十勝の活性化を考える会

     
 勉強会や講演会を開催し十勝の歴史及び現状などを学ぶことを通じて十勝の課題とその解決策を議論しましょう

町内会

2021-01-26 05:00:00 | 投稿

 

新型コロナウイルスの感染拡大が続き、世界の経済は停滞、貧困格差は拡大し、世界中を震撼させている。一刻も早い有効ワクチンの普及と景気回復を願わずにはいられない。新型コロナ禍が人類に与えた被害は、健康、経済不況だけではない。

感染を最小限に抑えるべくソーシャルディスタンスを人間社会に設けて、人と人とのつながりを奪ったことである。三密対策として様々な壁を作ったことで、観光業を始め、各種イベントの中止や語らいの場を提供していた飲食店なども、閉店を余儀なくされている。

」を失ってますます人と人の距離が開きつつあり、コロナ禍が終息してもこの「絆」を取り戻すためには、相当の時間や努力を要するだろう。逆に、今回の経験を教訓として将来に活かしていくことが必要だと思う。

 

しかし、自己中心の世の中に変わってきているので、世界平和、環境を重視する世の中にするためには大きな壁がある。その壁は、我欲や我国主義に加え、グローバル資本主義の時代だと思うからである。グローバル資本主義は、国境を乗り越え、各々の利潤を求めて世界中を飛び回り、しかも際限がないのである。

 

このグローバル資本主義を修正するには、人間の欲望を抑制、共生を自覚する必要がある。資本主義はこの欲望(消費)で成り立っているので、抑制するのはとても難しいだろう。

しかし、コロナ禍で人類のありようを考える機会にもなっているので、あながち夢を捨てることはないかも知れない。これからの人類にとって大切なことは、「過去の過ちを二度と繰り返しません」という反省に立って、先人が育んだ絆と感謝の気持ちを取戻すことではないだろうか。

 

私はすべに70歳を過ぎて出来ることは限られているので、今できるとすれば、失いかけている向こう三件両隣の町内会を粛々と盛り上げることだと思っている。

 

グローバル資本主義の発展に比例する形で町内会の加入率は、選挙の投票率と同じように低下し続けているが、東日本大震災の時に花は咲くという歌が作られ、人と人の絆をつくる町内会の見直しの機運が一時的に生まれた。今は絆がなくなってきたので、共生に向けて町内会などの役割をもう一度見直してはどうだろうか。

「十勝の活性化を考える会」会長

十勝の活性化を考える会」会員募集 

 

 


羽毛の海 (読み聞かせ)

