33日目
2012年6月26日(火) 晴れ
浅虫温泉駅-野内駅6.8Km-矢田前駅2.2Km-小柳駅2.2Km-東青森駅1.9Km-青森駅6.3Km
計19.4Km
05時30分に起きだして今日も快晴だ。
風がまったく無いので海はまるで鏡のようである。
道の駅にいきトイレと洗顔を済ませる。
今日は浅虫温泉駅から青森駅まで歩く予定だ。
距離は20キロ弱なので昼過ぎには着いてしまうだろう。
青森駅前を見物したりしてから浅虫温泉の銭湯へ寄って汗を流してからゆっくり帰宅するのが今日の計画である。
朝食は町で唯一のコンビニでカツサンドと野菜ジュース、ペットボトルのお茶を買う502円なり。
06時20分、まだ朝食には早いので買ったものをディパックに詰めて歩きだす。
陸奥湾の向こうに青森市が見えている、岩礁では釣りをする人の姿も見える。
漁に出る小船の姿もある。穏やかな陸奥湾の風景だ。
浅虫温泉から左手に青い森鉄道のトンネルを見て海側の道を行く。
ときおり電車の音が聞こえるのでカメラを向ける。
町を通りすぎ小さな岬を越えていく。
電車はトンネルをくぐって行くが、道路はトンネルの上を通っているのだ。
この峠は採石場のようである。
峠の道路わきに少し谷間になっているところがある。
見るとなにやら薄汚れた白い塊がある。
なんと雪がまだ溶けずに残っているのだった。
7月まであと4日というのにこんなに雪が残っているとは驚きだ。
ここは高い山の上ではない、海抜は10メートル程度だろう。
しかも回りがうっそうとした森で日陰とかでもない、かなり日当たりの良いところである。
いったい冬の間にどれだけの量の雪が積もったのだろうか。
どれほどの雪の山なら7月になるまで溶けずに残るのだろう。
峠を越えるとまた民家が現れてくる。
この道路は以前は国道4号だったはずである。
道の脇には昔のガードレール?がぽつんと残っている。
丸い穴はその部分に鉄の棒が通されていた跡だ。
その脇の上部を赤色で塗ってあるコンクリート柱には729Kmと、東京からの距離が書いてある。
この地方の伝統的なつくりの民家。玄関の部分に特徴がある。
もうすぐ8時だから通学、通勤の人たちで道路は賑やかになって来た。
野内駅が近くなってきた。
豪雪地帯の人たちでなければなぜこのように窓に板が渡してあるのか分からないだろう。
これは雪で窓ガラスが割れるのを防ぐためのものなのだ。
取り外し式になっていて雪がなくなると板を外しておくことが出来る。
この地域ではこの位置までは雪が積もることがあるのだ。
北国の暮らしは雪との戦いでもある。
屋根の雪下ろしのための梯子も必ずある。
雪の重みで家が壊れないように雪下ろしもしなければならず、雪国の冬の生活は重労働の日々でもある。
駐車場の雪かきも重労働なので、このような消雪設備をつくるところもある。
駐車場の床部分に温水を通して雪を溶かすのだ。
野内駅が見えてきた。高校生がどっと降りてくる。
この駅も跨線橋は無い。
線路の下を通っている県道123号線を通って向かい側のプラットホームへと渡るのだ。
07時50分に真新しい野内駅に到着した。
駅待合室のベンチで買ってきたサンドイッチを食べる。
無人駅だが定期券のチェックのために時間帯によって係員がいるようだ。
朝食を終えるとすぐに歩き出す。
隣の矢田前駅は約2.2キロしか離れていない。
隣の駅が近いということも都会の象徴である。
田舎では隣の駅まで10キロ以上離れていることも珍しくない。
線路の脇に住宅が立ち並ぶのもやはり都会ならではの風景だ。
08時35分に矢田前駅に着いた。
無人駅で駅前に自転車が停めてあるのと跨線橋が無ければ、駅と気づかずに通り過ぎてしまいそうだ。
歩いていくと林の中を抜けていくような歩道がある。
公園なのだが防災のための緑地でもあるだろう。
木陰はビルなどの日陰よりも涼しいので歩いて気持ちがよい。
次の小柳駅も近いので09時20分には到着した。
