昨日はパパのおじいさんの命日。そして今日はパパの大切な人の命日。
昨日と今日、お墓に行ってきました。
今回はまいこのためでなくおじいさんとパパの大切な人のために、、
お墓・・お盆の提灯がまだ飾ったままのところもかなりあって・・・
そう、私も、お盆に飾った提灯を片付けるためにお墓に行くことなんてしてなかった。
そんな事すら思いもしない私でした。。
今年、、、お盆にお参りしてから・・何度目のお墓だ・・・・
お墓に通う私は何なんだろうね・・
~~~★~~~★~~~★~~~★~~~★~~~★~~~★~~~★~~~★~~~★
お墓を建てなおした時、、私達は誰にも相談をしなかった。
先祖代々の墓とか祖父母のお墓・・という感覚がなかった。
ただただまいこのために出来ることを探していた。
まいこのお墓をちゃんとするために、ご先祖様のお墓もちゃんとしようと
出来うる限りの事を考えて、墓石屋さんに相談にのって頂いて、、、
しきたりにのっとってきちんと儀式をしてお墓の建立をした。
でも、、、身内にとってはまいこのお墓・・ではなくおじいさん達のお墓・・
何も相談もなかったと、、
そしてそれを私たち夫婦に、いやパパに、
なぜ皆に相談して事を進めなかったのか、、と・・・
みんなに何がわかる。
我が子のお墓を建てなければならない親の気持が、、
理解して欲しいとは言わない、
勝手にしたことに納得は出来ないまでも、
文句のように私たちに言う必要がどこにあったのだろう・・
不満を口にすることを抑えてくれるだけの気遣いを望む私たちがいけないのか、、
少なくともあの時の私たちにはその言葉がどれほど心の傷になったか、、、
あの頃の私たちにとってお墓を建て直さなければいられない苦しみを、、
わかってくれる人は一握りだった。。
後で、おばが言った。
“お墓を取り壊して新たに建て直すあなた達の気持ちを思ったらかわいそうでなぁ、、、”と。。
“したくてしたんやない、、そんなことくらいしかしてやれんかったんやなぁ・・”と。。
私はおばの言葉に泣いた。
あの時、、お墓を建て直したのは、、、
まいこのために何かをしていないとおかしくなりそうだというパパと
この地から出られないように自分をつなぎとめようとしている私の必死の思いからだった。
誰も知らないところに逃げ出したくて仕方がなくて、、、
でも、ここはまいこが生まれ育った大切なところで、
まいこの大好きな場所で、
お墓を建ててほんの一握りでもまいこを納骨することで私をこの地から離れられないようにするため・・・
私たちは必死で生きるために小さな楽しみを見つけ、何かをすることで生きようとしています。
今も、、ある工事にかかりました。
どうか私たちがすることを黙って見守ってください。
周りの人たちには贅沢な事でも、不必要なことでも、馬鹿みたいな事でも
私たちには必要なことなのです。。
写真を飾りすぎるとよくないとか・・・
あまり未練が残るようなことをしてはいけないとか・・
たとえばお仏壇の中に写真を置いてはいけないとか・・・
いつまでも仏間の電気をつけておく必要はあるのかとか・・・
誰に何を言われようと
私たちは自分達が納得できるまでやめるつもりはありません。
まだまだ、まいこのためにできることを探して生きています。
いろんな雑音が聞こえすぎます。
かわいそうだったねとか、、さみしいね・・とか、、頑張らないかんよ・・とか、、
わざわざ声をかけてくださらなくてもいいです。
お墓で会ったとき、“よくお参りできるね・・”とか、、“わぁ凄い、綺麗なお花”とかわざわ言わないで下さい。
私もお墓参りに無縁だった頃に戻りたいです。
今度は何をするの・・とか、凄いことはじめたみたいだねぇ・・とか
何も言わないでください。。
私たちだって・・・どれもこれも・・・したくてしてるわけじゃないんです。
せずにはいられないのです。。
ちょっと今日は・・・・・
落っこちています。
あれやことれやと雑音が耳に入ってきて気持ちが乱されます。
反論したり、説明をしたりする気力がありません。
文句を言いたい相手はこのブログの向こうにはいませんけど、、、
どこかで吐き出さないと自分を保てません。。。
ついつい古いお墓の話までグダグダと愚痴りました。。
皆さんスルーしてください。。
昨日と今日、お墓に行ってきました。
今回はまいこのためでなくおじいさんとパパの大切な人のために、、
お墓・・お盆の提灯がまだ飾ったままのところもかなりあって・・・
そう、私も、お盆に飾った提灯を片付けるためにお墓に行くことなんてしてなかった。
そんな事すら思いもしない私でした。。
今年、、、お盆にお参りしてから・・何度目のお墓だ・・・・
お墓に通う私は何なんだろうね・・
~~~★~~~★~~~★~~~★~~~★~~~★~~~★~~~★~~~★~~~★
お墓を建てなおした時、、私達は誰にも相談をしなかった。
先祖代々の墓とか祖父母のお墓・・という感覚がなかった。
ただただまいこのために出来ることを探していた。
まいこのお墓をちゃんとするために、ご先祖様のお墓もちゃんとしようと
出来うる限りの事を考えて、墓石屋さんに相談にのって頂いて、、、
しきたりにのっとってきちんと儀式をしてお墓の建立をした。
でも、、、身内にとってはまいこのお墓・・ではなくおじいさん達のお墓・・
何も相談もなかったと、、
そしてそれを私たち夫婦に、いやパパに、
なぜ皆に相談して事を進めなかったのか、、と・・・
みんなに何がわかる。
我が子のお墓を建てなければならない親の気持が、、
理解して欲しいとは言わない、
勝手にしたことに納得は出来ないまでも、
文句のように私たちに言う必要がどこにあったのだろう・・
不満を口にすることを抑えてくれるだけの気遣いを望む私たちがいけないのか、、
少なくともあの時の私たちにはその言葉がどれほど心の傷になったか、、、
あの頃の私たちにとってお墓を建て直さなければいられない苦しみを、、
わかってくれる人は一握りだった。。
後で、おばが言った。
“お墓を取り壊して新たに建て直すあなた達の気持ちを思ったらかわいそうでなぁ、、、”と。。
“したくてしたんやない、、そんなことくらいしかしてやれんかったんやなぁ・・”と。。
私はおばの言葉に泣いた。
あの時、、お墓を建て直したのは、、、
まいこのために何かをしていないとおかしくなりそうだというパパと
この地から出られないように自分をつなぎとめようとしている私の必死の思いからだった。
誰も知らないところに逃げ出したくて仕方がなくて、、、
でも、ここはまいこが生まれ育った大切なところで、
まいこの大好きな場所で、
お墓を建ててほんの一握りでもまいこを納骨することで私をこの地から離れられないようにするため・・・
私たちは必死で生きるために小さな楽しみを見つけ、何かをすることで生きようとしています。
今も、、ある工事にかかりました。
どうか私たちがすることを黙って見守ってください。
周りの人たちには贅沢な事でも、不必要なことでも、馬鹿みたいな事でも
私たちには必要なことなのです。。
写真を飾りすぎるとよくないとか・・・
あまり未練が残るようなことをしてはいけないとか・・
たとえばお仏壇の中に写真を置いてはいけないとか・・・
いつまでも仏間の電気をつけておく必要はあるのかとか・・・
誰に何を言われようと
私たちは自分達が納得できるまでやめるつもりはありません。
まだまだ、まいこのためにできることを探して生きています。
いろんな雑音が聞こえすぎます。
かわいそうだったねとか、、さみしいね・・とか、、頑張らないかんよ・・とか、、
わざわざ声をかけてくださらなくてもいいです。
お墓で会ったとき、“よくお参りできるね・・”とか、、“わぁ凄い、綺麗なお花”とかわざわ言わないで下さい。
私もお墓参りに無縁だった頃に戻りたいです。
今度は何をするの・・とか、凄いことはじめたみたいだねぇ・・とか
何も言わないでください。。
私たちだって・・・どれもこれも・・・したくてしてるわけじゃないんです。
せずにはいられないのです。。
ちょっと今日は・・・・・
落っこちています。
あれやことれやと雑音が耳に入ってきて気持ちが乱されます。
反論したり、説明をしたりする気力がありません。
文句を言いたい相手はこのブログの向こうにはいませんけど、、、
どこかで吐き出さないと自分を保てません。。。
ついつい古いお墓の話までグダグダと愚痴りました。。
皆さんスルーしてください。。