図形曼荼羅好きな方 (^O^)/

ラピスラズリの蒼とトルコブルーの重なりに魅かれます。色と形は何かを現わすような気がします。

東の野にかぎろいの立つ見えて

2022-03-02 19:57:00 | 日記


陽の立つ画像を撮影したので


なにげなくかぎろいの立つを検索してみると



天武・持統天皇にとって宇陀は壬申の乱の際に通った思い入れがある地である
持統天皇の皇太子である軽皇子は父(草壁皇子)を偲んでこの阿騎野へ猟に訪れたと考えられている

672年、大海人皇子が挙兵しました。日本古代史最大の戦である「壬申の乱」
挙兵したときはわずか20人の従者と女官だけであったと伝えられています

大海人皇子は、朝廷と東国を分断するべく美濃国(現在の岐阜県)に向かいました。各地の豪族や舎人(下級官人)は、大海人皇子の動きに呼応して反乱に乗じます。
最初は少なかった大海人皇子の戦力は、朝廷側に不満を持っていた豪族らの参加により、にわかに増強。
最終的には大海人皇子が勝利しました。


天智天皇は、本来は大友皇子を後継者にできないことはわかっていたため、一計を図りました。病床に大海人皇子を呼び出して、「皇位を譲る」と伝えたのです。返答によっては、大海人皇子を亡き者にする手筈でした。

ところが、大海人皇子は機転を利かして天智天皇の提案を断ります。

「病気がちだから国家を守ることはできません。出家して吉野にこもります」と返答したのです。

天智天皇が崩御後、朝廷では大海人皇子を滅ぼそうと吉野に食料を運ぶ道を閉ざそうとするなどの動きがみられました。また、朝廷側が天智天皇の墓を作る作業員を集めていた際、彼らが武器を持っていたという情報を入手します。

このような状況下で、「むざむざ討ち滅ぼされるよりも先手を打つのが得策」と考えたのか、大海人皇子は挙兵を決断します。




明日は新月

やぎ座で土星水星が最接近

水瓶座で太陽と重なる木星と月、海王星が三角形を作る



ウクライナも天体の星と同じよう

うまく不満を持つ人をまとめ最大の内戦といわれるよう

そんな言葉を捧げたくなります




撮影の帰り、カモを狙うイヌワシ(?)が飛び去って行きました










コメント
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