昨日はパパ実家のお祭り。
子供達は朝からパパ実家に出かけた。
私たち夫婦は、それぞれにやりたいことを、、パパは家のメンテナンス、
私は庭の草取り。。
静かな時間。
以前から2人で美味しいものでも食べに出かける約束。
夕方、出かける用意でもしようかと思っているところに
長女夫婦やってきた。
『一緒に、おじいちゃん家に行こう』と、、
正直、いまだ賑やかな場所は避けたい私、
娘と同じ年頃の若い子が集まる場所は避けたい私。
それがわかっているからこその夫の食事のお誘いだったのだろうけど、、
娘に押し切られてお食事はお流れ、パパ実家に行くことに、、
やっぱり駄目だな・・
会話を楽しむ気持ちにもなれないし、、
何気ない会話にも、最近の交通事故の話がされていたり、
まいこと同じ年頃の娘の話を永遠とする人がいたり、、、
唯一2年前に旦那さんを亡くしたおばちゃんとお喋り。。
『まわりの人には何年もたったような感覚だろうけど、私には昨日のことなんよ』
そうおばちゃん言った時、思わずぽろぽろ涙が出た。
ここに私たちの気持ちをわかってくれる人がいたと思った。
毎日お友達とモーニングやランチを楽しんで過ごし幸せなのよ・・そう言ったおばちゃん。
私が楽しんでたらおじちゃんが安心するから・・と。。
『空元気でも元気にしてないとね・・』そういったパパに
『実は楽しそうにしてても幸せそうにしてても本当はそうなんよ、、、』と。。。
なんだか、、、同じ気持ちでいるおばちゃんの言葉に切なくて
涙が止まらなかった。。。
お義父さんから孫達にお小遣いを頂いた。
保険が満期になったとかで、大きな額のお小遣いだ。。
でもね、、、まいこの分はないんだね・・・・当たり前だけど。。。
お金が欲しいわけじゃない。
我が家の子供がもらった分を3等分した額でいい。
まいこにも・・って用意してくれてたら・・・・
こんな気持ちはわかんないんだよね。。。
仕方がないんだけど、、、
素直にありがとうも言えない可愛くない嫁です。
「お金なんて要らないし・・・」まいこは言うだろう。
だけど、母にはまいこも間違いなく存在してるんだもの。。
迷ってたけど、、子供達に頼もう・・
「もらったお金は3等分してまいちゃんにもあげて・・」と。。
あれやこれや思って昨日は泣きながら眠った。
たぶん横に寝ていた夫も同じだったのかもしれない。
随分ため息をついていたから、、、
結局今日も1日布団にもぐって泣いた。
パパは何も言わず、調子悪いの??と聞いただけで、、
原因はわかってるんだろう、
でも話をぶり返して私の感情が爆発するのを避けているんだろう。。
明日から日常が戻る。
頑張れるかな・・・
子供達は朝からパパ実家に出かけた。
私たち夫婦は、それぞれにやりたいことを、、パパは家のメンテナンス、
私は庭の草取り。。
静かな時間。
以前から2人で美味しいものでも食べに出かける約束。
夕方、出かける用意でもしようかと思っているところに
長女夫婦やってきた。
『一緒に、おじいちゃん家に行こう』と、、
正直、いまだ賑やかな場所は避けたい私、
娘と同じ年頃の若い子が集まる場所は避けたい私。
それがわかっているからこその夫の食事のお誘いだったのだろうけど、、
娘に押し切られてお食事はお流れ、パパ実家に行くことに、、
やっぱり駄目だな・・
会話を楽しむ気持ちにもなれないし、、
何気ない会話にも、最近の交通事故の話がされていたり、
まいこと同じ年頃の娘の話を永遠とする人がいたり、、、
唯一2年前に旦那さんを亡くしたおばちゃんとお喋り。。
『まわりの人には何年もたったような感覚だろうけど、私には昨日のことなんよ』
そうおばちゃん言った時、思わずぽろぽろ涙が出た。
ここに私たちの気持ちをわかってくれる人がいたと思った。
毎日お友達とモーニングやランチを楽しんで過ごし幸せなのよ・・そう言ったおばちゃん。
私が楽しんでたらおじちゃんが安心するから・・と。。
『空元気でも元気にしてないとね・・』そういったパパに
『実は楽しそうにしてても幸せそうにしてても本当はそうなんよ、、、』と。。。
なんだか、、、同じ気持ちでいるおばちゃんの言葉に切なくて
涙が止まらなかった。。。
お義父さんから孫達にお小遣いを頂いた。
保険が満期になったとかで、大きな額のお小遣いだ。。
でもね、、、まいこの分はないんだね・・・・当たり前だけど。。。
お金が欲しいわけじゃない。
