7月7日
昨日、家の庭木でセミの羽化を確認した。
まさにセミの形ができた瞬間だ。今日朝からセミの鳴き声。
アブラゼミと思われる。昨日羽化したセミがアブラゼミかクマゼミかは
良くわからないが、多分昨日のセミが鳴いているのだろう。

5日の東京散策は夕方の新幹線に乗るため、短時間の予定で思い出の場所
をめぐるべく歩いた。
朝8時30分にホテルを出て、まずは山手線、総武線を乗り継いで両国へ向かう。
ちゃんこ鍋屋が並ぶ街を歩いて以前、から東京に出たときに、一度訪れてみたいと
思っていた大江戸博物館を訪れた。

朝一番で有ったことから、入場者も少なく、ゆっくりできると思ったがそうはいかなかった。

修学旅行のシーズンなのか、2校ほどの中学生団体とかち合ってしまった。
とてもゆっくり見れるものではなかったが、思っていたより作り物が多く、
自分のイメージとは異なるものであった。
工作物として眺めると案外面白い。
特に江戸の町のジオラマは傑作


暗いのでシャッタースピードが遅い分ブレれて撮れているが、なかなかリアルである。
50~60年くらい前の東京の生活の場の模型は私は懐かしさを覚えたが、今の中学生が見て何かを
感じるか疑問の所もある。

あまりゆっくりもできず、博物館を後にして、子供の頃の生活の場であった
浜町近辺に歩いて向かう。
新大橋は形が変わってしまって、昔の面影がない。
中学校時代に清洲橋~万年橋~新大橋を回るマラソンコース(2000m位)があって
部活のウォーミングアップで走ったことを思い出す。

在籍していた浜町中学は建物も変わり保育園を含む浜町会館となっていて、面影はない。
小中学生の頃は前の道路はかなり幅があるように感じたが、今見るとなんと狭い道路か。
中洲を通って、清洲橋に向かう。隅田川にかかる橋の中で一番好きだった橋だ。
形も昔と変わらず、鉄の塊の重厚さを感じる。


橋は変わらないが、周囲の景色が様変わり。
川辺には高層ビルが建ち、この橋からスカイツリーを見ることができる

次に向かったのは有馬小学校。第11代久留米藩主有馬頼咸の寄付で設立に由来する
名前がついている。今から59年前に卒業した学校で、ここもすでにその頃の面影は
全く見当たらない。「桃屋」の工場が校庭から見えるくらいか。
更に少し歩いて水天宮へ。水天宮も久留米有馬藩の関係らしい。

ここは毎月5日に縁日があり、子供の頃は10円~50円くらいを持って駄菓子を買うのが
楽しみの一つであった。
空模様が怪しくなってきて、皇居前を見物して帰る予定を切り上げ、東京駅まで歩く。
東京駅も昔に復元されたのだろうが、私の知っている東京駅はとんがり屋根。
周囲に高層ビルが乱立し、ここの雰囲気も変わってしまった。

雨が降り出し、少し早いが新幹線ホームへ。
つい2~3年前は、少々暑くても気にしないで東京見物で歩きまわっていたが、さすがに
その気になれず、楽しめたと同時に体力の衰えを痛感した帰京であった。
昨日、家の庭木でセミの羽化を確認した。
まさにセミの形ができた瞬間だ。今日朝からセミの鳴き声。
アブラゼミと思われる。昨日羽化したセミがアブラゼミかクマゼミかは
良くわからないが、多分昨日のセミが鳴いているのだろう。

5日の東京散策は夕方の新幹線に乗るため、短時間の予定で思い出の場所
をめぐるべく歩いた。
朝8時30分にホテルを出て、まずは山手線、総武線を乗り継いで両国へ向かう。
ちゃんこ鍋屋が並ぶ街を歩いて以前、から東京に出たときに、一度訪れてみたいと
思っていた大江戸博物館を訪れた。

朝一番で有ったことから、入場者も少なく、ゆっくりできると思ったがそうはいかなかった。

修学旅行のシーズンなのか、2校ほどの中学生団体とかち合ってしまった。
とてもゆっくり見れるものではなかったが、思っていたより作り物が多く、
自分のイメージとは異なるものであった。
工作物として眺めると案外面白い。
特に江戸の町のジオラマは傑作


暗いのでシャッタースピードが遅い分ブレれて撮れているが、なかなかリアルである。
50~60年くらい前の東京の生活の場の模型は私は懐かしさを覚えたが、今の中学生が見て何かを
感じるか疑問の所もある。

あまりゆっくりもできず、博物館を後にして、子供の頃の生活の場であった
浜町近辺に歩いて向かう。
新大橋は形が変わってしまって、昔の面影がない。
中学校時代に清洲橋~万年橋~新大橋を回るマラソンコース(2000m位)があって
部活のウォーミングアップで走ったことを思い出す。

在籍していた浜町中学は建物も変わり保育園を含む浜町会館となっていて、面影はない。
小中学生の頃は前の道路はかなり幅があるように感じたが、今見るとなんと狭い道路か。
中洲を通って、清洲橋に向かう。隅田川にかかる橋の中で一番好きだった橋だ。
形も昔と変わらず、鉄の塊の重厚さを感じる。


橋は変わらないが、周囲の景色が様変わり。
川辺には高層ビルが建ち、この橋からスカイツリーを見ることができる

次に向かったのは有馬小学校。第11代久留米藩主有馬頼咸の寄付で設立に由来する
名前がついている。今から59年前に卒業した学校で、ここもすでにその頃の面影は
全く見当たらない。「桃屋」の工場が校庭から見えるくらいか。
更に少し歩いて水天宮へ。水天宮も久留米有馬藩の関係らしい。

ここは毎月5日に縁日があり、子供の頃は10円~50円くらいを持って駄菓子を買うのが
楽しみの一つであった。
空模様が怪しくなってきて、皇居前を見物して帰る予定を切り上げ、東京駅まで歩く。
東京駅も昔に復元されたのだろうが、私の知っている東京駅はとんがり屋根。
周囲に高層ビルが乱立し、ここの雰囲気も変わってしまった。

雨が降り出し、少し早いが新幹線ホームへ。
つい2~3年前は、少々暑くても気にしないで東京見物で歩きまわっていたが、さすがに
その気になれず、楽しめたと同時に体力の衰えを痛感した帰京であった。