十勝の活性化を考える会

     
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アイヌ人物語

2020-01-09 05:00:00 | 投稿

先日、松好貞夫著「アイヌ人物語北崖の悲劇から」に、以下のとおり興味深いことが書かれていた。

 『アイヌ神謡集』に、次のような回想と訴えがある。「其の昔、此の広い北海道は、私たち祖先の自由な天地でありました。天真爛漫な稚児の様に、美しい大自然に抱擁されてのんびりと楽しく生活していた彼らは、真に自然の寵児、何という幸せな人たちであったでしょう。

 冬の陸には林野をおおう深雪を蹴って、山また山を踏み越えて熊を狩り、夏の海には涼風およぐみどりの波、白いカモメの歌を友に、木の葉のような小舟を浮かべて、ひねもす魚をとり、花咲く春はゆるやかな陽の光を浴びて、永久にさえずる小鳥と歌い暮らして、フキ取りヨモギ摘み、紅葉の秋には野分に穂を揃うすすきをわけて、宵まで鮭とるかがりも消え、谷間に友呼ぶ鹿の音を外に、まどかな月に夢を結ぶ。

 ああ何という楽しい生活でしょう。平和の鐘、それも今は昔、夢は破れて幾十年、この地は急速な変転をなし、山野は村に、村は町にと次第次第に拓けていく・・・」

 まつ子は、明治八年(1875)の生まれである。その目に残る北海道の有為転変には、おそらくこのとおりであったろう。過去の蝦夷地における自然と人生の諧調を知る人であれば、何人もこの文意を、単なる牧歌的な感傷とおもうまい。むしろその切々たる訴えには、胸の縮まるおもいがする。妹の幸恵はさらに懐古していった。

 「太古ながらの自然の姿も何時の間にか影薄れて、野辺に嬉々として暮らしていた多くの民の行方もまた何処? わずかに残る私たち同族は、

進みゆくさまにただ驚の目をみるばかり。しかもその目から・・・昔の美しい魂の輝きは失われて、不安にみち、不平に燃え、鈍りくらんでいく手も見わかず、よその慈悲にすがらねばならぬ、あさましい姿!・・・・

 その昔、幸福な私たちの先祖は、自分たちのこの郷土が末に惨めなありさまに変わろうなどとは、つゆ想像し得なかったでありましょう。」

 「十勝の活性化を考える会」会員

注) アイヌ神謡集

 アイヌ神謡集は、知里幸恵が編纂・翻訳したアイヌの神謡(カムイユカラ)集。

 1920年11月、知里幸恵が17歳の時に、金田一京助に勧められて幼い頃から祖母モナシノウクや叔母の金成マツより聞いていた「カムイユカラ」を、金田一から送られてきたノートにアイヌ語で記し始める。翌年、そのノートを金田一京助に送る。1922年に『アイヌ神謡集』の草稿執筆を開始。金田一の勧めにより同年5月に上京。金田一家で『アイヌ神謡集』の原稿を書き終える。

校正も済ませ後は発行するだけの状態にまでに仕上げたが、同年918日、心臓麻痺により急逝。翌年の1923年に金田一の尽力によって『アイヌ神謡集』を上梓し、郷土研究社から発行された。

『アイヌ神謡集』執筆の動機は、アイヌ語研究で有名な言語学者の金田一京助に、アイヌ口承文芸の価値を説かれ、勧められたからであるが、これは外面的なことであり、知里幸恵の内面的な動機は、『アイヌ神謡集』の「序」に書かれている。

 (出典: 『ウィキペディア(Wikipedia)』より抜粋)

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