【過ち】
パール判事はこの碑文を見て
「東京裁判で何もかも日本が悪かったとする戦時プロパガンダのデマゴーグがこれほどまでに日本人の魂を奪ってしまったとは思わなかった。」「東京裁判の影響は原爆の被害より甚大だ」の言葉を残しています。
碑文作者 雑賀忠義は"主語"は広島市民であると同時に世界市民である人類全体としています。
浜井市長は「『過ち』とは"戦争"という人類の破滅と文明の破壊を意味している」と答弁しています。
安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから
この主語も過ちの意味も不明確な碑文は設置当初から問題となり、慰霊碑が毀損されたり、クレームが多数寄せられ論争が続きました。
主語や過ちの意味の説明もあり、日本人や広島市民にとっては時間をかけ受け入れられていきました。
しかしながら、パール判事や小野田寛郎さんが見れば説明があっても理解しがたい碑文であった事がわかります。
何故主語を被爆国が拡大解釈出来るのか、それは東京裁判史観に浸かった作者が被爆しながらも生き残ったからであり、亡くなられた方々の代弁はしていないとの疑義を持たざるを得ません。
過ちを原爆投下とすれば主語との整合性が取れない解釈がうまれますし、後付けで戦争へと解釈したのかもしれません。
仮に"過ち"が原爆投下であれば原爆を開発していた日本が天皇陛下の反対により開発を中止し、過ちの冒しようが無いという矛盾が生まれますし、
戦争であるならば、繰り返さない為の防衛力の強化が必要となる訳でしょう。
核兵器廃絶、戦争放棄を唯一の被爆国が"過ち"を繰り返さない為には碑文に刻んで祈る事自体が"過ち"であることに早急に気付くことだと感じて止みません。