我が家の子供がもらった分を3等分した額でいい。
まいこにも・・って用意してくれてたら・・・・
こんな気持ちはわかんないんだよね。。。
仕方がないんだけど、、、
素直にありがとうも言えない可愛くない嫁です。
「お金なんて要らないし・・・」まいこは言うだろう。
だけど、母にはまいこも間違いなく存在してるんだもの。。
迷ってたけど、、子供達に頼もう・・
「もらったお金は3等分してまいちゃんにもあげて・・」と。。
あれやこれや思って昨日は泣きながら眠った。
たぶん横に寝ていた夫も同じだったのかもしれない。
随分ため息をついていたから、、、
結局今日も1日布団にもぐって泣いた。
パパは何も言わず、調子悪いの??と聞いただけで、、
原因はわかってるんだろう、
でも話をぶり返して私の感情が爆発するのを避けているんだろう。。
明日から日常が戻る。
頑張れるかな・・・
今朝、幹雄さんのブログをたずね、日記を読ませていただいて
うんうん、、と納得しながら読みました。。
一緒だ、一緒だ・と。。
私のブログに書き込みしてくださったんですね。。
ありがとうございます。
本当に同じ気持ちです。
あの年、喪中葉書に変えなければならなかった無念。
幸せの象徴のような年賀状は、、もう出すことはないでしょう。
はじめの年は、せめて頂いた方には寒中見舞いをと言った夫も、
今年はもう何も言いませんでした。。
おめでとう・・新年が明けたくらいでおめでとうなどと言えません。
馬鹿みたいなこだわりですけどね。。
娘が亡くなって1年後、甥っ子の結婚式がありました。
かたくなに拒否した私がいました。夫は仕方がないからと、、
でも式には出たくないと披露宴だけ出席しました。。
人の幸せも喜んであげられない心の狭さです。。
将来、親戚の結婚式に招待される日が必ず来ると思います、妻には僕は絶対に行かないからなって今から言っています。
とてもとても結婚式に出られるような気持にはなれそうもありません、いつまでたっても
招待してくださる方に失礼だと思うんです。その結婚式に達哉をダブらせ、多分号泣すると思うんです、いやな男だと思われるでしょうが、素直にお祝いをすることができないと思うんです。妻は達哉は達哉って言いますが僕には、そう考えられません。皆さんどうされますか
morisanti2006 私の大事な大事なブログです
よろしかったら覗いてください、失礼しました
私は、他人に子供の話をするときは必ず
子どもたち(子どもらー)と複数形の言葉を使います。ちなみに私の子供は2人です
僕達夫婦には、未来永遠に子どもは二人なのです。
銀行の聞き取り調査にも、家族構成の欄は、妻、子供2人と迷わず書きます。
他人に、子供さん何人って聞かれますが、迷わず2人ですって答えます。
子供のことに関しては、過去形はほとんど使いません。
正月挨拶をするときも、決しておめでとうございますって言葉は言ったことがありません。よろしくお願いしますっていいます。
おめでとうって言葉は、あれからほとんど使ったことがありません。年賀状は出したことがありません。とてもとても、おめでとうって言葉は書けません。私には、おめでとうって言葉はないんです。未来永遠に
わかりきってるのに、十分理解してるつもりなのに、
駄目ですね。。
自分の感情と上手く付き合えるようになったと、、そんな風に思ってたけど
全く駄目だったことに改めて気がついた。。
今回は見事にまっさかさまに落っこちました。
昨日は、ベッドの中で大泣きして、、
パパに抱きしめてもらいました。。
「そうか・・きつかったか、、祭り、、、」
その一言で少し気持ちが晴れました。。
この何日か、よく泣きました。
ほんと、あの日から人の何倍何十倍の涙を流しただろう・・
親には「過去の子」でも「いない子」でもない。
紛れも泣くちゃんと存在してるよ。。
こんな些細なこと、理解してくれてありがとう。。
失ってしまった我が子への想いには頑固な程にこだわりを持ってしまいますね。。
こだわりの代表が
「過去の子」として扱われる事・・
「もう居ない子」として扱われる事・・。
過去形で言われたりするとグサッときます・・
いい子だった。これが好きだった。
「だった・・」いつも過去形なんですよね。。
我慢成らないです。。
亡くした子を過去に置いてけぼりにしてしまった気持ちに成り、意地でもみんなと同じ様に扱って欲しいと願ってしまう。。
まゆさん、今日は体調大丈夫ですか?
