宇宙(そら)に続く丘

プレリュード小学校1年C組のしりとりちーが案内する宇宙への道
みかんの丘は不思議へ通じるワームホール

恒例の天文教室

2020年08月23日 16時24分42秒 | 

今年も天文教室の時期がやってきた。スケジュール前半の天文工作。今年は「アンティーク天球儀」を作る。去年の秋に国立科学博物館で目にした明治時代の天球儀の、ロマンチックな雰囲気が僕を誘ったのだ。ただ、博物館の天球儀は明るい主な星と太陽の通る道だけを示していたため、球面に張り付ける画像も作り易い。しかし今はそれから一世紀以上経った令和の御世。どうせ作るのなら画像だけは出来るだけ精密にしかもカッコ良くと思ったが、毎度のことながらそれが苦難の道の始まりだった。

天球儀の星の並びは、空の星の配列をそのまま球面に落とし込むために左右が逆になっている。その画像をどうすれば作れるのか。著作権保護期間の切れている大昔のノルトン星図を原図に使い、いったん図面を読み取ってそれを左右逆にした後、全部で672のブロックに分けて形を整え「笹の葉原図」の所定の位置にはめ込んでゆく。しかし星の配置を左右逆にすると文字までが逆になってしまう。このためいったんはめ込んだ画像の中から文字だけを一つ一つ取り出して、左右を元に戻してゆく作業。時間が掛かると思って今年の2月に始めたのだが、仕上がったのは5か月半後の6月末。途中からこんなことを思い付いた自分を呪った。

半年以上掛けて出来上がった画像をのびるラベル(A-ONE社製)に印刷し、切り抜いてプラスチックの球に貼り付ける。そして出来た天球を木にニスを塗ってアンティーク感を出した架台にはめ込む。この架台もみんなに組み立ててもらうのは難しいので完成させておく必要が有った。これを作るのにも1か月半の時間を要した。僕は馬鹿だ。そうして出来上がったのが今回作る「超精密天球儀」。オーダーのあった19個に予備を含めた22個を用意できたのは天文教室の2週間前だった。

今年は新型コロナウイルスの影響でいつものような円卓は組めない。学校の教室のように並べられた机の上に材料を並べて工作に掛かったが、精密と銘打っただけに画像を切り抜くのも球面に貼り付けるのもみんな苦労していた。もちろん小学生だけでは無理。親子で一生懸命作る姿は見ていて美しい。これを見るのもこの教室の醍醐味だと思う。

参加者の中には小学校の教頭先生や町役場の広報誌担当の人もいて、例年より大人の雰囲気の格調の高いワークショップになった。

(指導を手伝ってくれた教頭先生)

(この人は吉備中央町企画課の広報誌担当の職員)

 

細かい作業が不得手な子供たちも当然居る。始めてからおよそ2時間半。悪戦苦闘の末、何とか出来上がった現代版超精密天球儀がこれ。

実はこの天球儀の極軸の傾きは、この大和公民館の位置に合わせてある。なので架台に張り付けてあるプレートに書かれているのは「Armillary Sphere by NORTON for YAMATO」。
子供たちに故郷の空を誇りに思ってほしいという願いからだ。

このイベントはもともと彗星探索の第一人者本田実さんが晩年に観測所を構えていた岡山県吉備中央町大和地区で、星の世界の後継者を養成しようと1997年に始めたものだ。初めは夜の観望会だけだったが、あまりにも天候に左右され中止を余儀なくされる年も有ったため、雨が降っても大丈夫なようにと昼間の工作教室が加わったのが2001年。それ以来ずっとこうして続いている。ただ初めはかなりいた大和小学校の子供たちも年を追って少なくなり、今年はとうとう全校児童が60人を割ったと聞いた。かろうじて複式学級は免れているが、それも時間の問題なのかもしれない。
この教室を経験した子供たちも大半が町外に出てしまった。ここから街に出るには車で1時間以上掛かる。近くにはスーパーマーケットはおろかコンビニも無い。外に出たがるのは無理ないと思う。それでもいい。街で働いてひと歳経った時、この天文教室で憶えた故郷の星空の美しさを思い出して、人生の後半を星に囲まれて過ごしてもらえれば。

天文教室の後半はいつもの星空観望会だ。

天気予報には「曇りで所により雷雨」とあったが、天が味方をしてくれたのか、遠くでゴロゴロと音はしていたものの日暮れと共に雲が切れ、三日月が沈むころには木星、土星のほかヘルクレス座の球状星団やこと座のドーナツ星雲、白鳥のくちばし、アルビレオなども楽しむ事が出来た。みんな喜んでくれていた。今年もやった甲斐が有ったというものだ。片付けて別れ際に教頭先生が「来年は何を作るんですか。」と問う。

それだ。来年は何を作ろう。

コメント (2)
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