この駅も向かいのプラットホームへの移動は線路下の道路を使う。
駅前はアパートが建っているが片面は広大な広場になっている。
ここも数年後には住宅やアパートが立ち並ぶのだろうか。
片側が公園になっていて小柳緑地と看板があった。
このように広い公園がある町はうらやましい。
この駅もプラットホームだけの駅で待合室は工事現場のプレハブ事務所みたいだった。
隣の東青森駅は貨物駅でもある。
電気機関車がコンテナの入れ替えをしている。
機関車の屋根の一部の塗装が剥がれて錆が出ていたりするのがちょっと侘しさを感じさせる。
09時50分に東青森駅に着いた。
りっぱな駅舎だなあ、と覗いてみると事務所だった。
だが昔はここが待合室だったに違いない。
現在は連絡通路の中に待合室が設けられている。
この駅も無人駅だ、待合室の下を列車が通り過ぎていく。
あとひとつで青森駅だ。ゆっくり歩いても昼過ぎには青森駅に着くだろう。
東青森駅前には大型スーパーマーケットやドラッグストアー、入浴施設などが並んでいる。
スーパーに入ってひとやすみする。
日差しが強くなってきた。
青森市の主要な道路は道幅が広いので歩いていて開放感がある。
道路幅が広いのは冬は除雪した雪で道幅が狭くなってしまうからだ。
ふと看板を見ると「ブルドック旅館」というのがあった。
看板は旅館の文字の部分を後から貼り付けたように見える。
あの旅館の文字の下には何が書いてあるのだろう。
もしかして”ソース”とか?
ブルドック・ソースの営業所だったところを旅館に改装したとか?
旅館のオーナーが犬好きというのはあるかもしれないが、それだと旅館の文字を上から貼り付けてある理由がわからない。
ペットホテルかとも思ったがそうでもないようだ、それにしてもユニークなネーミングだ。
市の中心部へと入っていく。
日差しが強いので暑く感じるのだが気温はまだ19度だった。
青森ベイブリッジが見えてきた。
この橋を渡れば青森駅だ。
この橋とすぐそばに建つ三角形のビル「青森物産館 アスパム」は青森市観光の拠点である。
せっかく来たのだからベイブリッジを歩いてみる。
橋のたもとには船の碇。
なるほどこの街を象徴するものだろう。
橋は大きくなかなかの迫力である。
港には青函連絡船「八甲田丸」が見える。
さすがに観光の目玉だけあって平日だというのに観光客の姿が多い。
八甲田丸の見学料は500円ということなので今回はパス。
青函連絡船は高校の修学旅行や勤めててからの社員旅行などでなんどか乗ったことがある。
船と一緒に泳ぐイルカの群れを見たことが記憶に残っている。
青森駅には12時45分に到着した。
この駅はJR東日本の在来線と青い森鉄道が仲良く使っている。
新幹線の駅はここから離れたところにある。
乗り継ぎなどで間違える人が多いらしく注意の案内表示があった。
わたしは(旧)東北本線を歩く旅をしているので基本的には新幹線の駅には行かない。
実際は新幹線も東北本線ということになっているのだが、旧国鉄時代の東北本線にこだわっている。
だが、そのうち新幹線で青森駅まで来てみたいと思う。
駅構内のお土産売り場には大きな「ねぶた」が。
そういえば、あと一ヶ月で青森ねぶた祭りだ。
昼食はお手軽に早い安いのCoCo壱番屋のポークカレー、630円で済ませた。
そういえば前回の仙台駅から福島駅まで歩いたときも、福島駅前でカレーライスを食べたっけな。
わたしは食のこだわりが無いほうだけど、それにしてもどこへ行ってもラーメンとカレーライスだけで満足しているようでは少々悲しい。
ほんとうに貧相な食生活である。
昼食を終え、八戸方面行きの列車の待ち時間を利用して駅周辺を見て回る。
駅前には「ラ・ワッセ」というフランス語かと間違えそうな名前の施設がある。
青森ねぶたの観光施設だ。
東北の代表的な祭り「ねぶた祭り」は過去に3度見たことがある。
少し離れたアスパムの足元にはねぶたの山車を造る工場が立ち並んでいる。
