今日一日だけ生きてみよう

卯月タラの日々のつぶやき

ものすごく長い愚痴&身の上話。

2011-06-28 20:42:09 | タラの日記

明け方眠りについて、朝の9時半に電話で起こされた。
銀行から。
家を売った直後から「資産運用について」といろいろしつこくされてて、たまに支店に行ったりしてた(だって家まで来ちゃうから)のだけど、2名いた担当者のうち1名が異動になったとのことで、先週その新しい担当者から「ご挨拶したいのでご来店ください」と言われて、「今、体調がよくないので」と断ったのだった。
今朝はもう1人の女性のほうの担当者からの電話で「今回、異動がありまして、新しい担当の者が是非ご挨拶をと言っているので」というので、「そのお話はこの間お聞きしましたが、今、体調が悪いのでと申し上げたのですが」と返すと、
彼女「熱中症ですか?」(←は?) 
私「違います」
彼女「え、じゃあどこが悪いんですか?」
私(去年「うつ病だから仕事を辞めて家を売却した」と言ったじゃん!と思いながら「うつが悪くなって」
彼女「何があったんですか?」
私「何もありませんが。失礼します」
…って会話だったのだけど、「あんたと私はお友達なのかい?」って感じでしょ。
なんで銀行の人にそこまで聞かれなくちゃならないのって。
どこが悪いか言ったら治してくれるのか?
とても気分の悪い朝だった。

昼間、TSUTAYAから借りたドラマDVD「Mouther」の3枚目(第5・6話)を見た。
1枚目から泣きながら見てたんだけど、本当に胸にぐっと来るドラマだ。
芦田愛菜ちゃんもものすごく可愛くて健気だし、松雪泰子もいい。
でも、私が一番、切ないほど感情移入してるのは、松雪泰子さんの実母役の田中裕子さん。
どんな事情で実の娘を捨てたのか、まだわからない段階なんだけど、それにしても哀しいほどの娘への愛を、黙っているがゆえに余計に、痛々しいほどに感じる。
高畑淳子さんの直球の愛情もすごい(じつは私はこの人のファンなんです。月9にも出てたよね。もう大好き!)。
松雪泰子が演じる「奈緒」さんは、実母に捨てられるというものすごい辛い体験をしたし、その深い傷は消えないものなのかもしれないけど、でもなんだか私から見たら、こんなに深い愛を持ってくれてる2人の母親がいることが羨ましい。

で、2枚送られてきたもう1枚を、てっきり続きだと思って出してみたら5枚目(第9と最終話)じゃないすか!
まとめてリストに入れた私が悪かったんだけど、4枚目だって在庫100%なんだし、なんでそこをすっ飛ばして5枚目が先に届くかな。
もう~、TSUTAYAちゃんキライ!

なんか、父と喧嘩したなあって、急に思い出した。
父と初めて口をきいたのは、姉の結婚式の帰り(私は18歳)だったと記憶している。
生まれてからずっと一緒に暮らしてたけど、父の目には姉しか見えてないみたいで、私はどうやら18歳まで透明人間だったらしい(母にはいつも怒鳴り散らされてたから、母の目には見えたのね、なぜか)。
私は私に何の関心も持たずに父娘関係18年分をドブに捨て続けた父を父とは思っていなかったので、関わり合いたくなかったが、姉が出て行って3人になってしまうと、何かと話しかけられた。
社会人になってから一人暮らしをするまでの2年ぐらいの間、父と何度か怒鳴りあいの大喧嘩をした(そのたびに母が泣いたり翌日になって母が高熱を出したりしてたので、加減はしていたのだけど)。
姉に言うと「パパにそんな口をたたくなんて信じられない~! 私には一生できない!」と言ってたけど、私にとっては恩も何も感じない相手だった(食べさせてもらった、学費も出してもらった、と思えば恩知らずなんだろうけど、お金さえあれば子どもは育つと??)ので、何の遠慮もためらいもなく、思ったことはすべて(過去のことは言ったことない。そのときのことだけだ)ぶつけた。
言い負かされて泣いたなんてことは1度もない。父をこわいと思ったこともない。
姉は父に溺愛されて育ち、父を尊敬しまくっていたけど、私にとって父はただの同居人のオッサン、エリートだったとかイケメンだったとかはどうでもいい、誇りに思ったこともない、そういう人だった。
父は5年前に亡くなっている。

