令和2年1月18日付け「西日本新聞」朝刊の春秋欄に、以下の記事が載っていた。
『総理大臣まで務めた人がなぜ、こんな発言を・・・という驚きがほとんどないのも残念だが、麻生太郎副総理がまた物議を醸す言葉を発した。
「2千年の長きにわたって、一つの民族、一つの王朝が続いている国はここしかない」。福岡県直方市の国政報告会での発言。無論、日本は単一民族国家ではない。昨年4月にアイヌを「先住民族」と明記した「アイヌ民族支援法」が成立した。
北海道や樺太(サハリン)で独自の文化を形成してきたアイヌ民族の生活を変えたのは明治維新だった。明治政府が進めた開拓で住み慣れた故郷を追われ、狩猟や漁業などの生業を奪われた。そうした歴史的事実を麻生副総理が失念していたというのなら、お薦めしたい小説がある。直木賞を受賞した川越宗一さんの作品「熱源」である。
樺太や北海道を舞台に同化政策という名の迫害に耐えながら、南極探検隊にも参画したアイヌらの生きざまを描く物語。「私たちは、滅びゆく民と言われることがあります。けれど、決して滅びません」。主人公の言葉が胸を打つ。
小説の最終章は、1945年の夏。日本の降伏後も樺太の侵攻を続けたソ連軍の戦車の上にアイヌの女性が立ちはだかる。思えば太平洋戦争の国内最大の激戦地は琉球王朝があった沖縄だった。
こうした少数派の人々の犠牲があり日本と世界の繁栄があることを政治家も私たちも忘れまい。「多様性」を認めることから始めたい。』
「十勝の活性化を考える会」会員Ⅿ
注)先住民
先住民とは、ある土地に元来住みついている人間集団のことである。特に、外来の侵略者や植民者から区別して呼ぶ場合に用いられる。原住民とも。
歴史的には、とくに大航海時代以降、主としてヨーロッパ人が南北アメリカ大陸やオセアニアの地域で初めて接触した諸民族を指すことが多い。
民族という概念が強調される際には「先住民族」と言う呼称も用いられる場合があるが、民族という言葉に多義性があり、使用には予め言葉の定義をする等の注意を要する。
日本では、原住民という言葉が差別的な意味を含むとみなされるようになってからは、先住民という言葉が代替されるようになった。ただし、台湾では先住民は文字通り「以前は住んでいた民族(現在は存在しない民族)」のことを指し、差別的な意味を持たず公式に用いる。
国家の形成段階において、先住民は国家への従属を強いられ、疫病や奴隷化・虐殺によって弱体化を余儀なくされた例が多数存在する。先住民には、かつては国家を持ち、繁栄を極めていたもの(チャム族など)や、多数派民族を支配していた歴史をもつもの(満州民族)も存在する。従来、先住民の文化は「野蛮」「未開」とされ否定的に扱われてきた。一方で、先住民の尊厳と文化の継承・再生が近年認められつつある。
南北アメリカ大陸の先住民はインディアン・インディオと一括して呼ぶことが多い。アメリカ大陸には、互いに異なる文化を持った様々な先住民族が存在することに注意が必要である。 「インディアン」・「インディオ」は本来、はインド人を指し,アメリカの先住民を指すには不適当な名称だが(アメリカ大陸を発見したコロンブスがインドと勘違いしたのが原因)、先住民の言葉にはアメリカ大陸の多様な民族を一括して呼ぶ自称がないため、今では先住民の側も「インディアン」・「インディオ」を使っている。
(出典: 『ウィキペディア(Wikipedia)』より抜粋)