海と山と

釣りと近場の山歩きを趣味とするリタイヤおじーのひとりごと

ドブ川だった隅田川

2025-01-16 12:41:06 | 昔の思い出
私は6歳途中から再び東京に戻った。母方の伯母宅(愛媛県)から東京の
父方の弟(叔父)のお世話になることになった。愛媛の田舎から
東京に出てきて、その時代(1950年頃)でも東京は車が多く、ビルの
多い所と思った記憶がある。住まいは日本橋浜町三丁目。今から思うと
戦後5年しか経過していないのに町並みは整然としていたように思う。
家は箱崎川から墨田川への出口に近く、川を挟んで向かいに中州が見える
場所に建っていた。居間の外が川の堤防で堤防の上には簡単に上がれ、
箱崎川、隅田川を見ることができる。
当時の隅田川は「どぶ川」で有った。潮の干満がここまで影響していて
干潮時には川底が露出するほどヘドロが堆積がしていたのが見えた。
メタンガスか硫化水素ガスがプクプク噴き出していて干潮時は特に臭気が
ひどかった。その後東京オリンピック開催が決まったためか隅田川の浄化
対策が取られた。その間に浚渫も進み、今では干潮でも川底が見えること
はなくなっているようだ。
その当時でもフナがいたが息苦しいのか頭を水面に出して人影を見ると
潜るが、すぐに頭を出す。そんな川が今は嘘のように浄化されている。

(写真は「中央区観光協会特派員ブログ」より転載)
写真は箱崎川。奥が蛎殻町、左が中州、右側が浜町、私の家は右側の写真の
切れたところから少し下の方に有った。
私の家の両隣が料亭で向かいの中州にも料亭があった。そんな地形のため新内
流し船が我が家の周りによく来ていた。叔父は居間の窓辺で三味線と唄を聞きな
ら晩酌を楽しんでいた記憶が有る。でもあの臭い中での料理、唄も雰囲気が
がた落ちだっただろうに。
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