先日、令和元年11月18日付け「北海道新聞」夕刊の『今日の話題』欄に、以下の記事が載っていた。
『就学前のその男の子は毎日、仕事を終えて帰る母親を待ち、一人で留守番をしていた。たまたま帰宅が遅れた夜、母親を待ちわびて外へ。道の向こうから、やってきたのはパトカーに乗った警察官。騒動のさなかに帰ってきた母親は、「もっと早く帰ってきて」と諭された。近所の住民が、夜に子供が一人で外にいては危ないと、親切心から通報したのだろう。
しかし、大阪市西成区のNPO法人西成チャイルド・ケア・センター代表理事の川辺康子さん(53)は、「通報する前に、その子にひと声掛けて上げられなかったのだろうか」と考え込んだ。
このNPOが取り組む「にしなり☆こども食堂」は、関西の「こども食堂」の草分け。2012年の開設から7年がたち、今は市営住宅を借り受けて、無料で食事を提供する。活動目標は、「ひとりぼっちのこどもや親がいない地域をつくる」こと。
利用者は経済的に困窮している家庭だけではない。「あったかいご飯を食べてほっとして」と、さまざまな背景を抱えた人々に利用を呼びかける。地域の小学校との連携も密で、支援が必要な子供を教諭が連れてくることもあるという。
川辺さんは、生活保護を受けたり、一人親家庭の母親らに向けられる「自己責任」という言葉に疑問を呈する。「貧困や虐待など子供を取り巻く問題は社会の問題」ときっぱり。多くの人に居場所を提供しながら、「出会いが点となり、面となって、地域に優しさが広がれば」と願う。』
この記事を読んだ私は、今の日本は原因や過程を顧みずに、結果だけを問う社会になりやすいと思った。物事が起こった時、その過程や原因はあまり問題にしない。マスメディアの最たるテレビも一部分だけを誇張して映し、視聴者はそのニュースを見て炎上する。そしてテレビには、「やらせ」も少なからずあるようだ。
視聴者からの批判を浴びて、何人もの政治家などが去っていったであろう。ただし、その中には退場して当然の人もいたが、濡れ衣を着せられた人もいたのではあるまいか。
世の中には「えん罪」というものがあり、すでに刑に服した被告もあり得るので、“あってはならないこと”に注意しよう。
「十勝の活性化を考える会」会員
注) こども食堂
子ども食堂は、子どもやその親、および地域の人々に対し、無料または安価で栄養のある食事や温かな団らんを提供するための日本の社会活動。
2010年代頃よりテレビなどマスメディアで多く報じられたことで動きが活発化し、孤食の解決、子どもと大人たちの繋がりや地域のコミュニティの連携の有効な手段として、日本各地で同様の運動が急増している。
子ども食堂の形態は、運営者次第で様々な運営形態があり、参加費(料金)、開催頻度、メニューも食堂ごとに違いがあり、明確な定義があるわけではない。
(出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』より抜粋)