歌人・辰巳泰子の公式ブログ

2019年4月1日以降、こちらが公式ページとなります。旧の公式ホームページはプロバイダのサービスが終了します。

鬼さんノートその14

2023-12-06 08:08:15 | 月鞠の会
すべき作業を書き出すために考えを整理していました。
先生に結論部分の飛躍をご指摘いただきました。
ここの飛躍には私自身の、個人的なバリアがあり、それはバリアでありながら、本稿を書く動機でもあるので、またここで、内面の整理を必要とします。

私はここで、先人の業績に唾を吐くようなことを書かねばなりません。
まず、そもそも、「鬼とは逸脱者である」という措定を、私は根本的にオカシイ、無理がある、常識たり得ても、決して真理たり得ないと確信しているのです。

だってね、逸脱って、何なのですか。
逸脱するには、押しくら饅頭の外周がいるじゃありませんか。
それは、文明の以前から存在するものですか。

その外周はね、規範というやつです。
これを決めているのはルーラーです。
文字どおり、掟を決める支配者です。

支配者次第なものは、絶対ではないのですから、規範自体、その時代ごとに内容を変えていくではありませんか。

この謂を真理とするためには、絶対的規範を必要とします。
つまり、「鬼とは逸脱者である」という謂は、命題ではなく、なんかこう、常識を命題めかして言い直しただけなんですよ。

つづきです。

先生から無理があるとの指摘を受けたのは、鬼さんブラックホール論です。

まだ途中なので不特定多数と仔細を共有しません。
まだ動くので、先生にある程度通じればよい。

じつはそんなに空想的ではない。
なぜなら、上記の思考過程に加えて、逸脱者が逸するところの規範を、真理たり得ない相対的規範ではなく、絶対的規範ととらえ直せば、私の鬼さんブラックホール論は成り立つ可能性が出てくる。と言いますか、規範を定義するところから、鬼さんブラックホール論は私のなかで立ち上がってきたのでした。

(以下、あたらしい投稿です。ウインドウを分けませんでした。)

どの宗教にも共通する戒めというのはある。殺すな、盗むなの類。
規範を考えるときに、物差しは二つとなる。
一つは、宗教的もしくは道徳的規範。
もう一つは、法的規範。
後者は、相対的です。相対的規範の逸脱者を、「相対的逸脱者」と呼ぶことにしますね。
そして、前者のような、こころの中にある普遍的な規範を逸脱するものを、「絶対的逸脱者」と仮置きします。私はね、定家の考えようとした「鬼拉体」の「鬼」の構想に、非生命が含まれる可能性を考えているのです。
(先に述べるべきことがあるので、いまは、「非生命である可能性」とだけ示すにとどめます。)

規範の歴史をざっくりいくと、初めはね、強いもん勝ちなのです。そのルールにいいもわるいもない。
規範を決める権限者が文字どおり、ルーラー、支配者だった。
世界史上、規範の概念を大きく塗り替えたのは、1689年にイギリスで制定された「権利章典」。
これは、法律を決めていい人は王様ではなく議会であることをはっきりさせた法律で、議会で決めた法律を王様が守らなければならないという法律。
ちなみに日本は江戸時代前期。松尾芭蕉が活躍した頃です。
私は法律のこと、詳しくないから、「権利章典」に先立つ封建的規範を、どう名付けてよいかわからない。
ただ、日本史的には、王様よりも優位に立つのは、ほとけさま、仏教ということにまず、なりました。これを唱えたのがいわゆる聖徳太子です。
聖徳太子のあとも強いもん勝ちの時代はまだまだ続くし、現代社会ですら、王様にはルールを守らなくてもいい風潮なのだから、ルールを決めてしまう権限者、「強いもん」って何だろうかと気になる。
そして、「強いもん」はとってかわるのが常だから、「強いもん」の決める逸脱者がすなわち、相対的逸脱者ということになる。

そして、そうした強いもん勝ちの時代にも、日本人には祟りを恐れるこころがあって、怨霊を祀ったりしています。
中国由来の「鬼」さんと日本的鬼さんの、圧倒的相違を示すとすれば、怨霊を恐れ、神格化して祀るこころにあるのかもしれません。
なぜなら、古代中国では、小動物などを殺して、その霊魂を使い魔としたものを「鬼」と呼んだからです。
日本であれば、説話の「舌切り雀」を見てもわかるように、たとえ雀のような小さな生き物にも、報恩やリベンジがありました。
日本人で、殺した小動物が自分の使い者になるとナチュラルに考えられる人は、本当にだれもいませんよね。多分だけれど。

ここで突然、定家に戻るのですが、「定家十体」の「鬼拉体」には、菅原道真の和歌を挙げてあるのですよ。
そしてね、定家は、『新古今和歌集』を、『古今和歌集』を超えるものとして編もうとしていました。
『古今和歌集』は、醍醐天皇が、道真を中央政治から追い出して成立させた、わが国最初の勅撰和歌集です。道真の和歌もありますが、その扱いは、道真が中央にいた頃から考えると、ひどいものだなあと思います。

先生が、私に、吉本隆明が、定家と鬼拉体について述べているのを目の端に入れておくとよいと示唆をくださいました。
吉本隆明は、定家は鬼拉体の構想にバグって、そのバグに気づいてどうしようもなかったのではないかと指摘していましたね。
私は、定家は、菅原道真の怨霊を『新古今和歌集』で祀ることができれば、「鬼拉体」はそれでもう、本望だったのではないかと考えています。
だけれど、「鬼拉体」の和歌として挙げるのが、道真公の和歌だけですと、歴代天皇の政治に文句をつけているようではありませんか。
だから、他にも「鬼拉体」に挙げておく和歌が必要で、どうにも見繕うことができなかったのではないかと思います。

やっと戻ります……。
さきに、定家の考えようとした「鬼拉体」の「鬼」の構想に、非生命が含まれる可能性を考えていると述べました。
あえて道真公を祀ろうとするところからも、私は、定家がオニとカミを切り分けた気がしません。それに、まだ中古の名残があって、現代のオニと通じる意味をもちながら、オニとカミの切り分けもまた、時代的にも定かでないのがこの頃です。
ここで、同時に考察したいのが、以下の2点です。

・定家が「鬼拉体」の和歌に、万葉歌をしきりに挙げること。
・定家は、神に誓いを立て、御子左家の古今伝授を神事化しようとしたこと。

(その14は、いったんここまで。)








この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 鬼さんノートその13 | トップ | 鬼さんノートその15 »
最新の画像もっと見る

月鞠の会」カテゴリの最新記事