2021-01-25 05:00:00 | 投稿


私は石狩川の中ほどの所の村おさで、私ぐらい狩りが上手で物持ちのアイヌは、ほかにいないと思うほどの者でした。
うわさによると、ある時から私たちの国のずうっと東の端の、モシリパサリヒという所の村おさの娘が、行方不明になってしまったという話です。
近郷近在のコタン(村)の人が大勢出て、何日も何か月も捜し歩いても、まったくわからないということです。
その話を聞いた私は、気の毒に思ってはみたものの、遠い所のうわさであり、行ってみるわけにもいかないし、と思いながら暮らしていました。
 ある夜のこと、私の夢枕に、私の家のソパウンカムイ(家の守護神)だという立派な神が現れました。その神の姿は、胸いっぱいに広がるというか、胸を覆ってしまいそうな真っ白いひげを伸ばした神様です。
 その神がいうことには、
 「このアイヌモシリ(国土)の東の端、モシリパサリヒの村おさの娘の行方がわからないということなので、神である私もあちらこちらと捜したが、まったくわからなかった。
それがこのごろになって、ようやくのことその行方がわかった。村おさの娘は、パコロカムイという病気をまき散らす神の息子がかどわかしたのだ。その病気をまき散らす神の所へ行って娘を取りもどせるのは、あなたのほかにはいないであろう。
その方法は、明日になったらこの家を出てモシリパサリヒのコタンへ行き、娘の父である村おさに会って、『私があなたの娘を捜してきますので、コタン中の家から一にぎりずつの供物を集めなさい』と言って集めさせる。その供物は、病気をまき散らす神にあげるもので、魚の背びれとか胸びれとか尾といった、人間の食べられない部分だけにするがよい。穀類を集めるにしても、上等なものではなしに、半分精白にしたもの、ヒエあるいはアワにしても、籾交じりのものにするがよい。
それらの供物が集まったら、あなたはモシリパサリヒの村おさから舟を借りて、舟の前へはエンジュの木の神、舟の後ろへはシコロの木の神をつくって立て、それら二柱の神を道案内にさせて行くがよい。
途中海の上では、トプシアトゥイ(根曲がり竹の海)が生えたような海や、コムコムアトゥイ(羽毛の海)といって、櫂のきかない海もあるが、神々が舟を進めるので心配することはない。
 また、持っている供物を海の神にあげるといいながらまき散らせば、神々があなたを守って、病気をまき散らす神のいる赤い山と青い山へ行けるであろう」
と聞かされました。
 夢を見せられた私は、次の朝早く起きて、うわさに聞いたコタンを目ざして歩き、途中で何回も何回も野宿しながら、モシリパサリヒヘ着きました。コタンへ着いた私は、村おさの家を訪ね、来た理由を村おさに聞かせ、さっそくコタン中から、病気をまき散らす神への供物を集めてもらいました。
 それらのものは、私の家の守護神が聞かせてくれたとおりに、魚の尾びれとか背びれや胸びれのような、人間が食べない部分と、ヒエやアワは籾交じりのものばかりでした。コタンの人が供物を集めていた間に、私はイナウ(木を削って作った御幣)を削ってエンジュの木のご神体にした神と、シコロの木をご神体にした神をつくりました。
 村おさから舟を一般借りて、前の方へはエンジュでつくった神、舟の後ろへはシコロの木でつくった神を立てて、先ほど集めた供物なども舟に積んで舟をすいっと押し出し、私も乗りました。すると、舟は誰かが前から引っぱるか、後ろから押しているかのような速さで水面を滑って進みます。
 私はただ舟に乗っているだけで、神々が舟を進めてくれました。しばらく行くと、家の守護神が聞かせてくれたとおりに、海の中に竹林でもあるかのような、普通であれば舟は進めそうにもない海が広がっていました。それは根曲がり竹が生えたような海でした。そこで、あの供物を少しだけ出して海面へまき散らしながら、海の神々へ、ここを無事に通りぬけられるようにとお願いしました。すると、根曲がり竹のようなものが両方へ分かれ、舟は難なく通りぬけることができました。
次は羽毛の海という海で、まともに来たのであれば櫂などはききそうにありません。
その海も神々の力で滑るように通りぬけると、家の守護神が聞かせてくれた赤い山と青い山が向かい合ってそびえています。
 家の守護神にいわれたように、赤い山のふもとへ舟を上げて、さっさと赤い山を登りました。頂上近くに病気をまき散らす神の住居がありました。ふもとから見た時には、人間の足ではたして登ることができるだろうかと心配しましたが、思いのほか簡単に来られたのは、神々が守っていてくれたからでしょう。立派な家があっだので遠慮せずに中へ入ってみると、囲炉裏端で老夫婦が上座と下座に並んで座っていました。私は老夫婦に向かって、私の家の守護神からの使いで、アイヌの娘を取りもどしに来たことを伝えました。すると、老人は家の奥の方へ向かって大声で息子をしかりつけて、「だから前々からいっていたように、今日ここヘアイヌの若者が娘を迎えに来たのだ。さあすぐにアイヌの娘を戻しなさい」と言いました。おしまいには哀願でもするように、「息子よ早くしてくれ、そうでないと人間の臭いと、舟の中でこの若者を待っているエンジュの木の神の臭いで、神である私たちは死んでしまいそうだ」と言いました。すると、家の奥の方から若者が一人の娘を抱えて出てきて、娘を私のそばへ置き、すぐに家の奥の方へ戻ってしまいました。それを見た父親である老人は息子に、「だからいったであろうに。アイヌというものは、目そのものは壁までしか見えないが、多くの神を祭っているので、神々が助けに来る。そのようにいい聞かせたにもかかわらず、娘を返すのが遅くなってしまった」
