小川芋銭の作品に、『小川芋銭全作品集 本絵編』で「曳尾亀」と題された小品がある。扇面を縦にして眺める珍しい形式だ。
1934年(昭和9年)の作とされ、翌年4月の『小川芋銭先生小品展覧会図録』に掲載されている。
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いや、あると言えばある。
鶴の上方にささっと描かれた墨線がそれだ。亀が泥の中でその尾を引きずった跡が間違いなくそれなのだ。
だが、どうしてそんなことが言えるのか。
それは画賛にある「曳尾亀」という言葉に気づけばよい。
賛は「不忘曳尾亀」あるいは「不在曳尾亀」と読むのだろうか。
ここは単にめでたい鶴と亀の絵を描いて、人を喜ばせるのではなく、鶴を描いて、その上にちょっと何だかわけのわからない墨線を描き、画賛に<亀>の字を入れて謎かけたのだ。
確かに鶴だけしか描かれていない。だが、「曳尾の亀」という言葉もあるではないかという芋銭らしいメッセージではなかろうか。それは、「私の鶴亀図とはこれなのだ」というちょっとした自己主張でもあろう。絵は小品ながらそんな作者の心の内が見えてくる。
曳尾の亀は『荘子』に出て来る。
仕官を勧められた荘子が、仕官して束縛を受けるより、自由に生きた方がよいということを、死んで神亀として祭られるより、生きて泥のなかで尾を曳いている方がましだろうとそれを勧めに来た大夫に伝えたのである。
「曳尾於塗中」(おをとちゅうにひく)とはこうした思想を表す言葉だ。