ひとつひとつが学校の体育館ほどもある大きさだ。
公開はしていないようだが隙間から製作の様子を覗いて見た。
まだ骨組みの段階で一部は紙を貼っていたりしていた。作業をしているのはおばさんが多い、パートタイムなのだろうか。
さて目的の駅まで到達したので帰ろう。
だがその前に見ておきたいものがある。
鉄道線路脇にはキロポストというのがある。
東京駅には東北本線の起点のゼロポストがある。
終点の青森駅にも東京駅からの距離を表すキロポストがあると思う。
そこでJR改札口にいた年配の駅員さんに聞いてみた。
プラットホーム1番線に小さな丸い印があるという。
さっそく1番線のプラットホームを探しながら端から端まで歩いてみた。
見つけたのは小さな金属のプレートである。
どうやらこれが駅の中心点らしい。
だがキロポストが見あたらない、駅の中心というのは分かったが東京からの距離を表すものを見つけることが出来なかった。
現在はプラットホームは半分ほどが使われていない。
その昔はこの車両止めの向こうにもプラットホームが繋がっていたのだ。
この駅で列車を降りた乗客は青函連絡船での場所確保のために駆け足でプラットホームと跨線橋を渡ったものである。
青函連絡船の2等はカーペット敷きだから、先に場所取りをしないと身体を横にできるスペースが確保できなくなるのだった。
だがいまは青函トンネルで一気に北海道へ行ける。
青森駅は広いプラットホームをもてあましているようだ。
青い森鉄道で浅虫温泉駅まで戻る。運賃は440円だ。
車に戻り、まずは汗を流しに温泉に入りに行く。
今日は道の駅にある温泉ではなく町中にある公衆浴場に行く。
狭い路地を抜けて松の湯へ到着、ここも入浴料は350円だ。
小さなお風呂だが清潔で気持ちが良い。
時間も早いのでゆっくりとお湯につかる。
まだ午後3時を過ぎたばかりだから他に客がいなくて貸切状態だった。
4日間歩いた国道4号を車で南下する、ゆっくり走っても午後9時頃には自宅に着くだろう。
盛岡駅を基点として「(旧)東北本線に沿って歩く旅」は北の終点の青森駅に到達できた。
東京方面も福島駅までは行った。
だが(旧)東北本線は総延長740キロもあるのだ。
まだ福島駅から東京駅までの273キロが残っている。
歩き始めて3年経ったが、まだ37パーセントが残っている。
東京駅に着くのはいったいいつになるのだろうか。
2012年6月26日(火) 晴れ
浅虫温泉駅-野内駅6.8Km-矢田前駅2.2Km-小柳駅2.2Km-東青森駅1.9Km-青森駅6.3Km
計19.4Km
05時30分に起きだして今日も快晴だ。
風がまったく無いので海はまるで鏡のようである。
道の駅にいきトイレと洗顔を済ませる。
今日は浅虫温泉駅から青森駅まで歩く予定だ。
距離は20キロ弱なので昼過ぎには着いてしまうだろう。
青森駅前を見物したりしてから浅虫温泉の銭湯へ寄って汗を流してからゆっくり帰宅するのが今日の計画である。
朝食は町で唯一のコンビニでカツサンドと野菜ジュース、ペットボトルのお茶を買う502円なり。
06時20分、まだ朝食には早いので買ったものをディパックに詰めて歩きだす。
陸奥湾の向こうに青森市が見えている、岩礁では釣りをする人の姿も見える。
漁に出る小船の姿もある。穏やかな陸奥湾の風景だ。
浅虫温泉から左手に青い森鉄道のトンネルを見て海側の道を行く。
ときおり電車の音が聞こえるのでカメラを向ける。
町を通りすぎ小さな岬を越えていく。
電車はトンネルをくぐって行くが、道路はトンネルの上を通っているのだ。
この峠は採石場のようである。
峠の道路わきに少し谷間になっているところがある。
見るとなにやら薄汚れた白い塊がある。
なんと雪がまだ溶けずに残っているのだった。
7月まであと4日というのにこんなに雪が残っているとは驚きだ。
ここは高い山の上ではない、海抜は10メートル程度だろう。