 などと息子に悪口を言っています。そのあとで私に向かって、「アイヌの若者であるあなたがここへ来た印に、宝物をあげよう」と言いながら、神の国のカムイイコロ(宝刀)をたくさん出して、私にくれました。
それとは別に母親の方は、玉飾りを出して私にくれながら、「これはあなたの妻への土産にしてください」と言うのです。その玉飾りは、「サタイワンアッエリキン、マクタイワンアッエリキン タマサイ」といいます。というのは、前の方に六本の紐、後ろの方に六本の紐、それに玉が通され、その下ヘシトキという円盤状のものが下げられているからです。私はそのような立派な玉飾りももらいました。そして老人がいうのには、
 「これからはどこかで病気がはやったと聞いたら、これらの宝物をそっと出しておきなさい。そうすると、それを見た私どもの仲間は、あなたであることを知って避けて通るでありましょう。それと、これから後は酒を醸した時に、『パコロカムイアノミナー』といいながら、私に酒を贈ってほしい。そうしてくれれば、これから先、ずうっとあなたを守ってあげよう」と言ってくれました。
 話を聞き、娘を受け取った私は、宝物と娘を抱えて赤い山を下りて、舟に乗り海へ出ると、来た時と同じように誰かが舟を引っぱっているかのように、海の上をぐんぐんと進みます。先ほど通った根曲がり竹が生えたような海も、羽毛の海も難なく抜けて、あっという間にモシリパサリヒのコタンへ帰ってきました。
 死んだようになっている娘を抱えて村おさの家へ入っていくと、夫婦はそろって立ち上がり、私の腕から娘を受け取ると泣いて喜び合いました。私は死んだようになっていた村おさの娘に、親たちといろいろ手当てを加え、どうやら息をさせました。
 夫婦こもごもいうことには、
 「石狩の村おさが来てくれたおかげで、娘の生きた顔をふたたび見ることができました」と私の手を取って、あるいは膝のところを手で押さえながら喜んでくれました。娘自身がいう事には、
「死んでいたのか眠っていたのかもまったくわからずに、意識もうろうとしていたので何も覚えていない」ということでした。何はともあれ、村おさの娘が、何か月ぶりかで生きて帰ってきたということなので、コタツ中からヒエやアワなどが集められて、さっそく酒が醸されました。
私は鮭がおいしく醸されるまでの何日かを、そのコタンで過ごしました。十分においしい酒が出来上がり、その酒で神々にお礼の祈りをしました。それが終わってから私が帰ろうとすると、モシリパサリヒの村おさが私へのお礼にと、たくさんの宝物を出してくれましたが、私も余るほど宝物があったので、一つももらいませんでした。
そして私が家を出ようとすると、娘が母親の耳もとへ何やらささやくと、母親がいいづらそうにいう言葉は次のようなものでした。
 「見たとおりまったく取り柄のない娘ですが、石狩の若い村おさのおかげで生き返ったので、水くみ女にでも、薪集めの女にでも加えて、一生そばへ置いてほしい、と娘からのお願いです」
そこで、私も本当は気が進まなかったけれど、゛私には妻がいるので、勝手に返事はできないけれど、村へ帰って妻に相談してみましょう。もう一度来てみますが、それまでよく考えておきなさい」と言い残して、私は野宿を重ねて家へ帰ってきました。
妻へは、わが家の守護神が夢を見せてくれたので、それに従って歩いたことを事細かに聞かせました。それと、助けた娘が私の二番目の妻になりたいといったことも、妻に聞かせました。すると妻は大変に喜んで、「わたしは身内も少なく寂しいので、ぜひそうしてください」という返事でした。
 そうこうしているうちに、モシリパサリヒの村おさからの使いで、数人の若者がたくさんの宝物を背負って私の所まで来てくれましたが、私は持ってきたうちの二、三点を受け取っただけで、残りは戻しました。
 しばらくたってから、私かモシリパサリヒのコタンへ行ってみると、村おさの娘は本気で待っていてくれたのでした。念のためもう一度聞いてみると、本当に私と結婚したいということです。一人娘であったので、連れてきてしまうとあとが心配なので、別に精神のいい若者夫婦に頼み、老夫婦の面倒を見させることにしました。
その村おさの娘と一緒に石狩のコタンへ戻り、私の妻に会わせると、妻も大変喜んでくれて仲よく暮らしています。その後、二人の妻たちは次から次へと子どもを産んでくれたので、大勢の子どもに囲まれた私は、何不自由なく暮らしています。
 それとモシリパサリヒの方へは遠いので、なかなか行くことができませんが、私か来るのを待っていたかのように、私が行くたびごとに老父母は亡くなりました。
 それといい忘れていましたが、モシリパサリヒから帰ってきてから特別にお酒を醸し、家の守護神へも、病気をまき散らす神へもイナウと酒を贈りました。そして近くで病気がはやっていると聞くと、私はさっそくあの玉飾りや宝刀を出しました。すると、私たちのコタンだけは病人が出ることもなく、無事に暮らすことができました。
 というわけで、私は若い時に、神の使いとして病気をまき散らす神の国へも行ってきたものです。それが縁で遠いコタンの女をも嫁にしていたのですから、子どもたちよ仲よく暮らしなさい、と一人の老人が語りながら世を去りました。

