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里山の生物指標として(2)千葉県下農村の一断面 2004年1月15日 9:15

2006-04-29 21:33:27 | 里山に託す私たちの未来-再生策を探る
●千葉の田んぼの現状、一断面です。
 1月11日に、千葉県我孫子市より、成田を経由して、佐原市までJRで移動しました。広大な田んぼが、見事と言っていいほどの乾田化されています。
風景全体が茶色に染まって、心にぐさっとくる一面の灰色の世界と言って良いでしょう。現実問題、たまに、田んぼ1枚に一面に水が張ってある箇所がありました。それだけで気持ちがホットします。
 ところがよく見るとこれが、鴨を捕獲するための冬期湛水水田。
無双網と言って、くず米を撒いておいて、夜間鴨を一網打尽に捕獲する仕組みです。しかもこれが、JRの車内から3ヶ所も望見されました。
 また、成田線で成田周辺の里山の放置された結果の荒れ方を見るに付けて、里山全体が醸し出す雰囲気もこの風景の影響で、このような場所で育つ子供達の乾ききった心のひだが感じられる様です。
 田んぼの乾田化→砂漠化から、冬・水・田んぼ(冬期湛水水田)化を言うまえに、実は子供達の心もが乾燥化しているのではないかと、考えたりします。子供を産む前の娘さんや若い母親達の気持ちも知りたいところです。
 現状の田んぼの乾田化とは、想像を絶した現実を引き起こしています。田んぼの畠化でもあり、真の砂漠化です。
年間8ヶ月間は、ゴビ砂漠、ナビブ砂漠と同様、それ以上に過酷な無生物の世界です。 実質、無菌状態で、細菌も生きられないといわれます。生態系ではゼロとなります。
 今の日本の田んぼでの農法は、慣例農法と言われ、全国一律に近く 春、一斉に田んぼの蛇口を開けて、パイプで供給される水を張り、農薬と肥料を大量に投入し、しろかきをします。
 その上で、連休中の休みを利用して田植え、後は、空中散布で、混合農薬を散布します。秋の収穫まで基本的にはそのまま。 ベンツと揶揄される、1年に4~5日しか稼働しない高価なコンバインで刈り取りをし収穫し、販売業者へ引き渡します。 誰でもできる農法が理想となって、田んぼを見て廻ることもほとんどない生活です。
従って、いままで1000年以上も継続してきた、農業を両親の働く場として実体験する機会を持たないまま、息子達は普段はJA職員や公務員となって、しかも農業は専業ではなく兼業として存在しています。
 でも、現状の慣例農法とは、まるでインスタントラーメンをお湯を沸かして作って食べるみたいに聞こえてしまいます。
 砂漠のままの状態から、生態系ゼロからの急激な稲作のスタートですから、何から何まで農薬、肥料等無機化学製品を多用することになります。これらが、一斉大量に供給されるために自然界で排除しにくく、湖沼等での富栄養化の大きな原因の一つともなります。

同時に、農家の方々自身への農薬の影響、特に年を取ってからの重度の障害の発生。同時に、またそれを食する日本の市民達、特に子供達への影響がアトピーをはじめ心配です。
それらの結果を踏まえて考えると 日本の原点はあくまで農業国であり、2500年以上同じでした。
 生き物達は日本の田んぼの耕作スケジュールを熟知していて、それに合わせて年間でのタイムスケジュールを組み立ててきています。
 タイコウウチも、メダカも、秋の借り入れ前になると田んぼの水が切られますので、田んぼ横の用水か、羽を使って付近のため池へ移動します。
 ナビブ、ゴビ砂漠では、数千年から1億年以上の経過がありますので生態系もそれなりに適応できています。
 日本の田んぼの砂漠化は、まだ始まって40年。この短い期間ではあらゆる生き物が適応できません。
 そのために、メダカなどまでが絶滅の恐れがあるという現実を招いています。
 昭和40年代初め、田んぼの砂漠化が始まったときに、雁、トキをはじめ、それぞれの高等動物は一斉に姿を消しました。 雁達は、生活適応できないとして、渡来しなくなったのです。
 生態系でいえば、生き物の頂点にたつ、高等動物としての我々に影響がでないとは、考えられません。
 生き物としての生態系としての回転率が違うのです。
 田んぼの環境が、ナビブ砂漠並みになれば、子供達の知る原風景がまったく変わってしまいます。
 子供達の心のひだに、田んぼの砂漠化がどのように反映しているのか。荒廃した里山の風景が、2重写しになってどのように写っているのでしょうか。
 戦後のこの50年間、人の一生と重ねてみて、我々の周辺には、きちんと永年引き継いできた日本の基本的な農法・里山管理法を放棄してしまった結果。 我々古い世代には、しっかりと植え込まれているものの考え方が崩れてしまいました。
 特に農業が基本であるべき技法が失われて、自然と接点を切り離してしまった結果、ひょろひょろで手入れがされていない、砂漠のように無感動な若者がたくさん産み出されているのではないでしょうか。
 農家にとって、自分の息子や孫との関係でいえば、農家の親の作った米や野菜までもを、農薬汚染を心配して若い世代は食材とすることをも断りだしていると聞いています。
 安心を求め、スーパで野菜や真空パック入りの餅や求めるような有様だと聞いています。
 すべて、我々の世代がここ50年間で到達した結果です。
責任を負って後継者や孫達に、なんとか自然再生、自然創世をして戻してあげる義務があると、強く感じています。

 まずご提言です。
 まず、真っ先に、自分の田んぼに水を張ってみてください。従前の農法から地域ごとの、伝承された農法を再度見直してください。 
 先ほどの、栄町の新海さんは、冬・水・田んぼ(冬期湛水水田)でなにが一番変わったかと聞くと、自分だと。毎日何度も田んぼを見回りに行くと、楽しくてしょうがないと。
 生き物が身近にあふれ出すと、気分が晴れます。 同時に、ささやかでもロマンを感じてください。 冬・水・田んぼは、かって当たり前の農法であったと言うことに気が付いたとのことです。新海さんは、本年は特別な思いで、全く新しい農法にチャレンジする事に決めたとのことでした。
 議論のたたき台にして頂きたいと存じます。



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