32日目
2012年6月25日(月) 晴れ
野辺地駅ー狩場沢駅7.0Km-清水川駅4.9Km-小湊駅6.7km-西平内駅5.3Kmー浅虫温泉駅6.7Km 歩いた距離 30.6Km
朝の5時半には起きだした。
朝日がまぶしくてとても寝ていられないのだ。
明け方はかなり涼しかった。ちょっと寒く感じられるほどでシュラフにくるまってしのいだ。
寒いのも道理で、車の窓が開けたままだったのだ。
昨夜寝るときに窓を閉め忘れていたのだった。
こんなに朝早いのだが国道4号は大型トラックがたくさん走っている。
今朝は雲ひとつ無いすばらしい快晴である、海はまるで鏡のようだ。
だがゆっくりしていられない。
まずは朝食である。
昨夜買った半額のパンとヨーグルト、それにお湯を沸かしてインスタントコーヒーで朝食を済ませる。
その後は道の駅でトイレと洗顔を済ませる。
朝早いがホテルから観光客の夫婦が海を見に出てきている。
車を道の駅の駐車場に停めたまま歩いて駅まで行く。
今日は野辺地駅まで列車で移動して、そこからこの浅虫温泉駅まで歩く予定だ。
上りの列車は07時29分発の八戸行き。
野辺地までの運賃は660円とこれも結構高いのでツライ。
通学の女子高校生がにぎやかに青森方面行きの列車に乗り込んで行った。
わたしの乗る上り方面の列車はまずまずの込み具合だ。
運転手の鞄には青い森鉄道のバッジがつけてあった。
野辺地駅には07時55分に到着した。
電車を降りてさっそく歩き出す。列車を降りた高校生がぞろぞろと学校へと歩いていく。
ここからは国道4号と(旧)東北本線は平行しているので、ひたすら青森方面に向かって歩くだけだ。
信号は縦型である。これは横型にすると雪が積もって信号を見えなくしてしまうからだ。
東京から700Km地点で野辺地町を離れて平内町へと入っていく。
ここは南部藩と津軽藩の藩境であった。
その藩境塚が史跡として残されているのだが、塚は国道沿いではなく海岸沿いにある。
昔はあの位置に道路があったのだろうか。
だが番所はいまの国道4号沿いにあるのだった。
快晴で気温は19度だ。弱い風もあるので暑さはあまり感じられないのだが、腕と首筋がジリジリと焼けていくのが分かる。
帽子にハンカチをくくりつけて首筋を日光からを守る。
海側にはホタテを売る店が並んでいる。
どの店も店内に生簀を設けていてイキの良いホタテを売っているのだ。
店舗や住宅は海岸のすぐそばに建っている。
堤防や防潮堤というようなものはまったく無い。ここは湾の中なので津波の影響を受けないのだ。
青森といえば名産は”りんご”なのでガードレールもりんごの図柄だ。
狩場沢駅が見えてきた。ちいさな待合室とプラットホームだけの駅だ。
ここでアンパンと野菜ジュースのおやつ。特売品だったのが少々悲しいが。
歩きだそうと外へ出ると足元に小さなヘビがいた。
長さが10センチほどだが、やはり蛇は見て楽しいものではない。
だがこの日はこのあと2度も蛇にお目にかかることとなった。
昔の人は白い蛇を神の使いとしたらしいが、このような普通の蛇ははたしてどうなんだろうか。
右手に海を見ながら歩く。
青森方面から中年男性が自転車でやってきた。
彼はわたしが「道の駅、浅虫温泉」で今朝見かけた人だ。
どうやら自転車で旅行をしている人らしい。
言葉は交わさなかったがテントに泊まりながら旅行をしているようだ。
夏休み時期になると高校生、大学生が自転車旅行をしているのは良く見かけるが、中年の自転車旅行者はなぜか少ない。
やはり長期間の休みが取れないとか、家族が”危険だから”と反対するのだろうか。
マンホールの蓋の写真を撮る。
回りにホタテ、中央に漁船が描いてある、下に「漁集排」と書いてあるがどういう意味なのだろうか。。
清水川駅が見えてきた。
駅前の住宅地の小さな路地を歩く。
