令和元年12月20日付け北海道新聞夕刊の「今日の話題」欄に、以下の記事が載っていた。なお、今年の重賞レースの“有馬記念”は、6番人気のリスグラシューが優勝した。
『馬産地日高管内の支局に勤務していたころ、何頭もの名馬を取材した。中でも忘れられないのが、トウカイテイオーだ。
皐月(さつき)賞、日本ダービー、ジャパンカップと大レースを制してきた超一流馬。額に流星と呼ばれる白い線が入った気品のある顔立ちは、多くのファンを魅了した。
その姿を間近に見たのは1993年10月のこと。前年末の有馬記念で11着とまさかの惨敗を喫し、6月には3度目となる足の骨折が判明。平取町二風谷の牧場で休養していた。
休養当初は馬体に精彩を欠き、限界説も取り沙汰されたが、夏の北海道で生気を取り戻していく。取材に訪れた時は、1年ぶりの有馬記念出走に向け、栗東トレーニングセンター(滋賀県)の厩舎に復帰する直前。早朝の調教で弾むような走りを見せてくれた。
「調子は上がっている。いけるかもしれない」。牧場長のそんな話をきいた。よし―。
有馬記念の当日、テイオーは単勝4番の低い評価だった。1年間のブランクが敬遠されたのだろうが、場外馬券場で迷わず買った馬券を握り、レースを見守った。
期待通り最後の直線で1番人気の馬を差し、「奇跡」と言われた復活優勝を果たす。夜、配当金で友人らと祝杯の美酒に酔ったのも懐かしい思い出だ。
生産者、馬主、調教酒に厩務員、騎手、そしてファン。1頭の馬に、さまざまな人が夢を託す。そんな競馬の魅力を、場産地に暮らして知った。あさっての有馬記念。
今年はどんなドラマが生まれることだろう。』
私は若い時、東京競馬場(府中市)での1点買いが当たったことで競馬にはまり、「さすらいのギャンブラー」と言われたが、懐かしい思い出である。
「十勝の活性化を考える会」会員
注) 有馬記念
有馬記念は、日本中央競馬会(JRA)が中山競馬場で実施する中央競馬の重賞競走(GI)である。
1955年(昭和30年)まで、暮れの中山競馬場では中山大障害が最大の呼び物であったが、東京優駿(日本ダービー)などと比べ華やかさに欠けていたことから、当時の日本中央競馬会理事長であった有馬頼寧が、中山競馬場の新スタンド竣工を機に「暮れの中山競馬場で日本ダービーに匹敵する大レースを」と提案。
当時としては他に類を見ないファン投票で出走馬を選出する方式が採用され、1956年(昭和31年)に「中山グランプリ(なかやまグランプリ)」の名称で創設された。
しかし、第1回中山グランプリの興奮も冷めやらぬ1957年(昭和32年)1月9日に創設者の有馬理事長が急逝した[4]ため、有馬の功績を称えて第2回から「有馬記念」に改称。以来、中央競馬の一年を締めくくるレースとして定着した。施行場は創設時より中山競馬場で変わっておらず、施行時期も12月下旬で定着している。
(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より抜粋)