語り手 平取町荷負本村 木村まっとぅたん
(昭和39年5月22日採録)


【作者解説】
木村まっとぅたんフチ(おばあさん)は季節保育所の保母などをしていた方だけに、話の中は日本語混じりで語られています。

■アイヌの民具■タマサイ(玉飾り)
女性が首から胸にかけるもの。神祭りや人が死んだ時に使います。起源は不明、サハリンの方から渡ってきたものと推定されます。大きな円型の部分をシトキといい、直径十五センチくらい。紐についている玉はコンルタマ(ガラス玉)といいます。

萱野茂著「アイヌと神々の物語」より

「十勝の活性化を考える会」会員K

 

十勝の活性化を考える会」会員募集 

 


営業とは心なり

2021-01-24 05:00:00 | 投稿

営業とは心なり・・・その1

 

今回は、「営業とは何か?」について、私のつたない営業経験から考え感じたことを書きます。

そもそも「組織」とは何か?

もともと社会においては、一人で出来る仕事は、ごく限られた範囲にしか存在しません。そのために、一人では出来ない仕事を何人かが集まって協力してやろうという考えのもとに生まれたのが、「組織(会社)」です。

 

即ち、「組織」とは、「共通の目的を達成するために、複数の人間の意識的に調整された行動のシステムである」ということです。

 

では、「営業」とは何か?

 

いかなる組織も、外部との関わりをなくしては、その目標を達成することはできません。「営業」とは、「組織が目的を達成するために継続的に行なう諸活動である」と言えます。

社会が大きく変化し、組織の安定的な存続が容易でない現在は、従前にもまして「営業」が重要であり、「営業なくして組織なし」ということを一人一人が想起し、営業とは何かを考える必要があると言えます。

 

特に、物が溢れお客さま優位の時代にあっては、今まで以上の営業活動が、組織基盤の強化のために不可欠です。では、営業活動をどのようにすべきなのか。もちろん営業活動には金科玉条のものはなく、当然、営業マンによって遣り方(スタイル)は異なります。

 

然しながら、そこには基本となるもの(スピリッツ)があり、それが「営業の心」です。

お客様は、一人の人間として、物事の損得、善悪、好き嫌い、価値の有無など、様々な判断基準に照らして行動していますので、先ず、そうしたことに敏感になることです。

営業自体は、組織活動ですが、実際の営業行動は「個人と個人との関係」の上に成立するわけですので、無機質な組織であっても、人間性といった「人間の感情」が入り込む余地があり、それが重要ということです。

 

松下幸之助氏が、「商売とは、商品に人情をつけて売るものである」と言っているように、人の心、気持ち、感情などを大切にすることによって道は開かれるのです。決して、単ある商品価値だけで勝敗が決まるわけではないのです。

 

それでは、「営業とは心なり」という場合の心とは何か

 

ここでいう「心」とは、人が何かを判断する際の精神状態のあり様であり、具体的に言えば、お客の営業マンに対する気持ち(感情)です。

 