軽自動車さえも通れないほどの狭い道である。
昔の小さな漁村ではこのように民家が軒を接しているところが多かった。
10時50分に清水川駅に到着した。
ここも無人駅だ、待合室にはカラフルな椅子が並んでいるが窓側の長いベンチが昔を偲ばせてくれる。
駅前にある電話ボックスは地面から数段高いところにあるのは、この地が積雪の多いところだからだ。
ここも写真を撮っただけで歩き出す。
さわやかな青空といいたいところだが、強い日差しが肌に痛い。
それでも気温はさほど上がっていなくて、まだ18度だった。
右へ行けば冬に白鳥がやってくる夏泊半島である。
平内町へと入っていく、このあたりの神社の鳥居は白く塗られている。
マンホールの蓋には白鳥とホタテ、そして椿の花が描いてある、「地元の名物を全部描き込みました。」という感じだ。
町の街燈の看板にもホタテが描いてある、けっしてシェル石油の提供品ではない。
かつては賑やかだっただろう駅前の商店街だが人通りは無い。
木の幹に打ち付けられた駅への案内標識板、年代を感じさせてくれる。
この町は津軽三味線で有名なの高橋竹山の生誕の地だ。
生誕100年になるのだそうだ。
駅の正面には大きな三味線と高橋竹山の顔出し看板があった、顔だけでなく手も出す穴が空いている。
どうやら三味線もセットされていて穴から手を出して三味線を弾くポーズができるのだが、三味線の部分が無くなってしまったものらしい。
12時40分に小湊駅に到着。
この駅は平内町だけでなく夏泊半島に住む人たちの最寄り駅だから有人駅だし駅舎も大きめだ。
ここも駅舎の写真を撮るだけにして歩き出す。
駅前にある「ご家中のマツ」。
大きな松ノ木だがなぜ”松”ではなくて”マツ”とカタカナで書いてあるのだろうか。
平内町で昼食にしようと思っていたのだが、町中で食堂を見つけることが出来なかった。
国道4号を青森方面へと歩いていくとラーメン店とほっかほっか亭があった。
ほっかほか亭を見ると店内で食事ができるようテーブルがあったので昼食はここで食べることにした。
味噌汁も注文したが品切れ中ということで「ソースかつめし」だけで済ますことにする。400円なり。
かつがサクサクして美味しいし量もわたしにはちょうど良かった。
食べ終えて歩き出すと道端に蛇の死骸があった。
どうやら道路を横断中に車に轢かれたものらしい。
蛇はそんなに早く歩けないから(蛇では歩くとは言わないと思うが)、交通量の多い国道を横切るのはまさに命がけだ。
蛇だから「手を上げて横断歩道を渡る」ことも出来ないだろうしなあ。
と、くだらないことを考えながら歩き続ける。
国道4号を離れて田んぼの中の道を行く。
同じ天気でも田んぼの中の道の方が涼しく感じるのは車の騒音が無いからだろうか。
と、田んぼの脇でまたしても蛇を発見。今日はよくよく蛇に縁がある日だ。
西平内駅には午後2時40分に着いた。
今日の目的駅である浅虫温泉駅まであと一駅だ。
小さな待合室とプラットホームだけの駅なので写真を撮ったら歩き出す。
また国道4号へと戻る。
あと4キロ、約1時間だ。
3日目なので足だけでなく腰も痛い。
くしゃみをすると腰がぎくっとなって立っていられないほどだ。
両方の脚も痛い、なぜか足の裏に痛みがあるので足の裏にサロンパスを張ってしのぐ。
歩き続けていると痛い場所がつぎつぎと移動していくのだ。
始めは足の甲の部分だったが、そのうちにふくらはぎの部分が痛くなってきて、次は膝が痛み出すという具合なのだ。
歩くことが出来ないほどの痛さではないし一晩休めば痛みが消える、これは普段の運動不足、鍛錬不足から来るものだろう。
ここまで来れば青森駅がかなり近く感じる、もう少しがんばろう。
出来たばかりのバイパス道路を歩く。このような道は車には快適だが歩くには向いていない。
