『芸術の無限感』(新装普及版)に載っている彝のアトリエ内部写真は、その写真の左辺部が実は少しトリミングされている。
それでそのトリミングされていない写真を見ると、写真の中に写っている、現在は茨城県近代美術館にある「静物」(大正8年作)のモティーフそのものが、描かれたテーブル(の脚)とともに、そのまま、ほぼ同じ構図で写真の中に写っていることに気づかされる。
だから、この写真を見ると、一見、似たような作品が2枚描かれたのかと思われるほどである。だがそうではなさそうだ。(下図)
彝は、この写真を撮るのに、わざわざこんな仕掛けをして撮らせたのか。
そうだとすると、「落合のアトリエ」も、わざわざ引っ張り出して、狭いテーブルに置いた可能性もあるやも知れぬ。そんな思いにも囚われる。
アトリエの内と外がこれで揃うからだ。
まあ、それにしては、この小さな作品の図柄を認めるのにちょっと骨が折れるが。
アトリエの壁に貼られた裸体像がルノワールでなく、ドガのパステル画であることは、下図により信じて貰えるだろう。確かプーシキン美術館にあるドガである。
それでそのトリミングされていない写真を見ると、写真の中に写っている、現在は茨城県近代美術館にある「静物」(大正8年作)のモティーフそのものが、描かれたテーブル(の脚)とともに、そのまま、ほぼ同じ構図で写真の中に写っていることに気づかされる。
だから、この写真を見ると、一見、似たような作品が2枚描かれたのかと思われるほどである。だがそうではなさそうだ。(下図)
彝は、この写真を撮るのに、わざわざこんな仕掛けをして撮らせたのか。
そうだとすると、「落合のアトリエ」も、わざわざ引っ張り出して、狭いテーブルに置いた可能性もあるやも知れぬ。そんな思いにも囚われる。
アトリエの内と外がこれで揃うからだ。
まあ、それにしては、この小さな作品の図柄を認めるのにちょっと骨が折れるが。
アトリエの壁に貼られた裸体像がルノワールでなく、ドガのパステル画であることは、下図により信じて貰えるだろう。確かプーシキン美術館にあるドガである。