図形曼荼羅好きな方 (^O^)/

ラピスラズリの蒼とトルコブルーの重なりに魅かれます。色と形は何かを現わすような気がします。

夏至の日 日暈 北海道駒ヶ岳日の出日の入り

2024-06-21 16:34:21 | 日記



今年は、実のなる時期に良い天気が続き庭のサクランボが沢山紅く実り

上を見ていると日暈







函館は、うす曇りで2時間以上、日暈が出ていました


夏至の日に見られるのは、何か幸な気がします



夏至の日の朝、駒ヶ岳の風景








快晴の空に









駒ヶ岳駅近くから右の剣ヶ峰、左の砂原岳の間に太陽が顔を出します









19日、20日と木直方面の噴火湾は快晴でしたので、駒が岳に沈む夕日の撮影場所を探してました









昼は快晴ですが夕方には雲が









そんな岩間の波を撮影してみると















噴火湾は太平洋に面してるので、時折うねる波
















夢幻の世界があるようにな








コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

雲間から

2024-06-17 16:45:44 | 日記



17日朝、函館郊外の椴法華海岸の日の出







雲間から光が広がり







恵山や海向山が淡く染まります













朝焼けを期待して早起きしたのですが、寒流が流れるため夏場のほうが染まりやすいようです









小道では朝靄と朝露




16日は道南も一時強い雨







森町から見た駒が岳は、雲に浮かぶよう







鳥崎峡谷では稜線に雲が流れ







ダムでは雨降りのなか陽が射し始め




















雨上がりの水面の反射も良いものです







コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夕暮れの函館近郊大沼

2024-06-13 21:30:47 | 日記



水面の光が色々変わり












ちょっとしたことでコロコロ変わる形

一昨日、久しぶりに高校の同期と会い昔話

大手ではないですが、商社に勤め順調に出世し仕事人生を終了

もう一人仲の良かった同期は、一昨年人生を終了

仕事を転々とし、リスキーなことに手を出し心を病みました

学生の頃、夏休みに弘前から東京にバイトしながら遊んだ仲間

同じように楽しんだように、同じように暮らすだろうと思ったのですが









でも、同期と会う2日前に穏やかな顔して夢に現れました










穏やかな稜線の駒が岳









山体崩壊でできた稜線と大沼










そんな自然の流れの一部分


水煙土器の形にパステルの色付けを試みていて、ブログの準備がなかなか・・・・・・・・












コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

訪ねてみると

2024-06-04 16:12:25 | 日記



最近の同じようなニュースが毎日続く中で

同じ言葉や発想とは違うものを探してみたくなり

縄文土器の模様を探し、そこに繋がるものはないかと歩いてました


甲州から伊豆へ南下

城ヶ崎海岸は、大室山噴火の熔岩が流れてできた荒磯

そんな岬の先にある 日蓮俎板岩






波来る岩に置き去りにされたり、斬首の刑にさらされても生き抜き

現在も日蓮の系譜の政党があり

宮沢賢治は童話の中で、法華経の世界を夢に描き

弟子の日持上人は、天竺へ法華経を夢見

その夢を大東亜戦争に重ねられ、樺太に碑が建てられる







不可知の存在への畏敬の念を説く立正安国論は、現在にも通じるように思えます



日蓮を弾圧した鎌倉幕府の始まる前、源頼朝・八重姫ゆかりの音無神社







根上がりのタブの木のこぶが、妊婦、象、龍など色々な形に見えると神主さんが説明していました







生命力豊かなタブの木の森が、昔は神社の回りに広がっていたそうです




さらに遡り、国譲りの歴史から続く東国三社


最古の武術流派といわれる「天真正伝香取神道流」


室町時代、飯篠長威斉家直は、香取神宮境内にある梅木山に籠もり厳しい千日に渡る修行を終えると


香取神宮の祭神である経津主大神が姿を現し、啓示を受けた


そんな鹿取神宮は、雨が強く、境内撮影禁止と掲示でしたが


何か力強い雰囲気がありました







『古事記』においては建御雷神の副使として天乃鳥船神を祀る息栖神社






鹿島神宮の御祭神である武甕槌大神

武甕槌大神の佩刀は韴霊剣と古来より伝わり

『古事記』の神武東征の段には、その力で悪疫を退散させ、平和をもたらす特別な剣として描かれています


武道の流れを作る、鹿島神流・天真正伝香取神道流 奥儀「一の太刀」

言葉で伝えることのできないもの

国譲りの古事記と日本書紀との違いも、言葉で伝えることの難しさ故なのか







御手洗池では鳥居と樹が重なりあい







自然豊かな木々

東国三社の近くにある大洗では、国譲りした大国主を祀ります






平安時代の歴史書である『日本文徳天皇実録』によると、
文徳天皇の斉衡3年(856)12月29日、現在の神磯に御祭神の大己貴命・少彦名命が御降臨になり、
「我は大奈母知、少比古奈命なり。昔此の国を造りおへて、去りて東海に往きけり。
今民を済すくわんが為、亦帰またかえり来たれり」と仰った