子どものころ「パパは私をいらないんだな」と胸に刻んだ。期待しないと誓った。
それでも心の奥でずうっと恨んでいた。
今は父を恨んでいない。
多分、30年前に大喧嘩した記憶が、今、なんとなく思い出になっているからなのだろう。

母とはやり合えないので(母は私を支配し続け、私はいまだに母のことはこわい)、父にぶつけたようにはできない。
父への恨みは自覚があったが、感情的に娘を振り回し、脅し、威圧し、時に泣き落としという手を使う母に、不思議なことに私は「愛されて育った」と30代で初めてカウンセリングを受けるまで、信じて疑わなかった。
父の、子どもながらにもわかる明らかな否定に比べて、母の支配は「あなたのため」という名目に隠れていて、ずうっと私は気づかなかった。
母自身、今も気づいていないと思う。

母との関係が、これまでも今も、私の人生に暗い影を落としている。っていうか、いろんな場面での私のあり方の問題はどんどん広がってる気がして、母のことをきちんと整理しないといつまでも自分がぐらぐらし続けるということはわかっている。

姉は、ちゃんと(?)ものすごい反抗期をとおって未成年での喫煙と過剰な飲酒、万引き、家出などの末に「できちゃった婚」(35年前では考えられなかった)、すぐに離婚、と、さんざん親を泣かせてきた。姉の高校のころは、家の中が荒れ放題で、母か姉かあるいは両方の怒鳴り声が起きている間じゅう響きわたってて、私は両方の愚痴を聞き、泣いていれば慰め、泥酔した姉(高校生なのに?)を部屋におぶっていき吐いたものを片づけ、というような毎日を送っていた。
私、自分のパーソナリティ障害は診断書で「中学2年時発症」と知ったけど、まあそんな環境だったなあ、ってことか。
そんな姉を見ていて、そして母に「あなただけはママを裏切らないでね」と泣きながらすがりつかれて、「自分は親を泣かせるわけにいかない」と思いながら、結局母には一度も口答えすることなく(もちろん反抗期なんてなく)大人になった。

反抗しまくってた姉は、大人になって子どもに暴力をふるったり、飲酒でトラブルが絶えなかったりしたけど、母のことは「こわい」とは思ってなくて、言いたいことをガンガン言っている。
多分、恨みも根深いものではないように思われる。

まあ結局私は「反抗できなかった」ではなく「反抗しないことを自分で選んだ」のだから、そういう道を選んだ自分に責任がある。
それで今さら母を恨んだりするのは間違ってる気がする。
恨んでるなら、今からだって、母に「あんたは酷い母親だった。私の子ども時代を返してくれ」とか言えばいい。
でも、私はやっぱり嫌だ。小さい頃から怒ってる母、冷たい父(そして2人は不仲)を見て、喧嘩とか大きな声、人を責める言葉、険悪な空気、そういうものを、ものすごく恐れているし嫌悪している。
そういう、感情がむき出しになった醜い人間のやりとりは、気を失うほど嫌いだ。

76歳にもなった母に泣かれるのも嫌だ。
タラだけは私に逆らわないいい子に育った、という幸せ(偽だけど)を、墓場まで持って行ってもらいたい。

答えは出ているじゃないか。母に恨み言は言えない。言いたくない。
言わない。

でも、自分を、どうしたら?
こんな「壁の薄い」「こわれそうな」「刺激に敏感で痛々しい」(いずれも主治医の先生の言葉)私を、どう成長させていけばいいのか?