木陰もないしアスファルトの照り返しが強いのだ。
やっと海が見えてきた。すばらしく美しい、穏やかな海に太陽が輝いている。
これは地中海の景色にも負けない美しい景色だ。地中海を見たことがないが、こんな感じだろうなあと想像する。
海岸の消波ブロックや出来たばかりのバイパス道路が景色を台無しにしている部分もあるが、海だけ眺めていれば良いのである。
パノラマにするとこんな感じである、暑さがふっとんでしまう爽やかな眺めだ。
浅虫温泉の町が見えてきた。ここはもう青森市である。
有名な浅虫水族館が線路の向こうに見える。
浅虫温泉駅が近くなってきた。
午後4時15分に浅虫温泉駅に到着した。
今日はここまでとして青森駅までは明日にする。
駅には観光客の姿が途切れない。ほとんどが年配のグループである。
さすがにおばちゃんのグループは賑やかである。
駅前にはホテルの送迎バスがつぎつぎにやってくる。
有名な温泉地の駅だが駅舎は個性がない。
駅にある観光館内所で、この町に公衆浴場はあるかと聞いてみる。
「2軒ある、入浴料は350円だ」と、宿泊客以外は歓迎しないような雰囲気でそっけない。
そのうち一軒は道の駅のビルの5階にあるのだそうだ。
観光収入にならない客の相手などしていられないのであろう。
無理もないことだなと思いながら観光地図をもらって、いったん車に行き入浴用品と着替えを持って温泉にと急ぐ。
5階にある温泉は海側が大きなガラス張りになっていて眺めは最高である。
有名なホテルに泊まらなくても温泉が楽しめるのは本当にうれしいことだ。
温泉でさっぱりと汗を流して着替えを済ませて車へと戻る。
美しい夕焼けを写真に収めてから夕食の準備だ。
夕食とはいっても今夜もインスタントラーメンと鯖の味噌煮の缶詰というわびしいものだ。
食べ終えてしまえばあとはすることも無いので、シュラフを出してくるまって寝てしまう。
2012年6月25日(月) 晴れ
野辺地駅ー狩場沢駅7.0Km-清水川駅4.9Km-小湊駅6.7km-西平内駅5.3Kmー浅虫温泉駅6.7Km 歩いた距離 30.6Km
朝の5時半には起きだした。
朝日がまぶしくてとても寝ていられないのだ。
明け方はかなり涼しかった。ちょっと寒く感じられるほどでシュラフにくるまってしのいだ。
寒いのも道理で、車の窓が開けたままだったのだ。
昨夜寝るときに窓を閉め忘れていたのだった。
こんなに朝早いのだが国道4号は大型トラックがたくさん走っている。
今朝は雲ひとつ無いすばらしい快晴である、海はまるで鏡のようだ。
だがゆっくりしていられない。
まずは朝食である。
昨夜買った半額のパンとヨーグルト、それにお湯を沸かしてインスタントコーヒーで朝食を済ませる。
その後は道の駅でトイレと洗顔を済ませる。
朝早いがホテルから観光客の夫婦が海を見に出てきている。
車を道の駅の駐車場に停めたまま歩いて駅まで行く。
今日は野辺地駅まで列車で移動して、そこからこの浅虫温泉駅まで歩く予定だ。
上りの列車は07時29分発の八戸行き。
野辺地までの運賃は660円とこれも結構高いのでツライ。
通学の女子高校生がにぎやかに青森方面行きの列車に乗り込んで行った。
わたしの乗る上り方面の列車はまずまずの込み具合だ。
運転手の鞄には青い森鉄道のバッジがつけてあった。
野辺地駅には07時55分に到着した。
電車を降りてさっそく歩き出す。列車を降りた高校生がぞろぞろと学校へと歩いていく。
ここからは国道4号と(旧)東北本線は平行しているので、ひたすら青森方面に向かって歩くだけだ。
信号は縦型である。これは横型にすると雪が積もって信号を見えなくしてしまうからだ。
東京から700Km地点で野辺地町を離れて平内町へと入っていく。
ここは南部藩と津軽藩の藩境であった。
