社会学者「加藤諦三氏」によると、人間の幼児化がはじまっているそうで、幼児化とは、安易に物事を考えることのようです。また人間の心理には、成長しようとする欲求と安心したいとする欲求がある。ただ必ずしも、安心することが幸せになるということでは無いそうです。だから、人間の豊かさとはもっと違ったところにあると思う。
確かに、スマホだけに頼って新聞を読まなくなるのも幼児化の現象で、安心したいとする欲求の現われです。これは人間の「不安」から生じているそうで、今の時代を不安に感じている人が多く、このことが人間関係の希薄化になり、「公」と「個」の分断がはじまっているのです。
令和2年1月3日の北海道新聞(8面)に、作家の中村文則氏と高橋源一郎氏の新春対談が載っていた。その中で中村氏は、次のようにも言っていた。
中村:『無関心でいたい人たちだけでなく、絶対に社会問題について考えたくない、という人たちもいます。高橋源一郎さんの著書で、学生運動をしていた頃、ビラを配る自分を避ける人たちがいて、おそらく日常を脅かす存在として僕らを見ているのではないか、と書いていたのが印象的です。
今も、考えさせようとする相手が嫌だ、という風潮がありますね。作家が、「考えてほしい」と問いを投げかけても、それをストレスと感じる人が増えている印象があります。
公正世界仮説という心理学用語があります。世の中は公正で安全だと思いたい。だから何かの問題や被害が発生すると、それを社会ではなく個人のせいと考える。あなたにも何か落ち度があったのでは、という風に。この心理が日本に過剰に広がっていると思います。
無関心だけで終わらず、問題があると思いたくないから、現在の社会状況はいい、と肯定側に回り、被害者批判を展開する心理が怖い。これを続けていると、社会はまったく改善されなくなる』
高橋:『僕もそういう印象を受けます。僕は大学で教えていますが、大学の先生も、物事を考えられなくなっている。簡単にいうと、雑用で忙しすぎるからです』と。
ところで知人は、「我欲」を捨てたことにより価値観が変わったそうです。現代は価値観の多様化の時代で、価値観は変わりづらいので、知人のように我欲を捨てることによってしか、変わらないかも知れません。
資本主義はこの我欲によって成り立っているが、経済学者の中谷巌氏が、アメリカの新自由主義を振り返り、“資本主義はなぜ自壊したのか”という著書を書いているのは、注目に値すると思われる。
「十勝の活性化を考える会」会員
注) 中谷 巌
中谷 巌は日本の経済学者。専門はマクロ経済学。一橋大学名誉教授。
小渕内閣の首相諮問機関「経済戦略会議」に竹中平蔵らとともに参加し、議長代理を務めるなど政府の委員を多く務め、1990年代には、構造改革推進の立場から政策決定に大きな影響力を持った。その後、2008年に著書『資本主義はなぜ自壊したのか』で新自由主義、市場原理主義、グローバル資本主義との決別を表明し、その立場を一転させた。
週刊ダイヤモンド2009年12月19日号の「経済学者・経営学者・エコノミスト142人が選んだ2009年の『ベスト経済書』」で中谷の『資本主義はなぜ自壊したのか〜「日本」再生への提言』は5位に選ばれた。
社外取締役制の推進者として知られる。幾つかの起業の社外取締役の経験があるが、これらについて中谷は「取締役会に出るのが楽しみ」だと自身の著書で述べている。また、NPO全国社外取締役ネットワークの代表幹事として、社外取締役制の普及や支援にも取り組んでいる。
マクロ経済学の教科書として日本の大学で広く使われている『入門マクロ経済学』の著者として知られる。また、ワールドビジネスサテライトでは長くコメンテーターを務めた。
[新自由主義からの転向]
著書『資本主義はなぜ自壊したのか〜「日本」再生への提言』(集英社、2008年、まえがきや)、論文「小泉改革の大罪と日本の不幸 格差社会、無差別殺人─すべての元凶は『市場原理』だ」(『週刊現代」12月27日・01月03日号、2008年12月15日発売)の中で、過去に自分が行っていた言動(アメリカ流の新自由主義、市場原理主義、グローバル資本主義に対する礼賛言動、構造改革推進発言など)を自己批判し、180度転向したことを宣言した上で、小泉純一郎・竹中平蔵・奥田碩の三人組が実行した聖域なき構造改革を批判し、ベーシック・インカムの導入等の提言を行っている。労働市場についてはデンマーク・モデルを理想としている。
中谷は「新自由主義による自由取引市場の形成は、人類の滅亡を早める」と主張しており、グローバル資本主義に無制限の自由を与えるのではなく、一定の規律を設け制御する必要性を説き、統制機関として世界中央銀行・世界中央政府の設置を主張している。
こうした転向について、伊東光晴(京都大名誉教授)は、都留重人の言葉を引きながら基本的には支持を示しつつ、同時にアダム・スミスについての理解など、叙述においてやや正確さを欠いていると指摘しているほか、竹中と中谷の同質性についても示唆している。また「しんぶん赤旗」は、「小泉改革、そしてこれを持て囃した大手マスコミの姿勢が誤りだった事を示す一つの象徴」だと評している。
(出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』より抜粋)