月に一度の源氏物語を歩くで醍醐寺へいった。今回のテーマは醍醐寺と桐壺帝です。源氏物語の中で桐壺帝は醍醐帝がモデルやそうで光源氏の父親です。
帝が17歳の時菅原道真(56歳)を側近の讒言により太宰府へ左遷、3年後当地で亡くなります。そのあたりから皇室・藤原氏に不幸が続くようになります。
醍醐寺を結願寺として建立するにあたり道真の怨霊をなだめるために先に長尾天満宮を造営し、その後醍醐寺の建立に着手しました。建立後も不幸は続き生涯道真の怨霊に悩まされ46歳で没しました。
下の写真は明るく広々とした醍醐寺と違い昼なを薄暗い長尾天満宮の鳥居です。
薄暗い参道180段ある石段を上がりこじんまりした本殿に着きました。
醍醐寺には沢山の拝観客が訪れますが隣にあるこの長尾天満宮はその存在すら知らない寂しいところでした。
昼食の時間になり醍醐寺境内、雨月茶屋で精進料理を頂き午後の講義が始まる。
80歳を越える先生の弁舌は少しのお酒が入り益々冴えるがお腹の膨れた受講生は長い石段につかれが出て船を漕ぐ人が目立った。恐るべし老講師。
講座修了後醍醐寺拝観の気力も萎え帰路についた。
帝が17歳の時菅原道真(56歳)を側近の讒言により太宰府へ左遷、3年後当地で亡くなります。そのあたりから皇室・藤原氏に不幸が続くようになります。
醍醐寺を結願寺として建立するにあたり道真の怨霊をなだめるために先に長尾天満宮を造営し、その後醍醐寺の建立に着手しました。建立後も不幸は続き生涯道真の怨霊に悩まされ46歳で没しました。
下の写真は明るく広々とした醍醐寺と違い昼なを薄暗い長尾天満宮の鳥居です。
薄暗い参道180段ある石段を上がりこじんまりした本殿に着きました。
醍醐寺には沢山の拝観客が訪れますが隣にあるこの長尾天満宮はその存在すら知らない寂しいところでした。
昼食の時間になり醍醐寺境内、雨月茶屋で精進料理を頂き午後の講義が始まる。
80歳を越える先生の弁舌は少しのお酒が入り益々冴えるがお腹の膨れた受講生は長い石段につかれが出て船を漕ぐ人が目立った。恐るべし老講師。
講座修了後醍醐寺拝観の気力も萎え帰路についた。
残っているって、すごいですねー。
なんと言っても膝に問題のある私にとって180段は恐怖でした。
しかし一人では恐いところですね
がさつな私が唯一雅を体験できる一日でも有るのです。
でも今回はあんな石段があるとはつゆ知らず・・・でした。