その藩境塚が史跡として残されているのだが、塚は国道沿いではなく海岸沿いにある。
昔はあの位置に道路があったのだろうか。
だが番所はいまの国道4号沿いにあるのだった。
快晴で気温は19度だ。弱い風もあるので暑さはあまり感じられないのだが、腕と首筋がジリジリと焼けていくのが分かる。
帽子にハンカチをくくりつけて首筋を日光からを守る。
海側にはホタテを売る店が並んでいる。
どの店も店内に生簀を設けていてイキの良いホタテを売っているのだ。
店舗や住宅は海岸のすぐそばに建っている。
堤防や防潮堤というようなものはまったく無い。ここは湾の中なので津波の影響を受けないのだ。
青森といえば名産は”りんご”なのでガードレールもりんごの図柄だ。
狩場沢駅が見えてきた。ちいさな待合室とプラットホームだけの駅だ。
ここでアンパンと野菜ジュースのおやつ。特売品だったのが少々悲しいが。
歩きだそうと外へ出ると足元に小さなヘビがいた。
長さが10センチほどだが、やはり蛇は見て楽しいものではない。
だがこの日はこのあと2度も蛇にお目にかかることとなった。
昔の人は白い蛇を神の使いとしたらしいが、このような普通の蛇ははたしてどうなんだろうか。
右手に海を見ながら歩く。
青森方面から中年男性が自転車でやってきた。
彼はわたしが「道の駅、浅虫温泉」で今朝見かけた人だ。
どうやら自転車で旅行をしている人らしい。
言葉は交わさなかったがテントに泊まりながら旅行をしているようだ。
夏休み時期になると高校生、大学生が自転車旅行をしているのは良く見かけるが、中年の自転車旅行者はなぜか少ない。
やはり長期間の休みが取れないとか、家族が”危険だから”と反対するのだろうか。
マンホールの蓋の写真を撮る。
回りにホタテ、中央に漁船が描いてある、下に「漁集排」と書いてあるがどういう意味なのだろうか。。
清水川駅が見えてきた。
駅前の住宅地の小さな路地を歩く。
軽自動車さえも通れないほどの狭い道である。
昔の小さな漁村ではこのように民家が軒を接しているところが多かった。
10時50分に清水川駅に到着した。
ここも無人駅だ、待合室にはカラフルな椅子が並んでいるが窓側の長いベンチが昔を偲ばせてくれる。
駅前にある電話ボックスは地面から数段高いところにあるのは、この地が積雪の多いところだからだ。
ここも写真を撮っただけで歩き出す。
さわやかな青空といいたいところだが、強い日差しが肌に痛い。
それでも気温はさほど上がっていなくて、まだ18度だった。
右へ行けば冬に白鳥がやってくる夏泊半島である。
平内町へと入っていく、このあたりの神社の鳥居は白く塗られている。
マンホールの蓋には白鳥とホタテ、そして椿の花が描いてある、「地元の名物を全部描き込みました。」という感じだ。
町の街燈の看板にもホタテが描いてある、けっしてシェル石油の提供品ではない。
かつては賑やかだっただろう駅前の商店街だが人通りは無い。
木の幹に打ち付けられた駅への案内標識板、年代を感じさせてくれる。
この町は津軽三味線で有名なの高橋竹山の生誕の地だ。
生誕100年になるのだそうだ。
駅の正面には大きな三味線と高橋竹山の顔出し看板があった、顔だけでなく手も出す穴が空いている。
どうやら三味線もセットされていて穴から手を出して三味線を弾くポーズができるのだが、三味線の部分が無くなってしまったものらしい。
12時40分に小湊駅に到着。
この駅は平内町だけでなく夏泊半島に住む人たちの最寄り駅だから有人駅だし駅舎も大きめだ。
ここも駅舎の写真を撮るだけにして歩き出す。
駅前にある「ご家中のマツ」。
大きな松ノ木だがなぜ”松”ではなくて”マツ”とカタカナで書いてあるのだろうか。
平内町で昼食にしようと思っていたのだが、町中で食堂を見つけることが出来なかった。