では、心の状態としての「気持ち(感情)」とは何か

 

心を中心に据えた営業活動は、一言で言えば、「良い感情を形成し、悪い感情を払拭すること」です。

そして、「良い感情」とは、「お客様の会社に対する親近感・信頼感・安心感・満足感などが高い水準にあることです。こうした心象形成が、「心の営業活動のゴール」と言えます。

 

 

営業とは心なり・・・その2

 

「営業とは心なり」のことですが、日々の営業活動において、どのようにして「良い感情」を形成するのかは、次のとおりです。

 

①身なりや言葉使いなどの態度に、注意すること

スカンジナビア航空を再建した若き経営者のヤン・カールソンがその著書『真実の瞬間』で指摘しているように、「最前線の従業員の最初の15秒間の接客態度が、その会社全体の印象を決めてしまう」ことを忘れてはならない。

 

だから、「清潔な身なり」、「明るい笑顔」で、「誠実且つ自信を持った態度」で接することが重要となります。

 

②お客様に対して、感謝の気持ちを持つこと

「犬好きは、犬に好かれる」という諺がありますが、先ず、お客様に対して感謝の気持ちを持つことが、必要不可欠となります。

 

③お客様に対して、心を込めて感謝の気持ちを、さりげなくスマートに伝えること

たとえ自分が誠意を持っているつもりでも、営業活動の視点からいえば、不十分です。「誠意とは、相手に伝わってはじめて誠意になるもの」だからです。

「心」は、相手に伝わらないと意味をなさないのです。

 

日本人は、「以心伝心」という言葉があるように、自分自身の心を伝えることに無頓着ですが、営業の視点からはそれではダメなのです。

 

感謝とか誠意・好意・熱意といった気持ちを確実に伝えるために、工夫を凝らして行動することです。また、心を伝えるためには、「ピュア(純粋)」でなければなりません。そうでなければ、逆効果になります。

 

④自分の望むことを行い、自分の望まないことを行わないこと

自分の心を見つめ直し、自分の望むこと望まないことを明確に意識すること

それには、お客様の気持ちに敏感にならなくてなりません。大事なことは、お客の気持ちの真意を掴みとり、それに「答える」のではなく、「応える」ことです。

 

最後にひと言

営業活動において心が全てではなく、主要な一部分に過ぎません。商売の三要素である「商品競争力」情報」、「人情」のひとつであります。相撲でいえば、体力(商品競争力、情報)だけで横綱になれるのではなく、人格・品格(人情)が伴わなければ、横綱になれないということです。

 

大切なことは、意義ある人生を生きるために、「涙と汗と血をどれだけ流すか」ということだと思います。

・一日、どれだけ涙を流していますか?

・一月、どれだけ汗を流していますか?

・一年、どれだけ血を流していますか?

 

「涙を流す」とは、自分自身とお客様の心の微妙な変化に気づくこと、つまり心の琴線に触れ、何事にも感心・感動・感激することです。

 

「汗を流す」とは、今までと同じことを行なうのではなく、それを超える努力を行ない、相応の成果を上げることです。

 

「血を流す」とは、ルールを護り自分の生き方を大切にすることです。

 

一人一人がより良い「涙と汗と血」を流すようになった時、組織は、明るく輝いているハズです。

「十勝の活性化を考える会」会員 T

 

十勝の活性化を考える会」会員募集 

 


共生社会

2021-01-23 05:00:00 | 投稿

 

知人の女性が子育てについて、次のように語っていた。「大学時代、教育学担当の教授が、子供を社会人にすれば親の役割は終わりです」と言っていたそうである。確かに一般的に、子供が社会人になり、その子供が結婚して子宝に恵まれる。そして、その子供が大人になり、また親になるというのが、人間社会の循環だろう。

 

22世紀の日本の人口が“少子化により、今の半分程度になるとの予想である。1人当たりの生産性が大きく変わらなければ、日本のGDPは下がり続け、国力は低下するだろう。世界の先進国では、例を見ない国債残高比率や社会保障費などを考慮すれば、近い将来が心配なのは、私だけではないだろう。

