愛知県美術館に小川芋銭の作とされる「紅葉一樹」(制作年不詳)という作品がある。
その画賛は同館発行の展覧会図録によれば、こう書いてある。
「峰夕日影紅葉一樹明る」
一方、昭和9年12月に名古屋で開かれた芋銭の小品展にこれと大いに関連があると思われる画賛を持つ扇面形式の作品が出品された。
その画賛は、小川芋銭研究センターおよび『小川芋銭全作品集 本絵編』(696番)では、次のように読まれている。
「峰々に影して紅葉一樹照る」
この画賛で、「峰々に影して」の「影して」というのは、私にはちょっと耳慣れない言葉だが、そのように書いてある。
さて、二つの作品における画賛の文字を比べてみると、愛知県美術館で読んでいる「紅葉一樹明る」という文字の崩しは、外見上(あくまで外見上だが)昭和9年12月、名古屋での芋銭小品展に出品された扇面形式の作品の画賛と似ている。
しかし、「明る」という終止形は変だし、「照る山紅葉」という言葉があることからも想像できるように、ここでは「照る」と読むほうが妥当だろう。
私にとって次なる疑問は、「峰夕日影」の文字列である。
これは「峰の夕 日影の紅葉 一樹照る」と読んでいけばよいのだろうか。それとも別な読み方があるのか?分からない。(夕日影という言葉もあり、そう読むのかもしれない。2019年7月記す)
それにしても、なぜ「峰々に影して」が「峰夕日影」に変形したのだろう。
あるいはその逆もあり得るかもしれないが、その変形の理由は何なのだろう。
その画賛は同館発行の展覧会図録によれば、こう書いてある。
「峰夕日影紅葉一樹明る」
一方、昭和9年12月に名古屋で開かれた芋銭の小品展にこれと大いに関連があると思われる画賛を持つ扇面形式の作品が出品された。
その画賛は、小川芋銭研究センターおよび『小川芋銭全作品集 本絵編』(696番)では、次のように読まれている。
「峰々に影して紅葉一樹照る」
この画賛で、「峰々に影して」の「影して」というのは、私にはちょっと耳慣れない言葉だが、そのように書いてある。
さて、二つの作品における画賛の文字を比べてみると、愛知県美術館で読んでいる「紅葉一樹明る」という文字の崩しは、外見上(あくまで外見上だが)昭和9年12月、名古屋での芋銭小品展に出品された扇面形式の作品の画賛と似ている。
しかし、「明る」という終止形は変だし、「照る山紅葉」という言葉があることからも想像できるように、ここでは「照る」と読むほうが妥当だろう。
私にとって次なる疑問は、「峰夕日影」の文字列である。
これは「峰の夕 日影の紅葉 一樹照る」と読んでいけばよいのだろうか。それとも別な読み方があるのか?分からない。(夕日影という言葉もあり、そう読むのかもしれない。2019年7月記す)
それにしても、なぜ「峰々に影して」が「峰夕日影」に変形したのだろう。
あるいはその逆もあり得るかもしれないが、その変形の理由は何なのだろう。