向陽高(京都府向日市)の自転車競技部顧問で、全国高校体育連盟(高体連)の同競技理事長も務める坂井田米治教諭(60)が、3月末で定年退職する。競技経験はないものの、生徒に引っ張られるようにサポートを続け、ジュニア層の育成や競技の普及に尽力してきた。「生徒が自転車を好きになり、卒業後に長く競技を続けてもらうことを心がけてきた」と振り返る。
教員生活のスタートも、京都向日町競輪場(同市)近くの向陽高だった。すぐ自転車部顧問に指名されて戸惑ったが、「いっしょに練習しましょうよ」と誘う熱心な生徒がいた。後に競輪選手となる窓場加乃敏さん(現日本競輪選手会京都支部長)で、練習に付き合って亀岡まで自転車で走ったことも。高校から競技を始める生徒が多く、「成長の可能性が大きい」とやりがいを感じ始めた。
北稜、洛北、再び向陽と転任しながら、トップ選手を育てた。1988年の京都国体では少年の部監督として総得点1位に導いた。「生徒が進歩を実感できる目標づくりが大切」と語る。卒業生から約10人の競輪選手を輩出。向陽高でともに顧問を務める柏原剛教諭のように、指導者になった教え子もいる。
全国大会の運営や審判にも関わり、2009年度から全国高体連自転車競技専門部理事長に就任した。特に力を入れたのが女子への普及だ。全国高校総体に女子種目がなかったため、公開競技として開催しながら、全国の指導者に協力を呼びかけた。7年ほどで女子選手は4倍以上の150人まで増加。18年から正式に女子種目が採用されることになり、「継続的にやってきて良かった」と喜ぶ。
日本自転車競技連盟の理事を兼務し、五輪のメダル獲得に向けて育成の重要性を訴えてきた。海外レースへ高校生を積極的に派遣し、経験を積ませている。「海外と日本の差が広がっている。世界で通用する選手を育てるため、将来への種まきが欠かせない」。退職後もさまざまな形で、競技の発展を支える覚悟だ。
【 2017年03月30日 12時00分 】
教員生活のスタートも、京都向日町競輪場(同市)近くの向陽高だった。すぐ自転車部顧問に指名されて戸惑ったが、「いっしょに練習しましょうよ」と誘う熱心な生徒がいた。後に競輪選手となる窓場加乃敏さん(現日本競輪選手会京都支部長)で、練習に付き合って亀岡まで自転車で走ったことも。高校から競技を始める生徒が多く、「成長の可能性が大きい」とやりがいを感じ始めた。
北稜、洛北、再び向陽と転任しながら、トップ選手を育てた。1988年の京都国体では少年の部監督として総得点1位に導いた。「生徒が進歩を実感できる目標づくりが大切」と語る。卒業生から約10人の競輪選手を輩出。向陽高でともに顧問を務める柏原剛教諭のように、指導者になった教え子もいる。
全国大会の運営や審判にも関わり、2009年度から全国高体連自転車競技専門部理事長に就任した。特に力を入れたのが女子への普及だ。全国高校総体に女子種目がなかったため、公開競技として開催しながら、全国の指導者に協力を呼びかけた。7年ほどで女子選手は4倍以上の150人まで増加。18年から正式に女子種目が採用されることになり、「継続的にやってきて良かった」と喜ぶ。
日本自転車競技連盟の理事を兼務し、五輪のメダル獲得に向けて育成の重要性を訴えてきた。海外レースへ高校生を積極的に派遣し、経験を積ませている。「海外と日本の差が広がっている。世界で通用する選手を育てるため、将来への種まきが欠かせない」。退職後もさまざまな形で、競技の発展を支える覚悟だ。
【 2017年03月30日 12時00分 】
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