長々すみません。
愚痴&身の上話でした。
読んでくださった方、「どんだけ長いんだよ! このヤロー!」って思ったかな、ごめんなさい、ありがとうございました。
おやすみなさい。

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イベント。

2011-06-26 17:05:02 | タラの日記

実は昨日今日と2日間にわたる必修講座があり、金・土・日と3連続で学校に行くところだったのですが、ちょっと体力・精神力ともに自信ないなと思って、主治医の先生に先週相談したところ、「今回はパスしましょうか」ということだったので、昨日はいつもどおりクリニックに行き、今日はお家でだらだらごろん、のはずでした。
それが、なんと朝から浜松町のイベントに出かけてきました!(それなら学校行けよ!)

「くーやはうす」という、あみぐるみを載せてるサイトがあり、娘がそこのあみぐるみをネットで前から見ていて、すごくカワイイ作品をいつもブログにアップしてる、という話は聞いていたのですが、ブログだけだった「くーやはうす」がネットショップを始めて、作品を売ることになったんです。
で、オープンの日に、「あ、お母さん、クマがいるよ」と娘。
クマ大好きな私は娘の隣にすっ飛んでいき、一緒に見てみたら、なんと私の目が1匹のクマに釘付けに。
「クランベリ」という名前の、その名のとおりの色合いがきれいで、カワイイクマちゃん。
即、購入申し込みをしました。
作者さんが「初めてのお客さんです」ととても喜んでくださって、心のこもったお手紙を同梱してくださったので、ネットでお礼を言いました。

今回、浜松町のとあるビルで行われるドラクエの同人誌即売会に、なんとその作者さんが同人誌でなくドラクエのモンスターのあみぐるみで参加するというので、「行けたら行きたい」と思っていたのです。

娘には「コスプレとかした人がいっぱい集まるオソロシイ場所だよ(やめたほうが…)」と止められたんだけど、前にイベントに出して好評だったらしいし、彼女の作るドラクエモンスターってどんなんかしら?と興味津々でした。

朝、起きられたので、「よし!」という気持ちになり、そっと一人で家を出て、浜松町の会場へ。
行ってみたら、コスプレしてたのは(たまたまそのときは、だったのかな?)受付のお姉さんだけで、お客さんも売ってるほうの人もふつうの格好でした。

そして、クマの作者さんとご対面、ご挨拶。
「卯月です」と言っただけで、「あ! クマの!」とわかってくださって「覚えててくれたんだな」とうれしくて。
そして今日は、ドラクエのキャラ(モンスター)のあみぐるみをいっぱい売っていました。
ドラクエは、私も一時期ハマりにハマったゲーム。子どもたちも大好きなものなので、娘の大好きな「しびれくらげ」2個と、「スライムナイト」「メタルライダー」「キングスライム」各1個を買いました。
あみぐるみといっても、今日のはマスコットサイズです。
娘の念願の「くーやはうす」のしびれくらげが手に入って、ほっ。
私のほしかったスライムナイトも買えて、うきうき。
ご挨拶して別れました。

帰り、新橋で乗り換えるときに地下で迷ってしまい、何やら可愛らしいアクセサリーや雑貨を売ってるショップが並んでるところに行っちゃって、帽子やらサングラスやらピアスやらを買い、散財。くー。

雨なのに、買った帽子をかぶって帰ってきました。もうぐったり疲れて、駅からバスに乗っちゃった(徒歩10分なんですが)。
帰って、娘にくらげ2個(1個はなくしたときの予備)を渡し、「きゃー」と喜んでもらい、息子にメタルライダーをあげて(そこそこうれしそう)、自分の携帯にスライムナイトをつけて、キングはみんなのものとして飾ることに(ちょっと大きいのだ)。

落ち着いたらすっかり眠くなってしまい、これを書くにもキーを打ち間違えてばかりです(本当は携帯から更新のつもりで書いてたら、ふとした瞬間に送信ボタンを押してしまい…多分一瞬寝てた。で、あわててパソコンで書き足してるのだった)。

初めての場所に、遊びに行く、というのが最近はなかったことなので、なかなか楽しかったです。でも浜松町でちょっと寄ってみたポケモンセンターが、よい子のみなさんと親御さんで溢れ返っており(そういえば日曜だ)、おまけに私のわかるポケモンはピカチュウぐらいしかいなくて、子どもたちとお風呂で「ポケモンいえるかな」とか唄ってた頃はもう遠い昔なのね(新しいポケモンはわからん)って感じでした。