1度凹むと体調まで凹んでしまうんですよね。
私も昨日息子を風呂に入れながら泣いてしまいました。
どうしても涙が我慢できなくなる時ってありますね。。
あの日から何回泣いただろう・・。
普通の人の10生分は泣いてるきがします。
この辛さだけは一向に慣れないし
一向に泣いてもすっきりしないですね。
わかってるんだけど、わからない、、気持ちという奴は難しいです。。
勿論うちも亡くなってすぐのお年玉はたくさん頂いた。
次の年から、、一人のおじさんが子供達に・・とまとめてくださるので、
3人で分けています。。
でも、、お年玉はもう大学生なのだからなくてもいいんですけどね、、、
普通に過ごしてる・・家庭でも、会社でも、、
でも私の場合はそれ以外ではまだ普通じゃないな・・・
普通に見えても、それは無理をしてるからだ。。
うん、壁を感じることはまだまだあるね。
二人分だったけど、いつの間にか(それが当たり前だけど)一人分。
平成19年(亡くなった年)のお正月のお年玉は 二人分だったけどね・・でも、、その時はなんだか淋しかった・・複雑で・・。
そんな気分でもなかったし。。
普段の生活は まあ普通に過ごしている・・
職場の人とも普通に話す。
でも、 やっぱり あの時以前の生活とはちがうし、もう同じようには戻らないって思っています。
気持ち的に無理。。
世間のひとはもう大丈夫なんだろう・・
悲しみも癒えて。。なんて、そう思ってるのがわかる。。
そして、それに合わさなくちゃいけない自分ができる。。
でも、決してそうじゃない・・
いつまでもいつまでも。。娘のことは想い続ける。。ね。
そして 壁を感じる時も、まだまだある。。
まだまだなんだなぁ・・って妙に納得。
一日中膝を抱えて過ごしていたいなぁ・・
切に思います。。
無理して社会に出る意味はあるのかな、、、
世間に背を向けて生きていきたいなぁ、、
少し気持ちが後ろ向きになってしまいました。。
やっぱりまだ、人が集まる席は避けるべきだったなぁ、、
気持ちの建て直しにかなり苦労してます。。
用意してくれます。
それがどれほどありがたいことか・・・。
だって私の子供は三人なんだから・・・。
でも同居している義母は・・・。
忘れたいのか、残されたこともたちを思ってか・・・。それでいいのかもしれないけど・・・。
分かってくれる人がいない席は、辛いばかり。
出来れば避けたいですものね。
私も一日中、膝を抱えて過ごしたくなります。
それでも、存在そのものを無視されたような気持ちがぬぐえなくて、、、
夫もボソッと、「何でまいこの分がないんや、、、」と。。
気持ちは同じだったみたいです。
お金が欲しいわけじゃありません。
気持ちが欲しかったです。
孫達のためにと思った義父の心を素直に受け取れなくて、、、
長男や次男の分のお礼も言えませんでした。。
こういうこだわりを捨てなければいけませんね。
その気持ちが欲しいですね。
相手に悪気があるわけではないでしょう…
でも、やはり辛いですね。
些細な話題、みんなの日常を聞いたりすると、気分が沈みますね。
いつまで続くのかな…
苦しいですね。
我が家はお年玉も毎月のお小遣いもまいこのお財布に入れ続けています。。
お年玉も、子供達で分けるように・・と
まとめてくれるおじさんがいて、やっぱり嬉しいです。
お金じゃなくて、、、まいこの存在をなくしてほしくないんだよね、、親としては。。。
自分達に出来ることをしてやればそれでいい。。
それでも「まいちゃんのぶんも・・」と言ってもらえると嬉しいです。
やっぱり、まいこだけ数に入ってないのは悲しいです。
でも、、こういう気持ちは人にはわからないんだよね。。
美穂にお金となると御仏前の袋に入れてよこされても嫌なので。「お金をもらっても美穂が喜べない。」と言ったので実家の母親はお花を持ってくるようになりました。
お年玉というのも亡くなった年からなくなりましたね。寂しいけど、、、。現実をつきつけられますね。
私達だけはあげ続けますけどね。
でも孫にお小遣いくれるなんて優しい義父さんですね。
それを他の人にもお願いは出来ないと思っていたけれど、
先日姪の結婚式の後、参列者への手土産のお菓子を「まなちゃんの分ね」と届けてくれたのが本当に嬉しかった。
どれだけ嬉しかったか・・・
逆に、人数に入れて貰えない時の悲しさ・・・
分かってはもらえないのかもしれないですね。