと思う。
「何年かかっても、ゆくゆくは心理職に就きたい」と、ようやく胸をはって言える自分になった。
「ばかじゃないの、無理に決まってんじゃん」と人から思われるのが怖くて、ずっと言えなかったんだ。
もう怖くない。笑う人は笑っていい。
いいカウンセラーになりたいとは思わない。私らしいカウンセラーになりたい。そう今は思っている。
ああ、でも今日はちょっといろいろなこと(考えることも含め)をお休みしたいな。
疲れた。
ではまたね。ごきげんよう。