ようこそ、卯月です。
さっきまで仕事ほったらかして、大橋のぞみちゃんの出てた「ハッピーバースデー」っていうドラマを観ていました。
親に愛されていないと思って育った女性が、自分の娘をネグレクトしてしまうという重いテーマの話でした。
誰も悪い人はいないのに、傷つけ合って関係がこじれていってしまう、ということがあるのを、ドラマはうまく伝えていました。
虐待の連鎖を断ち切るために、伊東四朗さん扮するおじいちゃんが、娘(のぞみちゃんのママ、木村佳乃さん)に潔く詫び、「愛している」と言うシーンで泣きました。
愛されていないと思って育ってしまうことは、とてもこわいことです。
周りのいろんな人との関係が、ぎくしゃくしたものになっていってしまう。
大人になってからでも、両親に素直に謝ってもらえたら、そこからまたスタートできるんだ、と思いました。大切なのは思いを言葉で言うこと、そして抱きしめることなんだ。
伊東四朗さんを見ていて、あんなお父さんだったらと、父をもうなくしてしまった私はちょっと羨ましく思いました。あんなお父さんと抱きしめ合うことができたら、私もこんなに生きづらくはなかったろうに、と。
娘は私とは全然違うシーンで泣いていました。ののじい(近所のやさしいおじいちゃん、三國連太郎さん)が亡くなったところ。
私は人が死ぬところでは、いつの間にか泣けなくなってしまったなあ。生きていることに涙する。生きて、いろんなふうに傷つけ合ったり許し合ったりすることに涙がこぼれる。
昼間、カウンセリングで私は離人感を訴えたのだった。
現実の自分の感情・感覚がなくなってる感じ、人との距離が遠く、間に膜が張ってる感じがしていたのだ。
でも、ドラマを観て泣いてる私は、多分、感情を取り戻しているのだろう。
昼間の私は寂しかった。一人、別世界にポツンといるような感じがしていた。白い壁の中に、一人きりでいる。そしてその自分は投げ出された人形のように、感覚を失っている。そんな気がしてつらかった。
先生に「寂しいよ」と何度も言った。
先生は、その寂しさを取り去る方法を知らなかったけれど、「どうしてあげたらいいのかなあ」と一緒になって悩んでくれたので、それでいいやと私は思って帰ってきた。
どうしても、誰かと地続きでいるという感覚が持てない。いつも不安定だ。立っているところが、人と違うと感じてしまう。違ってていいと思えない。違うことが、不安で寂しいのだ。いつもいつも、誰かと一体感が持てていないとこわい。
親から、子どもから、受け入れられ愛情を注がれた、ドラマの主人公(かな? 木村さん扮する若いママ)を見て、寂しい気持ちが少し、和らいだ。
私がほしいものは、多分それなんだろう。
愛されるという体験が、人間が健康に育つためには必須だ。
仕事をサボってしまったので、明日はがんばらねば。
じゃあまた明日ね。
おやすみなさい。