国道4号を青森方面へと歩いていくとラーメン店とほっかほっか亭があった。
ほっかほか亭を見ると店内で食事ができるようテーブルがあったので昼食はここで食べることにした。
味噌汁も注文したが品切れ中ということで「ソースかつめし」だけで済ますことにする。400円なり。
かつがサクサクして美味しいし量もわたしにはちょうど良かった。
食べ終えて歩き出すと道端に蛇の死骸があった。
どうやら道路を横断中に車に轢かれたものらしい。
蛇はそんなに早く歩けないから(蛇では歩くとは言わないと思うが)、交通量の多い国道を横切るのはまさに命がけだ。
蛇だから「手を上げて横断歩道を渡る」ことも出来ないだろうしなあ。
と、くだらないことを考えながら歩き続ける。
国道4号を離れて田んぼの中の道を行く。
同じ天気でも田んぼの中の道の方が涼しく感じるのは車の騒音が無いからだろうか。
と、田んぼの脇でまたしても蛇を発見。今日はよくよく蛇に縁がある日だ。
西平内駅には午後2時40分に着いた。
今日の目的駅である浅虫温泉駅まであと一駅だ。
小さな待合室とプラットホームだけの駅なので写真を撮ったら歩き出す。
また国道4号へと戻る。
あと4キロ、約1時間だ。
3日目なので足だけでなく腰も痛い。
くしゃみをすると腰がぎくっとなって立っていられないほどだ。
両方の脚も痛い、なぜか足の裏に痛みがあるので足の裏にサロンパスを張ってしのぐ。
歩き続けていると痛い場所がつぎつぎと移動していくのだ。
始めは足の甲の部分だったが、そのうちにふくらはぎの部分が痛くなってきて、次は膝が痛み出すという具合なのだ。
歩くことが出来ないほどの痛さではないし一晩休めば痛みが消える、これは普段の運動不足、鍛錬不足から来るものだろう。
ここまで来れば青森駅がかなり近く感じる、もう少しがんばろう。
出来たばかりのバイパス道路を歩く。このような道は車には快適だが歩くには向いていない。
木陰もないしアスファルトの照り返しが強いのだ。
やっと海が見えてきた。すばらしく美しい、穏やかな海に太陽が輝いている。
これは地中海の景色にも負けない美しい景色だ。地中海を見たことがないが、こんな感じだろうなあと想像する。
海岸の消波ブロックや出来たばかりのバイパス道路が景色を台無しにしている部分もあるが、海だけ眺めていれば良いのである。
パノラマにするとこんな感じである、暑さがふっとんでしまう爽やかな眺めだ。
浅虫温泉の町が見えてきた。ここはもう青森市である。
有名な浅虫水族館が線路の向こうに見える。
浅虫温泉駅が近くなってきた。
午後4時15分に浅虫温泉駅に到着した。
今日はここまでとして青森駅までは明日にする。
駅には観光客の姿が途切れない。ほとんどが年配のグループである。
さすがにおばちゃんのグループは賑やかである。
駅前にはホテルの送迎バスがつぎつぎにやってくる。
有名な温泉地の駅だが駅舎は個性がない。
駅にある観光館内所で、この町に公衆浴場はあるかと聞いてみる。
「2軒ある、入浴料は350円だ」と、宿泊客以外は歓迎しないような雰囲気でそっけない。
そのうち一軒は道の駅のビルの5階にあるのだそうだ。
観光収入にならない客の相手などしていられないのであろう。
無理もないことだなと思いながら観光地図をもらって、いったん車に行き入浴用品と着替えを持って温泉にと急ぐ。
5階にある温泉は海側が大きなガラス張りになっていて眺めは最高である。
有名なホテルに泊まらなくても温泉が楽しめるのは本当にうれしいことだ。
温泉でさっぱりと汗を流して着替えを済ませて車へと戻る。
美しい夕焼けを写真に収めてから夕食の準備だ。
夕食とはいっても今夜もインスタントラーメンと鯖の味噌煮の缶詰というわびしいものだ。
食べ終えてしまえばあとはすることも無いので、シュラフを出してくるまって寝てしまう。