しかも回りがうっそうとした森で日陰とかでもない、かなり日当たりの良いところである。
いったい冬の間にどれだけの量の雪が積もったのだろうか。
どれほどの雪の山なら7月になるまで溶けずに残るのだろう。
峠を越えるとまた民家が現れてくる。
この道路は以前は国道4号だったはずである。
道の脇には昔のガードレール?がぽつんと残っている。
丸い穴はその部分に鉄の棒が通されていた跡だ。
その脇の上部を赤色で塗ってあるコンクリート柱には729Kmと、東京からの距離が書いてある。
この地方の伝統的なつくりの民家。玄関の部分に特徴がある。
もうすぐ8時だから通学、通勤の人たちで道路は賑やかになって来た。
野内駅が近くなってきた。
豪雪地帯の人たちでなければなぜこのように窓に板が渡してあるのか分からないだろう。
これは雪で窓ガラスが割れるのを防ぐためのものなのだ。
取り外し式になっていて雪がなくなると板を外しておくことが出来る。
この地域ではこの位置までは雪が積もることがあるのだ。
北国の暮らしは雪との戦いでもある。
屋根の雪下ろしのための梯子も必ずある。
雪の重みで家が壊れないように雪下ろしもしなければならず、雪国の冬の生活は重労働の日々でもある。
駐車場の雪かきも重労働なので、このような消雪設備をつくるところもある。
駐車場の床部分に温水を通して雪を溶かすのだ。
野内駅が見えてきた。高校生がどっと降りてくる。
この駅も跨線橋は無い。
線路の下を通っている県道123号線を通って向かい側のプラットホームへと渡るのだ。
07時50分に真新しい野内駅に到着した。
駅待合室のベンチで買ってきたサンドイッチを食べる。
無人駅だが定期券のチェックのために時間帯によって係員がいるようだ。
朝食を終えるとすぐに歩き出す。
隣の矢田前駅は約2.2キロしか離れていない。
隣の駅が近いということも都会の象徴である。
田舎では隣の駅まで10キロ以上離れていることも珍しくない。
線路の脇に住宅が立ち並ぶのもやはり都会ならではの風景だ。
08時35分に矢田前駅に着いた。
無人駅で駅前に自転車が停めてあるのと跨線橋が無ければ、駅と気づかずに通り過ぎてしまいそうだ。
歩いていくと林の中を抜けていくような歩道がある。
公園なのだが防災のための緑地でもあるだろう。
木陰はビルなどの日陰よりも涼しいので歩いて気持ちがよい。
次の小柳駅も近いので09時20分には到着した。
この駅も向かいのプラットホームへの移動は線路下の道路を使う。
駅前はアパートが建っているが片面は広大な広場になっている。
ここも数年後には住宅やアパートが立ち並ぶのだろうか。
片側が公園になっていて小柳緑地と看板があった。
このように広い公園がある町はうらやましい。
この駅もプラットホームだけの駅で待合室は工事現場のプレハブ事務所みたいだった。
隣の東青森駅は貨物駅でもある。
電気機関車がコンテナの入れ替えをしている。
機関車の屋根の一部の塗装が剥がれて錆が出ていたりするのがちょっと侘しさを感じさせる。
09時50分に東青森駅に着いた。
りっぱな駅舎だなあ、と覗いてみると事務所だった。
だが昔はここが待合室だったに違いない。
現在は連絡通路の中に待合室が設けられている。
この駅も無人駅だ、待合室の下を列車が通り過ぎていく。
あとひとつで青森駅だ。ゆっくり歩いても昼過ぎには青森駅に着くだろう。
東青森駅前には大型スーパーマーケットやドラッグストアー、入浴施設などが並んでいる。
スーパーに入ってひとやすみする。
日差しが強くなってきた。
青森市の主要な道路は道幅が広いので歩いていて開放感がある。
道路幅が広いのは冬は除雪した雪で道幅が狭くなってしまうからだ。
ふと看板を見ると「ブルドック旅館」というのがあった。
看板は旅館の文字の部分を後から貼り付けたように見える。
あの旅館の文字の下には何が書いてあるのだろう。
もしかして”ソース”とか?
ブルドック・ソースの営業所だったところを旅館に改装したとか?