そんなわけでお出かけの一日でした。お疲れ、自分。
もう何もできません~。夕ご飯はパスタだ。
ではまたね。

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誕生日。

2011-06-25 20:31:12 | タラの日記
今日、誕生日を迎えました。
メールやカードをくださった方、こんな荒んだ私のために、どうもありがとうございました。
それから、そっとしておこう、と何も行動せずにいてくれた方たちも、ありがとうございました。
どちらもとても嬉しかったです。

素直な気持ちで生きていこう、と思います。

ケーキとお花(普段お花は苦手で買いませんが、駅前のお花屋さんの店先に絶妙な佇まいの花束があって)を買って(なんで自分で買ってるんだ?)帰って、子どもたちからカードとYUI ちゃんのCD をもらって、3人でお祝いしました。

これからどんな1年が待っているのかな。
私は「自己」を築いていけるのかな?
自分を育てていけるかな。
そうだといいなと思います。

ではまたね。
おやすみなさい。

封鎖してたコメント、解禁します。
みなさん、いろいろわがまま言って、すみませんでした。
時には優しく、時には意地悪な、このままの私でいきます。
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感謝。(長文ですが)

2011-06-20 00:52:48 | タラの日記

お世話になってるカウンセラーさんが昔、言ってた言葉。「人は人によって傷つけられる。でも、人を癒すことができるのもまた、人なんだと思う」

一昨日の土曜日、いつものクリニックに行ってきた。心に渦巻いてる「怒り」の感情を、どうにもできずにいる、と訴えた。とにかくイライラがおさまらないので、薬を増やしてもらった。
「私は多分、人に対して要求が大きいんだと思う。言えないことを察してほしいと期待してしまう。どうしてこんなに人に要求してしまうんだろう?」と言ったら、先生が「『察してほしい』っていうのは、もともとは赤ちゃんの頃にみんなもってるものだよね。赤ちゃんは泣くしかできないから、親がいろいろ察してあげないといけない。小さいときに親に十分に察してもらえなかったから、その気持ちが今でも残ってるのかな」と言ってくれた。

私「親も含め、過ぎてしまったことに対して、今、噴き出している感情、理不尽に傷つけられたという恨みや怒りを、どうしたらいい?」
先生「やっぱり口に出して言うことかな」
私「どこで言えばいいの」
先生「私なりA先生(カウンセラーさん)なりにかな。ここで言っていい。私が聞きますから」

先週、外で一時的に意識が飛んで倒れたこと、朝起きたら口に飴が入っていたり全然記憶がないのに何か食べてる形跡があること、なども聞いてもらった。
「人間は極度のストレスにさらされると意識を失うようにできているからね。それほどつらい状態なんだということですね」
と言ってもらって、最後に「大変でしたね」と言ってもらった。

前夜1時間半ぐらいしか睡眠がとれていなかったので、どうしようかなと思ったのだけど、薬をもらうまで時間をつぶし(自分への誕生日プレゼントにドクロ?の指輪を買っちゃった)、薬をもらった後、ものすごく久しぶりに、不登校の親の会の場所に行った。

じつは、親の会の世話人のNさんに、「気持ちがものすごく荒んでいる。こんな人間不信のまま、自分の運命を呪ったまま、誕生日を迎えるのが辛くて耐えられないのでNさんと話をしたい」と前もってメールをしていた。
「5時まで集まりがあるから、いつもの場所(Nさんがみんなの場所として買ったところ)にいるよ。終わった後でもいいから来られたらおいで」と言ってもらっていた。

夕方5時過ぎに行って、そこに残っていたYさんというNさんの古くからのお友達(私の1歳下で母子家庭で子どもたちの歳も近い。おまけにうつ病で休職中で治療のために通ってるクリニックが私と一緒のところ!!)と、結局夜中の12時まで喋ってしまった。
夕ご飯はYさんが冷し中華を作ってくれて、一緒に食べた。Nさんの手作りの林檎の甘く煮たものや温野菜などもいただいた(Nさんがお土産まで持たせてくださった)。

