『芋銭子文翰全集(上巻)』に載っていいる写真図版の複写である。
その本の「勿忘草(大正十五年頃の備忘録)」にこう書いてある(305頁)。
○老年は今迄の総清算をするのみではない、別に新たな老年の清算がある、此清算に没頭せねばならぬ、現在老年は過去の座に厳然坐すべきものなり。
○時と境に催ふされて多忙寧ろ狼狽の心地に彷徨する場合がある、此時何時来たとも知らず悠然として坐っているものがある、是が心の主人である、此主人の指図に随へば間違は起こらないですむ。
いい言葉だ。
だが、ちょっと文脈がおかしい。
そこで、上図の原文と照らしてみると、芋銭が原稿上端部で丸印を付けた「現在」は、「老年」の上にくるのでなく、「寧ろ」の右隣の墨で消してある部分に入るべき言葉だと分かる。よく見ればそこにも丸印がついているのだ。(下は拡大図)
するとこう読めるだろう。
○老年は今迄の総清算をするのみではない、別に新たな老年の清算がある、此清算に没頭せねばならぬ、老年は過去の座を顧みず現在の座に厳然座すべきものなり。
○時と境に催ふされて怱忙寧ろ狼狽の心地に彷徨する場合がある、此時何時来たとも知らず悠然として坐ってゐるものがある、是が心の主人である、此主人の指図に随へば間違は(起こらないですむ。)
前回のブログでちょっと触れた原稿の読み方の編集ミス(もしくは脱落も重なったうっかりミス)の例が黄色で訂正した部分である。
文脈がおかしいと思ったら、無理して読まずに、やはり、写真などの原稿があれば、それに照らし合わせた方がよいという実例だ。
内容的には、この「勿忘草」の二つの冒頭部、前回紹介した西山泊雲宛ての書簡冒頭部の言葉、
惺々
主人翁
坐中堂
に通じるものが感じられて面白い。いずれもここで原稿との照合が必要とされた部分だ。