相当前に買っていた本だが、捨てるに忍びなく、途中から読み始めたが、最初に戻ってすべて読み遂せた。
あのSTAP細胞論文騒ぎで、私は理系の分野でも、すぐバレるような嘘を論文として世界的に発表するような人がいることに非常に驚いたが、文系の学術論文でも、もっと狡猾で腹立たしいものがある。
こちらは実にみみっちく小規模だが、人の根本アイディアを平気で盗みながら、お世話になったそのことには触れず、参考文献や引用文献にも挙げず、盗みがバレないように「コピペ」などもせず、ただ事例を取り替えるなどして、水増ししたものを自分の業績としているような論文である。
例のSTAP女性博士は、その意味で、どちらかと言えば素直な?乾いた?わが国の一流新聞にも大賛辞を呈させたほどの、何だかあっけらかんとした大きな嘘であった。
女性博士は、幼稚と言えば幼稚なのだが、嘘の性質としてはあまり上手でない、つまり狡猾とは言えないものかもしれぬ。
これに対して文系論文や芸術表現でのアイディア盗用には、ひねくれた、ジメジメした、みみっちいものが多いと私はやや主観的ながら思っている。
なにせ学問や芸術分野の性質もあるのだが、文系の論文や芸術分野では何が新知見で、何が新しいオリジナリティなのか曖昧な場合があるし、書き方もダラダラ非常に長かったりして、あるいは逆にあまりにシンプルだったりして、なかなか狡猾で尻尾を出さないのである。
さて、ペックの本だが、幾つか印象に残ったところがあるので、忘れないよう抜粋しておく。
私は犯罪者と呼ばれている受刑者たちが…邪悪な人間だと意識したことはほとんどない。…彼らの破壊性には、どちらかと言えば行き当たりばったりなものがある。…彼らの悪にはどこか開けっぴろげなところがある。…自分たちが捕まったのは、自分たちが「正直な犯罪者」だからにすぎない…真の悪人というのは刑務所などには入らない。…私の信じるところでは、彼らの言うことはおおむね的を得ている。pp.95‐96
刑務所に入っている人たちは、なんらかのかたちで精神科医による標準的な診断を受けるのが普通である。彼らに下される診断はさまざまで、…狂気、衝動性、攻撃性、あるいは良心の欠如といったものがそれである。しかし私が問題にしている…人たちは、この種の明白な欠陥を持っておらず、…p.96
自己嫌悪の欠如、自分自身に対する不快感の欠如が、私が邪悪と呼んでいるもの、すなわち他人をスケープゴートにする行動の根源にある中核的罪であると考えられる… p.99
良心もしくは「超自我」をまったく欠いているように思われる人間は…罪の意識を欠いているがために、ただ犯罪を犯すというだけでなく、ある種の無謀さをもって犯罪を犯すことが多い。p.99
虚偽とは、実際には、他人をあざむくよりも自分自身をあざむくことである。…われわれがうそをつくのは、正しくないと自分で気づいている何ごとかを隠すためにほかならない。うそをつくという行為の前に、なんらかの良心が基本的なかたちで介在するのである。何かを隠す必要を感じなければ、隠しだてなどする必要はない。pp.100‐101 (続く)
あのSTAP細胞論文騒ぎで、私は理系の分野でも、すぐバレるような嘘を論文として世界的に発表するような人がいることに非常に驚いたが、文系の学術論文でも、もっと狡猾で腹立たしいものがある。
こちらは実にみみっちく小規模だが、人の根本アイディアを平気で盗みながら、お世話になったそのことには触れず、参考文献や引用文献にも挙げず、盗みがバレないように「コピペ」などもせず、ただ事例を取り替えるなどして、水増ししたものを自分の業績としているような論文である。
例のSTAP女性博士は、その意味で、どちらかと言えば素直な?乾いた?わが国の一流新聞にも大賛辞を呈させたほどの、何だかあっけらかんとした大きな嘘であった。
女性博士は、幼稚と言えば幼稚なのだが、嘘の性質としてはあまり上手でない、つまり狡猾とは言えないものかもしれぬ。
これに対して文系論文や芸術表現でのアイディア盗用には、ひねくれた、ジメジメした、みみっちいものが多いと私はやや主観的ながら思っている。
なにせ学問や芸術分野の性質もあるのだが、文系の論文や芸術分野では何が新知見で、何が新しいオリジナリティなのか曖昧な場合があるし、書き方もダラダラ非常に長かったりして、あるいは逆にあまりにシンプルだったりして、なかなか狡猾で尻尾を出さないのである。
さて、ペックの本だが、幾つか印象に残ったところがあるので、忘れないよう抜粋しておく。
私は犯罪者と呼ばれている受刑者たちが…邪悪な人間だと意識したことはほとんどない。…彼らの破壊性には、どちらかと言えば行き当たりばったりなものがある。…彼らの悪にはどこか開けっぴろげなところがある。…自分たちが捕まったのは、自分たちが「正直な犯罪者」だからにすぎない…真の悪人というのは刑務所などには入らない。…私の信じるところでは、彼らの言うことはおおむね的を得ている。pp.95‐96
刑務所に入っている人たちは、なんらかのかたちで精神科医による標準的な診断を受けるのが普通である。彼らに下される診断はさまざまで、…狂気、衝動性、攻撃性、あるいは良心の欠如といったものがそれである。しかし私が問題にしている…人たちは、この種の明白な欠陥を持っておらず、…p.96
自己嫌悪の欠如、自分自身に対する不快感の欠如が、私が邪悪と呼んでいるもの、すなわち他人をスケープゴートにする行動の根源にある中核的罪であると考えられる… p.99
良心もしくは「超自我」をまったく欠いているように思われる人間は…罪の意識を欠いているがために、ただ犯罪を犯すというだけでなく、ある種の無謀さをもって犯罪を犯すことが多い。p.99
虚偽とは、実際には、他人をあざむくよりも自分自身をあざむくことである。…われわれがうそをつくのは、正しくないと自分で気づいている何ごとかを隠すためにほかならない。うそをつくという行為の前に、なんらかの良心が基本的なかたちで介在するのである。何かを隠す必要を感じなければ、隠しだてなどする必要はない。pp.100‐101 (続く)