こんばんは。
いつの頃からだったでしょう。
家人が夜ご飯の後片付けをしてくれるようになりました。
頼んだ訳ではないです。
ただ座骨神経痛の症状が出ていた頃に私の痛そうなのを見て、
見かねた気持ちになったのではないでしょうか。
今、ドイツが難民を受け入れているのに似ている気がします。
自分だって本当はあまり好きな仕事じゃないのかも知れません。
おいしいご飯を食べた後誰だってのんびりしたいものです。
でも誰かがしなければ汚れた食器は汚れたままで台所の山を作るだけ。
今までは私の分担というのが暗黙のうちに決まっていました。
顔にそう書いて有りましたし、食べ終わると後はのんびりで私に気を使う事など一部もなかったです。
でも痛みをこらえながら台所に立つ私を見るにつけ気持ちが変わったんでしょうね。
ある日僕がやるよと云ってくれました。
ビックリしたけれどお言葉に甘えるとその次の日からもうずっと、
晩ご飯の後片付けを自分の仕事に組み込んでいたのです。
時々、疲れて今日は出来ないと云う事はあっても、
私がやるからいいよと云ってもたいていは彼がやってくれます。
これはとってもありがたいです。
晩ご飯の後ついウトウトしちゃう私はその後から片付けを始めると、
もう夕食後の時間には何も出来ません。
それが今は後片付けを任せると、
バッグの仕事が少しすすんだり、こうしてPCに向かえたりと、
今までになかった夜の過ごし方を楽しむことが出来るようになりました。
すばらしい。
このお返しに私は彼にどんな時間を作ってあげたらいいのでしょうか。
こちらに気分のいい事をしてもらうと
心から何かお返ししたいと思えるものですね。
心のない事にはお返ししないとい・け・な・いと云う気持ちが生まれます。
でも人間としての礼儀なのか、心のやさしさなのか、
倫理観から来るものなのか、
理由はなんだか分かりませんが、
痛みの有る私を労る気持ちから始まった事は確かなことです。
私はありがたくそれを受け取りました。
受け取ったから気持ちに報いたいと自然に思えるのです。
ドイツは難民を抱えてこれから本当に大変でしょう。
けれども懸命なドイツ人がこの状況を想像出来なかったはずが有りません。
たとえ今のような事態になる事があっても、
困っている人に手を差し伸べる者がいる事を証明しなければ、
キリスト教の負けじゃないですか?
(もちろんそれはたとえ話で決して勝ち負けが有る訳じゃないんですそれは承知の助での軽口です。)
ドイツはいつか難民の人に助けられるときが有るかもしれません。
その時にはあの時助けておいて本当に良かったと思うでしょう。
我が国は、
美しき我が国は、
60人のシリア人の亡命申請の中から3人受け入れたそうです。
すべての人が平和で暮らせる日が来る事を祈るばかりですね。
今日は週一の友の来訪日でした。
午前中はお掃除、午後はお歌の会でバッグ製作は手につかず。
日曜日にイベントの予定が入りその準備に追われそうです。
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いつの頃からだったでしょう。
家人が夜ご飯の後片付けをしてくれるようになりました。
頼んだ訳ではないです。
ただ座骨神経痛の症状が出ていた頃に私の痛そうなのを見て、
見かねた気持ちになったのではないでしょうか。
今、ドイツが難民を受け入れているのに似ている気がします。
自分だって本当はあまり好きな仕事じゃないのかも知れません。
おいしいご飯を食べた後誰だってのんびりしたいものです。
でも誰かがしなければ汚れた食器は汚れたままで台所の山を作るだけ。
今までは私の分担というのが暗黙のうちに決まっていました。
顔にそう書いて有りましたし、食べ終わると後はのんびりで私に気を使う事など一部もなかったです。
でも痛みをこらえながら台所に立つ私を見るにつけ気持ちが変わったんでしょうね。
ある日僕がやるよと云ってくれました。
ビックリしたけれどお言葉に甘えるとその次の日からもうずっと、
晩ご飯の後片付けを自分の仕事に組み込んでいたのです。
時々、疲れて今日は出来ないと云う事はあっても、
私がやるからいいよと云ってもたいていは彼がやってくれます。
これはとってもありがたいです。
晩ご飯の後ついウトウトしちゃう私はその後から片付けを始めると、
もう夕食後の時間には何も出来ません。
それが今は後片付けを任せると、
バッグの仕事が少しすすんだり、こうしてPCに向かえたりと、
今までになかった夜の過ごし方を楽しむことが出来るようになりました。
すばらしい。
このお返しに私は彼にどんな時間を作ってあげたらいいのでしょうか。
こちらに気分のいい事をしてもらうと
心から何かお返ししたいと思えるものですね。
心のない事にはお返ししないとい・け・な・いと云う気持ちが生まれます。
でも人間としての礼儀なのか、心のやさしさなのか、
倫理観から来るものなのか、
理由はなんだか分かりませんが、
痛みの有る私を労る気持ちから始まった事は確かなことです。
私はありがたくそれを受け取りました。
受け取ったから気持ちに報いたいと自然に思えるのです。
ドイツは難民を抱えてこれから本当に大変でしょう。
けれども懸命なドイツ人がこの状況を想像出来なかったはずが有りません。
たとえ今のような事態になる事があっても、
困っている人に手を差し伸べる者がいる事を証明しなければ、
キリスト教の負けじゃないですか?
(もちろんそれはたとえ話で決して勝ち負けが有る訳じゃないんですそれは承知の助での軽口です。)
ドイツはいつか難民の人に助けられるときが有るかもしれません。
その時にはあの時助けておいて本当に良かったと思うでしょう。
我が国は、
美しき我が国は、
60人のシリア人の亡命申請の中から3人受け入れたそうです。
すべての人が平和で暮らせる日が来る事を祈るばかりですね。
今日は週一の友の来訪日でした。
午前中はお掃除、午後はお歌の会でバッグ製作は手につかず。
日曜日にイベントの予定が入りその準備に追われそうです。
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