旅館のオーナーが犬好きというのはあるかもしれないが、それだと旅館の文字を上から貼り付けてある理由がわからない。
ペットホテルかとも思ったがそうでもないようだ、それにしてもユニークなネーミングだ。
市の中心部へと入っていく。
日差しが強いので暑く感じるのだが気温はまだ19度だった。
青森ベイブリッジが見えてきた。
この橋を渡れば青森駅だ。
この橋とすぐそばに建つ三角形のビル「青森物産館 アスパム」は青森市観光の拠点である。
せっかく来たのだからベイブリッジを歩いてみる。
橋のたもとには船の碇。
なるほどこの街を象徴するものだろう。
橋は大きくなかなかの迫力である。
港には青函連絡船「八甲田丸」が見える。
さすがに観光の目玉だけあって平日だというのに観光客の姿が多い。
八甲田丸の見学料は500円ということなので今回はパス。
青函連絡船は高校の修学旅行や勤めててからの社員旅行などでなんどか乗ったことがある。
船と一緒に泳ぐイルカの群れを見たことが記憶に残っている。
青森駅には12時45分に到着した。
この駅はJR東日本の在来線と青い森鉄道が仲良く使っている。
新幹線の駅はここから離れたところにある。
乗り継ぎなどで間違える人が多いらしく注意の案内表示があった。
わたしは(旧)東北本線を歩く旅をしているので基本的には新幹線の駅には行かない。
実際は新幹線も東北本線ということになっているのだが、旧国鉄時代の東北本線にこだわっている。
だが、そのうち新幹線で青森駅まで来てみたいと思う。
駅構内のお土産売り場には大きな「ねぶた」が。
そういえば、あと一ヶ月で青森ねぶた祭りだ。
昼食はお手軽に早い安いのCoCo壱番屋のポークカレー、630円で済ませた。
そういえば前回の仙台駅から福島駅まで歩いたときも、福島駅前でカレーライスを食べたっけな。
わたしは食のこだわりが無いほうだけど、それにしてもどこへ行ってもラーメンとカレーライスだけで満足しているようでは少々悲しい。
ほんとうに貧相な食生活である。
昼食を終え、八戸方面行きの列車の待ち時間を利用して駅周辺を見て回る。
駅前には「ラ・ワッセ」というフランス語かと間違えそうな名前の施設がある。
青森ねぶたの観光施設だ。
東北の代表的な祭り「ねぶた祭り」は過去に3度見たことがある。
少し離れたアスパムの足元にはねぶたの山車を造る工場が立ち並んでいる。
ひとつひとつが学校の体育館ほどもある大きさだ。
公開はしていないようだが隙間から製作の様子を覗いて見た。
まだ骨組みの段階で一部は紙を貼っていたりしていた。作業をしているのはおばさんが多い、パートタイムなのだろうか。
さて目的の駅まで到達したので帰ろう。
だがその前に見ておきたいものがある。
鉄道線路脇にはキロポストというのがある。
東京駅には東北本線の起点のゼロポストがある。
終点の青森駅にも東京駅からの距離を表すキロポストがあると思う。
そこでJR改札口にいた年配の駅員さんに聞いてみた。
プラットホーム1番線に小さな丸い印があるという。
さっそく1番線のプラットホームを探しながら端から端まで歩いてみた。
見つけたのは小さな金属のプレートである。
どうやらこれが駅の中心点らしい。
だがキロポストが見あたらない、駅の中心というのは分かったが東京からの距離を表すものを見つけることが出来なかった。
現在はプラットホームは半分ほどが使われていない。
その昔はこの車両止めの向こうにもプラットホームが繋がっていたのだ。
この駅で列車を降りた乗客は青函連絡船での場所確保のために駆け足でプラットホームと跨線橋を渡ったものである。
青函連絡船の2等はカーペット敷きだから、先に場所取りをしないと身体を横にできるスペースが確保できなくなるのだった。
だがいまは青函トンネルで一気に北海道へ行ける。
青森駅は広いプラットホームをもてあましているようだ。
青い森鉄道で浅虫温泉駅まで戻る。運賃は440円だ。
車に戻り、まずは汗を流しに温泉に入りに行く。
今日は道の駅にある温泉ではなく町中にある公衆浴場に行く。
狭い路地を抜けて松の湯へ到着、ここも入浴料は350円だ。
小さなお風呂だが清潔で気持ちが良い。
時間も早いのでゆっくりとお湯につかる。
まだ午後3時を過ぎたばかりだから他に客がいなくて貸切状態だった。
4日間歩いた国道4号を車で南下する、ゆっくり走っても午後9時頃には自宅に着くだろう。
盛岡駅を基点として「(旧)東北本線に沿って歩く旅」は北の終点の青森駅に到達できた。
東京方面も福島駅までは行った。
だが(旧)東北本線は総延長740キロもあるのだ。
まだ福島駅から東京駅までの273キロが残っている。
歩き始めて3年経ったが、まだ37パーセントが残っている。
東京駅に着くのはいったいいつになるのだろうか。