6時間以上も、何を話したのだろう。なんだかとにかく、食べたり話したり泣いたり笑ったり、ものすごい時間だった。
初めてのYさんともすごく素直に喋れて、盛り上がった。

なんだかその中で、自分が人間であるという感じがつかめた。
ネットの世界にばかりいて、ネットの世界は広いと思ってたけど、私の見ていたネット世界はとても狭かった。
そして生身の人間との触れ合いって、なんか忘れてた。
傷つくばかりで「もう友達なんかいらない。一人でいい」と思ってたけど、やっぱり寂しかった。
NさんYさんと接していて、世界中のみんなが私を傷つけているわけではないのだ、という現実を知った。
「プロの聞き手以外には、もはや私を救うことはできないんじゃないか」と迷った末に訪問したのだけど、もちろんプロの先生にはいっぱい助けてもらってるんだけど、なんか「家族的なもの」に包まれた時間だった。
そこにいて、私はこんな人なんだ、という、なんだか自分の全体イメージみたいなのが見えた気がした。
キャラでない、素の私。
そしてその私というのは、思ったより悪いやつではない気がした。

夜中、Yさんが駅までクルマで送ってくれた。駅に着いて、彼女は普通な感じで「私、15分ぐらいここにいるから」と言った。
「え?」と振り向くと、「だからもし、電車がなかったらクルマに戻ってきて。おうちのほうまで送るよ。しばらくここで待ってるから」と、本当に普通に言った。涙がでそうだった。

幸い電車はまだあって、子どもたちにコンビニで夕ご飯(スミマセン、自分は夕ご飯食べたのに、子どもはほったらかしで。まさか夜中になる予定ではなかったので。そして冷蔵庫をあさって何か自分で食べる、というふうに日頃からしつけ(?)ていないので)とお詫びのしるし(子どもたちへの)のお菓子を山ほど買って帰った。
「本当にゴメンなさい!!」と謝る私に、子どもたち「たまには息抜きも必要だよ。いつも私たちのためにいろいろしてくれてるんだから、たまに遅くなったっていいじゃない」と言ってくれた。

翌日(昨日)は、とにかくぶっ通しで一日寝続けた。

なんだろう、死なないでよかった。
素直な気持ちで誕生日を迎えられそうな気がしている。
いろんな人に傷つけられたけど、いろんな人に支えてもらって、今がある。
ありがとう。

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庭。

2011-06-14 02:38:55 | タラの日記

うーん、なんだかこのところのイライラの酷さって、更年期障害なのか?と、一昨日あたりから疑ったりしている。
でも、よく言われる「のぼせ」「ほてり」「冷え」とかは感じないし、もともとが汗っかきだから汗はダラダラだけどそれじゃわかんないし、感情的になったり被害妄想っぽくなってるのも、もともとメンヘラなのが気候とかの関係で悪化してるのか区別つかないし。
婦人科に行くべき?? 
今度、主治医の先生に聞いてみよう。
メンヘラで更年期の人って、どうしてるんだろう?
なんか心が壊れそうなんですけど。

ブログ書いてるくせに「コメントいらない」と言ってることについて、実は心から申し訳ないな、と感じている。
身勝手だし、それなら公開しないで日記帳に書いてろよ、って、私が訪問者だったら思う。
庭に出といて「こっち見るなよ!」って言ってるのと同じだよね。
矛盾してる。わかってる。

でも、今はわがままを通したいんだ。
まあ、震災でまいってしまい、立ち上がりかけると「善意」「厚意」からの言葉に打ちのめされるの繰り返しで、罵声を浴びるほうがどれだけマシか(だって明らかに相手が悪者だろ。わかりやすくていい)、と罰当たりなことを感じてこの3か月を過ごし、感謝できない自分を呪い、辛くて苦しくて「もう誰も私に話しかけないで。お願いだから黙ってて」と訴えるしか、これ以上自分が傷つかないですむ方法を思いつけなかった、ということなんだけど。

