東北本線,東海道本線沿線 全線全駅歩き旅のブログ

旧東北本線と田沢湖線,花輪線,釜石線,八戸線,山田線、北上線、東海道本線、奈良線、大船渡線沿線歩き旅の記録。

鼠経ヘルニア手術体験記 その3

2017年03月17日 | 健康
鼠経ヘルニア手術体験記 その3

手術当日

病室は寒くないはずなのになぜか寒気がしたのと、隣の人のイビキが気になりほとんど眠れなかった。
朝5時にはすっかり目が覚めて、徐々に明るくなっていく外の景色を眺めていた。



6時には体温と血圧の測定がある、入院患者は朝寝坊できないのだ。

きょうは朝食も昼食も無し、夕食はお粥になるのだそうだ。
OS-1という500ミリリットル入りのペットボトルを2本渡された。



「点滴の代わりになるんです、4時間かけて少しずつ飲んでください」
「え、じゃあ点滴は無し?」
まあ、飲むほうが点滴よりはラクそうだけど、点滴しないと病人らしくないなあ。
OS-1はスポーツドリンクと同じ味で飲みやすかったので、ついついゴクゴク飲んでしまい看護婦さんからペースが速すぎると注意されてしまう。

午前中は執刀医とスタッフの人たちが来て手術の説明があった。みんなニコニコしているのは患者に不安感を与えないようにするためなのだろう。

医者が患者に向かって深刻な顔、不安な表情を見せたら患者は「ああ、わたしはこの手術でもしかしたら・・・」と恐怖になるかもしれない。
医者としては「こんな手術はなんども手掛けていますよ、安心して任せてください、ハ・ハ・ハ」と堂々としていることが大事なのである。


さらに看護婦さんから写真入りで部屋から手術台までの手順を説明される。
こんどは麻酔科の医師が来て全身麻酔についての説明、さらに薬剤師が、、というふうに続くのだった。

「患者は医者の指示に黙って従っていれば良いのだ」というような病院は数十年前の過去の話になってしまったようで、治療を受ける側としては誠に良い時代になったものだなと感じた。



こうしていると手術までの時間が近づいてくる。

「手術室へ行く前にトイレを済ませてください。」と言われてトイレに行ったのだが緊張のためだろうかまったく出ない。

あとはじっとして迎えに来るのを待つだけである。

午後1時に看護婦さんと一緒に歩いて階下の手術室へと移動する。
手術室の前でリストバンドの名前をスキャナで読み取り、さらに本人に氏名と生年月日を言わせての本人確認がある。

すべてに本人確認手順が組み込まれているので、間違えてほかの人を手術したり投薬したりということは起こらないはずである。

が、それでもごくごくまれに事故は発生するものだ。

それは”人間は慣れる生き物なのだからだ”とわたしは考えている。

ミスを防ぐために本人の名前を確認するとか、チェックシートにマークを入れるとか様々な手順を組み込むわけだが、どんな仕事でも同じようなことの繰り返しになってしまうのは避けられないものなのでチェックマークを入れる作業が『チェックマークを入れるだけの作業』になってしまいがちなのだ。
人間は緊張状態をずっと続けていることができず、その『緊張状態にさえも慣れてしまう』のだ。

かなり以前にテレビのドキュメンタリー番組で見たのだが、ベトナム戦争当時の北ベトナムに不発弾の位置を知らせる兵士がいたのだという。空爆で大量の爆弾が落とされるのを見ていて不発弾があればその場所まで行って旗を立てるのだ。兵士は十代の女性たちで最初は恐ろしがるのだが、そのうち慣れてきて爆弾が降りそそいでいるときにも雑談などしていたのだそうだ。そんな状況でさえも慣れてしまうというのがスゴイ。

だから『薬袋の名前と本人の名前が同一であることを確認したらチェックマークを入れる』というような場合でも、つい先に『チェックマークを入れてから、本人確認をする』などというようなことが起こっても不思議ではないのだとわたしは考えている。

