太閤堤の最上流、江戸期造営か 京都・宇治、石出し調査

2018-01-29 12:53:54 | 歴 history
 京都府宇治市は23日、豊臣秀吉が16世紀末に築いたとされる国史跡・宇治川太閤堤跡(同市宇治-莵道)の発掘調査結果を発表した。護岸用の「石列」が新たに確認されたほか、史跡内で4基見つかっている川の流れをコントロールする構造物「石出し」のうち、今回調査した上流側の1基が最も川に張り出していたことが分かった。

 石を積む「石出し」は川岸と垂直に舌状に張り出し、水流を川の中心へと誘導して、川岸が削られにくいようにする。史跡内には約90メートル間隔で4基あることが分かっており、今回、最上流の1基の全容を調べた。

 川岸と接続する部分の幅は約8メートル。長さ10メートルまで発掘され、推定で13メートルに及び、下流側の3基(7・5~9メートル)より長い。上流側で、強い川の流れを抑える役割を果たしたとみられる。

 この石出しの上流側6・1メートル、下流側3・2メートルに、護岸の石列があった。史跡内で初の出土例だが、市は使われている石の種類から「太閤堤の築造当初ではなく、江戸時代など後世に造られた可能性が高い」とみている。

 調査地点は、現在の宇治川右岸の堤防より70メートルほど東で、京阪宇治駅の西隣。27日午後1時から現地説明会がある。市歴史まちづくり推進課0774(21)1602。

【 2018年01月24日 09時50分 】


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