これじゃ説明になっていないのかな。
想像できる範囲を超えてる?
これは私の感覚なので、理解できなくてもいいんだけど、「とりあえず、卯月は今とてもまいっていて、何を言っても神経を逆撫でされてるとしか受け取れないビョーキだから」と、ある意味「放っておける」人が、なんとなく庭に来てくれたら、それがうれしい。
矛盾かな。

ごめんね、みんな。
悪気がないのは重々承知だ。
それでも私はものすごく傷ついたし、今だって応援されたらものすごく傷つくんだ。
私の気持ちをわかってほしいとは思わない。むしろ、正直に言えば「あなたにはわからない」という台詞になる。
いいんだ。わからなくて。わからない、と言ってほしい。それこそが誠実な言葉であり、私にとっての唯一の救いだ。

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ため息。

2011-06-10 21:48:19 | タラの日記
学校行ってきた。
「クラスとセラピーは違います」と、初めての授業で先生がお話されたので、そのことをきちんと守ろうと思ってたのに、ちょっとしたはずみで泣いてしまった。
感情に振り回される自分が、ここ(カウンセリングスクール)にいていいのか、学ぶ資格が自分にあるのか、自信がなくなってきた。

今日は弱気。

生活の中で、上手に気持ちを解放しようと思っているのだけど、ブログで悪態つくぐらいしかできない。
自分をどう扱ったらいいのか、もう半世紀も生きてるのに、どうしてもわからない。
コメント (1)
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カウンセリングについて補足(?)

2011-06-09 01:23:23 | タラの日記

「カウンセリングは魔法」みたいなことを書いたけど、結果的にその日に私が感じた感想で、それはクライエントとしてのものです。

プロの人たちは決して、自分は魔法が使えるなどという勘違いはしていないので、誤解しないでください。

そして、カウンセリングというのは言葉のやりとりという「行為」だと思っていましたが、それは違っていて、カウンセリングというのは、「関係」であるようです。

そのことについては、これから学びます。

とりあえず、明日は学校。

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世界一の不幸。

2011-06-09 00:18:03 | タラの日記

「自分だけが不幸」と思うことは、みっともないこと、恥ずかしいことだと思って生きてきた。
「自己憐憫からは何も生まれない」と、昔、自助グループで教わった。

どんな時でも、「今あるもの」を数えて生きる、日常の小さなことに幸せを感じて生きる、と決めていた。

誰にでも、幸せを求める権利がある。
同時に、不幸を感じる自由もある。と、このごろなんとなく考えている。

子どもがすくすく伸びていくように、人は、阻害されなければ、自然に前向きに生きていける力を持っている。
あえて「前向きに」などと言われなくても、だ。

「自分が世界一不幸」と思っている人は、そういうステップが多分必要で、そこにいるんだと思う。
ステップでなく、もしも「私は世界一不幸なの」とずーっと思いながら一生を終える人がいたとしたら、それは哀しい人生だとは思うけど、それだって、その人の自由だ。
別に周りが批判するものではない。

不幸になる自由が、私にはなかった。
どん底にいても、健気に頑張る、という呪いをかけられていた。

私はとても不幸だ。
自分はとてもかわいそうだと思っている。

「不幸だ」などと言えば、言われた側は居心地が悪いし、不安になったり焦ったりするし、なんとかしてあげなくちゃって思うだろう。
それがわかってるから、そんなこと言うどころか、顔に出してもいけないって、感じてもいけないって、思い込んでいた。

みんなに「かわいそう」っていたわられたいわけじゃない。
ただ、「今、私は世界一不幸だ」と思って立ち止まる、その自由が確保されたいだけなんだ。
「不幸」って、主観だから。


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深い。

2011-06-06 23:30:13 | タラの日記

A先生にお会いしてきた。

50分という限られた時間の中で、私はあれもこれもいっぱい聞いてほしくて、多分マシンガンのようにまくしたてたので、脈絡も時系列もめちゃくちゃだったと思うけど、A先生は真剣に親身になって聞いてくださった。

答えやアドバイスがほしくて行ったわけではない。それを、彼女はちゃんとわかってくれていた。
聞いてもらえたら、それだけでいいと思っていた。
彼女は、私が思っていたとおりに、話を聞いてくださった。

