前回、伊達市は明治時代に仙台藩一門亘理伊達邦成が家臣と共に入植した歴史を持つを書きましたが、実際は殿様行列のような移民ではなく、士族の身分を剥奪され、家臣たちを養うのに困窮して北海道へ渡ってきたという事らしいのです。
幸いなことに北海道の開拓に成功した邦成は明治政府にこの開拓を評価され、一度は剥奪した士族籍を復籍。開拓功労により男爵となったそう。
その成功の証とも言えるのがこの「迎賓館」と呼ばれる建物。
明治25年に建てられた木造建物ですが、天井高くが洋間と和室とがある建物です
入ってすぐ左側の洋室
当時はランプだったんでしょうけど、結構モダン
二階の和室
西洋製の陶器のペンダントとライトシェード
蒔絵の槍
「釘隠し」とは格式のある和風住宅で、柱や釣り束(つりづか)と長押(なげし)が交差する部分に打ちとめた大きい釘の頭を隠すための化粧金具のこと
伊達藩の釘隠しはそれぞれの形で格が違うんだそう
こちらの釘隠しは2階部
こちらは1階
格子の細工も見事です
こちらはすぐ傍にある資料館
仙台伊達家より寄贈された日用品や家具などが展示してあります。
お雛様も圧巻
植樹された赤松
白老仙台陣屋の敷地にも赤松の古木がありました。
故郷を離れてはるばる北の土地へ来た人達にとって、赤松は故郷を偲ぶものだったのかもしれませんね。
さて
前回の答え
たれぞ~さんが「北海道には無いもの」と思っていたもう1つものとは・・・
孟宗竹でした。
「竹」「竹の子」といえば「根曲がり竹」を指す北海道。
道内で根付いている孟宗竹は始めてみました。
(調べてみると函館方面に少しだけ生えているらしいんですが・・・
もしかして、知らなかったのは私だけか?!)
いや基本的天然物はないし、これも人の手で植えられたものなんだけどね。
この寒い北海道でしっかり根付いているというのには驚いたわ~
温暖な伊達だからこそなんでしょうね
そてお次は豊浦方面へ行ってみます
幸いなことに北海道の開拓に成功した邦成は明治政府にこの開拓を評価され、一度は剥奪した士族籍を復籍。開拓功労により男爵となったそう。
その成功の証とも言えるのがこの「迎賓館」と呼ばれる建物。
明治25年に建てられた木造建物ですが、天井高くが洋間と和室とがある建物です
入ってすぐ左側の洋室
当時はランプだったんでしょうけど、結構モダン
二階の和室
西洋製の陶器のペンダントとライトシェード
蒔絵の槍
「釘隠し」とは格式のある和風住宅で、柱や釣り束(つりづか)と長押(なげし)が交差する部分に打ちとめた大きい釘の頭を隠すための化粧金具のこと
伊達藩の釘隠しはそれぞれの形で格が違うんだそう
こちらの釘隠しは2階部
こちらは1階
格子の細工も見事です
こちらはすぐ傍にある資料館
仙台伊達家より寄贈された日用品や家具などが展示してあります。
お雛様も圧巻
植樹された赤松
白老仙台陣屋の敷地にも赤松の古木がありました。
故郷を離れてはるばる北の土地へ来た人達にとって、赤松は故郷を偲ぶものだったのかもしれませんね。
さて
前回の答え
たれぞ~さんが「北海道には無いもの」と思っていたもう1つものとは・・・
孟宗竹でした。
「竹」「竹の子」といえば「根曲がり竹」を指す北海道。
道内で根付いている孟宗竹は始めてみました。
(調べてみると函館方面に少しだけ生えているらしいんですが・・・
もしかして、知らなかったのは私だけか?!)
いや基本的天然物はないし、これも人の手で植えられたものなんだけどね。
この寒い北海道でしっかり根付いているというのには驚いたわ~
温暖な伊達だからこそなんでしょうね
そてお次は豊浦方面へ行ってみます