「タラさんが感じたいと思ってる幸せって、私たちの言う幸せと少し違うと思うんだ。タラさんが求めているのは、私たちが当たり前に持っている安全とか安心なんじゃないかな。タラさんには安全という土台がないから、日々の小さな喜びを感じが取っても、それが積み重なっていかないんじゃないかなって、見ていてそんなふうに思う」
自分のこと恵まれてるってわかっている。
昼も夜も働いている友達もいるのに、私は暢気にやりたい勉強をしてる。それが許されている。
誰もがやりたいことをできる環境にあるわけではない。意欲だけでは学べない。
そもそも「これをやりたい」って思うことがあるっていうのが、幸せなことのはずだよね。
だから頑張れ、と自分に言っている。
頑張りたいとも思っている。
ただ、どうして私はこんなにも、幸せを感じ取れないのだろうって、このところずっとそこから動けないでいるんだ。
私はみんなが思うほど強くはない。
ここに来るまでにたくさん泣いたし、今だって泣くことは多い。
ブレないわけでもない。
主観的に言っていいなら、傷をいっぱい負って歩いている。
それを感じさせないことを強いと言うなら、私は強いかもしれない。
這い上がることを強いと言うなら、やっぱり私は強いのだろう。親からもらった精神力に恵まれてる、のかな。
ほんとは控えめに不幸自慢をしたい気分なのかも。
「いいなあ」って思ってる人がいたら、代わってあげよう。
モノクロの世界を見るといいよ。
絶望とか恐怖とかといつも仲良しだよ。
幸せって思わなくちゃって、自分を縛ってるんだな。
そんなの自分で決めればいいのに、欲張りだって思われるのが怖くて、安全が安心がほしいよってわめきたいのに意気地がなくて。
不幸自慢は卒業したいんだ。
幸せに生きていきたいんだ。
そう思って頑張ってきて、これからも頑張っていくつもりで。
ただ、今はちょっと疲れてしまった。
子どもたちには「頑張らなくていい、無理しなくていい」と言い続けてきた。
でも、私はやっぱり頑張る人が好きなんだと思う。
また明日からは前を向いていこう。
今日はちょっと見逃してくれよ、自分。