日立市入四間町 御岩神社







創建の時期は不明ですが、縄文晩期の祭祀遺跡の発掘や、日本最古の書の1つ「常陸國風土記」(721年)に
「浄らかな山かびれの高峰(御岩山の古称)に天つ神鎮まる」
とされる事から、古代より信仰の聖地であった事が窺えます。
御祭神は国之常立神 大国主神 伊邪那岐神 伊邪那美神 大山祗神 ほか20柱御岩山総祭神188柱を祀り、
中世には山岳信仰とともに神仏混淆の霊場となり、江戸時代に至っては水戸藩初代徳川頼房公により出羽三山を勧請し水戸藩の国峰と位置づけ、
徳川光圀公(水戸黄門さま)など藩主代々参拝を常例とする祈願所でありました。 
仏像の現存、境内の遺跡、祭事内容など古代信仰(古神道)、神仏習合色が色濃く残り、「神仏を祀る唯一の社」として、他の神社、寺院に見られない独自の信仰を伝えております。







御岩山の参道はいたるところで光芒が射しこみ







祀られる、水の流れ出し








境内の古木の跡が朝日を浴び







逆光の撮影は難しいものがあり、古木の辺縁がもっと光輝いていたのですが・・・


撮影している時は、緑の麒麟が祈っているようだと思いながら撮影してました








一週間ほどの撮影の旅の最後に弘前の遺跡から岩木山を撮影すると雲一つない青空



それから、お土産を買いに30分ほど街中に移動すると、大きく羽ばたく鳥のような雲が









画角が180度以上あり、見た時にカメラでは撮影は無理と思ってしまいました

一時間以上広がっていったので、郊外へ移動して撮影しましたが三脚に固定してなかったのを後悔します


中ほどにある岩木山が小さくなってしまうほどの大きさです


写真の整理などで、10日程前の撮影の記事となりましたが、旅には文字や言葉では伝わらぬものがあると思えました







コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

甲州遺跡巡り

2024-05-29 22:55:48 | 日記



梅之木遺跡は、約5000年前の縄文時代中期の環状集落跡

住居跡150軒ほどからなる居住域にくわえ、隣接する湯沢川沿いの生活痕跡








居住域から湯沢川へ通じる「縄文の道」が発見されています








金生遺跡は、縄文時代後期から晩期終末にかけての集落跡です。

いくつもの石棺墓を中心にして構成される石造りの祭祀場が特徴







金生遺跡の晩期の住居跡は竪穴がない構造で、土壁構造の住居が復元されています









朝、訪ねましたら、この土壁住居でテントと床に一晩過ごしたという家族がいらっしゃいました

2歳くらいの女の子と30歳くらいのご夫婦

ちょっとビックリ、でも子供は意外と機嫌よかったとか

遺跡の風景や天の川、北斗七星を撮影するのが好きで、函館から撮影に来たと話すと

真っ暗な建物の中は、日常の感性とは違う気持ちになれると話していました








天神遺跡は、田んぼに変わっていましたが、ちょうど富士山があります




山梨県立考古学博物館では、人形土器







独特のポーズのデフォルメ















人形の背景の区切り方、縦線、横線、網目の使い方が気になります















縦型、菱形、アーチ構造と見る方角でデザインが変わります

北杜市考古資料館の土器も











向きによって、進むデザインと受けるデザイン













多様な土器に人の出産や命を現わしているようです


井戸尻考古館には、神像筒型土器















神が森羅万象をかかえているようにも見えます


井戸尻考古館では三内丸山遺跡でも飛んでいたウスバシロチョウが止まってくれ







ウスバシロといってもシロチョウではなく


アゲハ科の中でもやや特殊な北方系のグループで、属名「パルナシウス」






高山蝶の仲間です







そんな多様性のある土器も弥生時代には、シンプルな構造に変わり


磨製石剣、波状の剣、銅鏡、古墳の時代に移行するようです


諏訪考古学博物館でも撮影してしまったのですが、途中、撮影は遠慮くださいと書かれ


掲載は遠慮します



ただ、その移り変わりを見て



祈りに使われる三種の神器の変わりに縄文土器の模様が現わしているような気がしました


博物館の向かいにある諏訪神社を訪ねると、オナガアゲハが手水の前で舞ってたので








手を清めようと近づくと止ってくれました






コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする