二男の中学の文化祭があった。
1年生の劇は・・阪神大震災で妹を亡くした少女を取り巻く友人の話だった。
震災から5年がたった中学生?高校生の設定かな・・
ある友人が、
『もう5年もたつじゃないか・・・』と言うと、
その少女が
『もう5年じゃない、まだ5年しかたってない・・』と。
劇中のせりふだけど、不意に涙が流れた。
『私の悲しみなんてあなたにはわからない・・』
『そうだ、わからない、、でも、気持ちをわかろうとしたいと思うよ。』
『そうね、私の気持ちなんて誰にもわからない。でも、わかってもらおうとすることはできるのかも・・』
それがメインの劇ではないが、
そんなやりとりが心に響いて・・
会場の中で多分、私とパパだけ涙を流した。
もう6年なのか、まだ6年なのかもわからないこの頃。
どうやってここまで生きて来たのか、
難なく生きてこれたわけでは決してなく、
それでも、それでも6年弱の日々を生きてきた。
同じ経験をした人にしか理解できない思いだと
周りの人に背を向けた。
多分、選んで選んで発してくれた言葉にも、
あなたに何がわかるんだと拒絶した。
たくさんいた友人にも背を向けた。
今では、心の内を素直に話す相手はホントの少人数だ。
だけど、苦しい、悲しいというありのままの気持ちをそのままに受け止めてくれる事に感謝している。
それにも時間が必要だったけれど・・
まだまだ背を向けたままの人はたくさんいる。
その人にとっては当たり前な事でも、私にはとてつもなく残酷な事だったり、
何度も何度もそんなことの繰り返し。
多分、どんなに時間が経っても、私は以前の私には戻れない。
今はもう
自分がどうやって命の終わりが来るまで生きて行くのか、
どうやったら心静かに、穏やかに生きられるのか、
そんなことしか考えない。
そして、心穏やかに、心静かに生きようとすれば
世間に背を向けるのが一番の方法なのも事実で・・
世間の人には、
私は幸せな人に見えるらしい。
世間の人の幸せの物差しは軽い。
夫婦仲が良くても、生活にゆとりのある収入があっても、
自分のために時間やお金を使う余裕があっても、
たったひとつ亡くしたものの存在は大きい。
大切な人を亡くした者が生きて行くのは途方もないことで、
必死にならないと生きていけない。
そして、自分の命の終わりが来た時に愛しい我が子の逢うことが最大の夢で最大の生きる目標であることは
切なすぎる。
もうすこし・・・時間が流れたら変わっていく思いもあるのだろうか。
私にはまだ何も変わりそうにない。
まだ、6年だ。
1年生の劇は・・阪神大震災で妹を亡くした少女を取り巻く友人の話だった。
震災から5年がたった中学生?高校生の設定かな・・
ある友人が、
『もう5年もたつじゃないか・・・』と言うと、
その少女が
『もう5年じゃない、まだ5年しかたってない・・』と。
劇中のせりふだけど、不意に涙が流れた。
『私の悲しみなんてあなたにはわからない・・』
『そうだ、わからない、、でも、気持ちをわかろうとしたいと思うよ。』
『そうね、私の気持ちなんて誰にもわからない。でも、わかってもらおうとすることはできるのかも・・』
それがメインの劇ではないが、
そんなやりとりが心に響いて・・
会場の中で多分、私とパパだけ涙を流した。
もう6年なのか、まだ6年なのかもわからないこの頃。
どうやってここまで生きて来たのか、
難なく生きてこれたわけでは決してなく、
それでも、それでも6年弱の日々を生きてきた。
同じ経験をした人にしか理解できない思いだと
周りの人に背を向けた。
多分、選んで選んで発してくれた言葉にも、
あなたに何がわかるんだと拒絶した。
たくさんいた友人にも背を向けた。
今では、心の内を素直に話す相手はホントの少人数だ。
だけど、苦しい、悲しいというありのままの気持ちをそのままに受け止めてくれる事に感謝している。
それにも時間が必要だったけれど・・
まだまだ背を向けたままの人はたくさんいる。
その人にとっては当たり前な事でも、私にはとてつもなく残酷な事だったり、
何度も何度もそんなことの繰り返し。
多分、どんなに時間が経っても、私は以前の私には戻れない。
今はもう
自分がどうやって命の終わりが来るまで生きて行くのか、
どうやったら心静かに、穏やかに生きられるのか、
そんなことしか考えない。
そして、心穏やかに、心静かに生きようとすれば
世間に背を向けるのが一番の方法なのも事実で・・
世間の人には、
私は幸せな人に見えるらしい。
世間の人の幸せの物差しは軽い。
夫婦仲が良くても、生活にゆとりのある収入があっても、
自分のために時間やお金を使う余裕があっても、
たったひとつ亡くしたものの存在は大きい。
大切な人を亡くした者が生きて行くのは途方もないことで、
必死にならないと生きていけない。
そして、自分の命の終わりが来た時に愛しい我が子の逢うことが最大の夢で最大の生きる目標であることは
切なすぎる。
もうすこし・・・時間が流れたら変わっていく思いもあるのだろうか。
私にはまだ何も変わりそうにない。
まだ、6年だ。
以前の自分には戻れない。私もそう思います。
自分が少しでも傷つかないように、見聞きしなくて済むならそうできるように、自然と避けて通っているように思います。
そしてどうしても表に出ないといけない時には、見えないバリア?フィルター?を通して、人と接してる。
仕事の時もそう、息子の友達と話す時もそう・・
そうしないと所構わず、泣いてしまう。喚いてしまいそうな気がするから。
そんな風に一時的でも自分をコントロールできることが、偉いのか?まだまだ根性があるのか?自分自身が憎たらしく思えます。
お天気がいいだけで幸せ、気持ちのいい風が吹くだけで優しくなれる、
家族で食卓を囲む当たり前の光景・・
子供たちの我儘を叱り、
子供たちの頑張りを褒め、
子供たちがいてくれるそれだけでなんて幸せなんだろうと思ってた日々。
たったひとつ亡くしただけで・・
何もかもが形を変えてしまった。
変わってしまった自分を軌道修正するすべが見つかりませんね。
自分がいくらバリアを張っても、心が揺れることは多々あって、
穏やかに・・とは程遠いのが現実です。
ただ・・6年弱の時間が経って、
自分自身があきらめたり、開き直ったり、
流れに身を任せるすべを見つけたことは確かですね。
主演女優賞をいただけるくらい普通の人を演じるのがうまくなりました。
本当の顔を見せるのはホント限られた中でだけです。
私も以前の私には戻れないと思います。
今は1日をただ何となく過ごしている。
あの日から仕事も辞め犬達(プードル2匹)と毎日家にいます。
何もしない毎日が娘に申し訳なく思いながらも何もできないのです…
娘が事故にあったのは中学の入学式から1週間目。
同級生のお友達は2年生になり成長しています。
きっと娘もこんな感じなのかな・・・・・・?って想像することしかできません。
まいこママさんのもう一つのブログも読ませていただいてます。
生きる意味・・・涙が出ました。
私も同じ気持ちです。
とても切ないですがそれで良いのですよね。
私も娘に逢うために今を生きてるのだと思います。
お身体大事にしてお過ごしください。
どんなに頑張っても、どんなに私なりに、前を見て歩こうとしていても、もう戻れないのです
6年という時の流れ
七回忌をむかえる、今年
今までの思い、七瀬が生きていた、あの頃
いろんな思いがあふれ出て
とても苦しいです
一周忌、三回忌のときとは
また違った思いがあります
こんなことになってしまうなんてね・・・
私も1年強引きこもり、家事もまともに出来ず、
来る日も来る日もパソコンに張り付いてる日々でした。
どこかに、自分の気持ちを共感してくれる人がいないか・・
ただそれだけを求めて過ごしていました。
6年弱の時間が流れ、周りの人には能天気なお気楽な奥さんに思われていますよ。
でも、無理に自分を理解してもらおうとも思わなくなりました。
娘がいなくなって、現実に姿を見ることが出来なくなり
すべてが想像するしかなくなりました。
大学1年、2年、3年、4年、卒業、社会人・・
もうすぐ25歳・・
どんな娘になっていたんだろう・・
25歳の娘の姿は19歳のままです。
切ないですね・・時にやり切れなくなります。
そばにいてくれる子供たちにはただ元気で生きていてくれる事以上の事は望みません。
せめて子供たちが独り立ちするまでは・・と
それだけを自分に言い聞かせ、
日々を生きています。
必ず、自分の命にも終りが来る。
それだけが支えです。悲しいですけどね・・
私この6年弱で何にも自分を向上させること出来てませんから・・
今年は7回忌・・
なんだかもう、やりきれなくて・・
1周忌や3回忌とはまた違った感情が湧いてきますね。
なんで、我が子の法要なんだろうって、
何のための法要なんだろうって・・
6年・・まだなのかもうなのかもわからなくなりました。
もう10月も終わりますね・・
苦しい時期に突入ですね。
同じ思いで頑張ってるななははさんがいる。
同じ時を生きてきたななははさんがいる。
私も頑張ります。
私どものように、子供を失った親の感情がそのまま伝わってきました。。
そうですね、、。
私もそう思います。
「もう以前の私には戻れない」。。
心からワクワクしたりウキウキすることって一生無いと思います。
たぶん、自分でもそう願ってるんだと思います。
「あの子が居ないのに私だけが、、。」
その思いがあるから
意地でも幸せになりたいとか、救われたいとか思わなくなりました。
この6年足らずでダーク思想が染みついたよ(苦笑)
本当に大事な存在、本当に大切なもの。
これは身を持って思い知りました。
この世で我が子以上に大事なものは無いです。
でも、無理ですよね。
時間が経っても納得することも受けいれることも、
あきらめることもできなくて・・
無意識に楽しんでる時は確かにあるけど、
後から何してるんだろう私・・とか思う。
そのくせ、自分が心穏やかに心静かに生きる道を必死で探してる。
もう、自分がよくわからなくなります。
そうやって時間だけが流れて行くのかな・・