そして、思ってもみなかった「魔法の言葉」(いや、ポポポポ~ン♪じゃなくてだな)を、私にかけてくれたのだ。
それはここには書かないけど、私は砂漠にいて、死にかけていて、自分がここで死ぬのは運命だから諦めようって思ってたところに、女神様がお水を持って現れて、「あなたの運命は違うよ。私につかまって」と言ってくれたような感じの言葉だった。
いや、彼女がそういうつもりで言ったかどうかは知らないけど、私はそう感じた。

心理学はエセ学問、臨床心理士は占い師と変わらない、と、2ちゃんとかでは見る。一生自分の心と向き合わない、ある種幸せな人たちは、好きなように言えばいい(何もわからずに言ってるんだろうけど)。
あ、占い師を馬鹿にするつもりはない。そういうやり方で人を救っているのなら、救われた人がいるならば、そうやって生きていけばいいし、私がどうこう言う筋合いもない。

私は学校に入ったばかりで、まだ何もわからない。
勉強して経験を積めばA先生のようになれるのかどうか、わからない。
多分、彼女の持つ人間性によるところが大きいのだろうと思う。
誰でもが魔法を使えるのではないのだろう。

A先生だって、誰彼かまわず魔法の言葉を撒き散らしているわけではないと思うし、受け取る側がキャッチできないことだってあるから、「カウンセリングは魔法」「カウンセラーさんのところに行けば救ってもらえる」と安易に思ってもらっても困る。
基本、立ち上がるのは自分、だから。
カウンセラーさんが一生おんぶしてくれるわけではないので。

なんだか何を伝えたいのかわからなくなってきた。

ただ、最近私は自分を「悪魔」だと思って暮らしていたので、「あなたは悪魔ではない。愛されて生きる価値がある人間だよ」というメッセージを受け取れた気がして、いつかはそういう、口先だけでない本当の心からの共感をもって人の話を聞けて、相手に「自分は生きるに値する人間だ」っていう大切なことに気づいてもらえるような、そういう人になりたい、そう思った。

「心理学を学ぶと、人は暴言を吐くようになる」っていうのも2ちゃんにあった意見だけど、それって私のことでしょうか??
まあ、そんなのは私だけでしょう。

あ、でも、女神様にも暴言を吐くしかやりようのない場合だってあるんでしょう。
いや、「女神様」とは表現したけど、A先生は人間だし。人間でなければ私だって付き合えないし。
ずーっと「女神様」でいられる人はいないし、いたらその人は重病だと思う。

うーん。
私はあらためて、A先生を尊敬してるってことを再確認した。
助けてもらった。
そして、「助ける」ってこういうことなのだ、ということを知った。

長くなりました。
カウンセリングって、本当に深い。
一生懸命勉強していく、と心に誓った日でした。

しばらくコメントいりません。私は「悪魔」なんで。
そして今日も歩いているので。

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傷。

2011-06-06 03:00:27 | タラの日記
私がこれまで自分のことを責め続けてきたのは、うつ病のせいじゃなくて、多分それが一番楽だったからだ(これは私の場合限定。ほかの人は違うと思う)。

私は誰からも責められたくなかった。
「私が悪いんだ」と言っていれば、それ以上攻撃されない。
私が悪者になって「ごめんなさい」と言っていれば、育った家庭は円くおさまった。
学習した、楽に生きる術だった。

人を責めていがみ合うのはエネルギーがいるし、結局傷は大きくなる。

傷つきたくない。
でも、「ごめんなさい」と下を向いて生きていく人生に、幸せが待っているとは思えない、と、最近になって考えるんだ。

私にも悪いところは勿論あるだろう。
失敗も失言もあるだろう。
「ごめんなさい」と言って頭を下げるべき場面はたくさんあるだろう。
でも、攻撃を回避するための「ごめんなさい」を続けている限り、そこで成長は止まってしまうのでは?

私は自分の社会性の低さは、ここに原因があると思っている。

対策についてはまだ思案中。
簡単にはいかないとは思っているけど。
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