でもこの本人確認のおかげで治療ミス、投薬ミスがほとんど起こらなくなったのは間違いのないところなのである。

手術室に向かうときの自分は不安も感じず意外なほど平静だった。
不安感は手術が決まる直前まではあった。もしかして別な病気ではないかとかそんなことを考えたものだが決まってしまえば流れに従うだけである。
全身麻酔もヘルニア手術も技術として確立しているものなので心配することはないのだ。


手術室は思いのほか広かった。すでに数人のスタッフが待機していた。気持ちを落ち着かせるためのBGMも流れている。
みなさん笑顔なので安心感が倍増する。
手術台に横になると手際よく点滴チューブやらセンサーなどが付けられる。
さらに部屋から着てきたガウンもパンツもあっという間に脱がされ素っ裸にされて上からタオルケットのようなものを掛けられた。
麻酔医の方が「じゃぁ 始めますか、スタッフの皆さん準備万端ですね」と声を掛けて「はい、これは酸素マスクだからね」と鼻と口にあてがわれる。
麻酔薬が点滴チューブを通して入ってくるのがわかる・・というようなことはなかった、残念。
壁にかかっている時計をチラと見ると午後1時15分だった。


一瞬なにかの夢を見たような気がする。

朝に二度寝をしてしまったときに、はっとして目が覚めた時のようなそんな気分だ。喉がイガイガする。
「はい、終わりましたよ」の声が聞こえて回りを見ると、もう後片付けを始めているではないか、さすが手順が良い。
手術の器具とかどんなものを使うんだろうか、見たいものだと思っていたがまったく見ることなく終わってしまった。


壁の時計を見ると午後2時45分になっていた。

まさにタイムスリップの感覚である。
眠ったという感覚とは違うものでうまく表現できないが、ある瞬間から別の瞬間へ移動してしまったような感じだろうか。
もし時計が故障していて午後1時45分を指したままだったら「あれ、これから麻酔をするのかな?」と思ってしまったに違いない。
普通に起きている(覚醒状態)から一瞬で1時間半後の世界へとワープしてしまったのだった。

手術に要する時間は事前に1時間半と伝えられていたが、ぴったり1時間半だったのも驚きである。
イガイガするのは喉にパイプを通していたからとのことだ。


いつのまにか手術台の隣に病室のベッドが運ばれてきていて、板のようなものに乗せられて寝たままズルッと滑って移動させられてしまう。

手術室内を見学したかったのだがそんなリクエストを聞いてもらえるわけもなく、ベッドに横になったまま3分後には病室へと戻ったのだった。

「3時間は安静です。」と看護婦さん。
見るとちゃんと点滴をされているではないか、これで病人らしくなった。

全身麻酔だから手術中は当然痛みが無いのだが、手術後2時間を過ぎたころからじわじわと痛みが出てきた。
昨年の夏に大腸の内視鏡検査をしたときような痛苦しさを感じる。


午後6時半にはお粥の夕食が出た。点滴をしながらゆっくりと起き上がり椅子に腰かけて食べる。



午後7時には点滴も終わり、歩けるようになった。
左足の付け根付近がひっぱられるような感じでズキン、ズキンと痛む。
トイレに行こうと立ち上がるのだが、痛みが強くなってきて歩くのがままならない。
前かがみで手すりにつかまりながらすり足でそろーりそろりと進んでいく。



夜にかけて痛みはさらに強くなってきた、麻酔がすっかり消えてしまったのだろう。
くしゃみでもしたら痛みで悶絶しそうである、深く呼吸をしただけで思わず悲鳴が出そうな痛みがくる。

看護婦さんに「痛いんですけど・・」と訴えるが、どうやらこちらの真剣さが足りないらしく「我慢できないときは先生に言って痛み止めを出してもらいますから」と軽くあしらわれてしまった。
ほかの人たちはこんな手術でも痛がらないのかしらん?

ドクターは確かに「麻酔中は痛みが無いですよ」と言っていたが、麻酔後の痛みについてははっきりとは言わなかったからなあ。言葉に嘘は無いのである。
痛みの感じ方は人それぞれだろうしなあ・・と半ば諦めつつ我慢する。
コメント
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