 

それではどのようにすれば、日本の再生は可能なのだろうか。様々な方策が考えられるが、安心して子育てができる環境づくりに加えて、共生社会の実現や人々の連携だろう。例えば、ボランティア、町内会の加入率、選挙の投票率アップ、様々な会の会員数の増加など、人と人とのつながりの強化である。

 

かつての日本は、「向こう三軒両隣」といった言葉があったように、何か困ったことがあれば「明日は我が身」として、地域社会で助け合って生きることが当然であった。

こうした社会的なつながりは、戦後の経済発展によって失われてしまったようだが、それは過度の競争社会の進展等によって、自分中心的になったのが原因だろう。

 

菅義偉首相も言っていたように、自助、共助、公助が大切だと思う。日本は相互の信頼関係を構築していくことで、世界に類のない安心・安全の社会を創り、日本株式会社の名のもとに、世界に向けて日本製品の信頼を産み出してきたのである。御かげで私が使っているテレビ・冷蔵庫・洗濯機は、買ってから15年が経つが一度も故障したことがない。

新型コロナ禍の現在、日本を再生させるためには、地域コミュ二ティの再構築が必要不可欠だろう。しかし、日本は資本主義国であり、個人の自由やプライバシーを重んじており、再生するためには、各自が“火事場のバカ力”を発揮するような相当の自覚が必要である。

グローバル資本主義がこのまま進んでいけば格差拡大などにより、日本はますます貧富の拡大により住みにくい国になっていくだろう。それを踏まえて日本を再生させるためには、まず“塊より始めよ”で、自分、地域、組織の見直しが必要である。

地域には、町内会から市町村、都道府県までいろいろあるが、地方分権による小さな政府が前提になるだろう。これからの時代のキーワードは、「共生社会」、「環境立国」になると思っている。

「十勝の活性化を考える会」会長

注) 隗 より始めよ

隗より始めよとは、「大事業などの遠大な計画手近なところから行うとよい」という意味の表現、あるいは、「物事挑戦するに当たって最初に言い出した者がまずは取り組むべきだ」という意味の表現中国史書戦国策」に由来する故事成語である。

(出典:実用日本語表現辞典 

十勝の活性化を考える会」会員募集 


日常性

2021-01-22 05:00:00 | 投稿

昨年は人類の危機であるコロナウイルスとの闘いの1年で、現在も続いている。マスク着用等が常識になっており、人々はコロナ禍により日常生活が制限され、日常性を奪われたという。平和の祭典である東京オリンピックの開催も危ぶまれているが、コロナウイルス側から言えば、「環境破壊や地球温暖化を招いた犯人は、お前たちだ!」と言うのではないだろうか。

                                                         

新型コロナ禍は世界経済に大打撃を与え、社会的弱者の生活を更に圧迫し、一層の貧富の拡大をもたらしているのは事実である。今後も同じようなコロナウイルス感染症はくり返し出現すると予想されており、早期の終息と今回の経験を今後に生かすことこそが重要だろう。

二酸化炭素やプラスチックゴミなどの大量排出により地球を汚したのは人類であり、今こそ環境に負荷を与える暮らしを見直す時ではないのかと思う。人類が自然に対してもっと眼を向けていれば、環境破壊、地球温暖化は進まなかっただろう。今後、昔の地球に戻すことが出来ないとしても、SDGS(持続可能な開発目標)の実施への努力は不可欠である。

このような中で、環境モデル都市帯広市を中心に十勝19市町村が、地球温暖化を招くような「ゴミ処理場」の建設計画が決定されようとしている。大量消費からゴミは排出されるが、分別すれば資源となり、燃やせば環境破壊につながる。「物質不滅の法則」から、燃やしてしまえば大気中に拡散していくことになる。現実のゴミ処理と環境保全は、環境活動家グレタ・トゥーンベリさんが言っているように人類に課せられた課題の一つである。

なお、世界のゴミ焼却炉の2/3が、日本で使用されているそうである。外国ではゴミを安く処理できる埋立処理が行われているが、近い将来に環境汚染で問題になるだろう。また、北方四島のひとつである国後島でもゴミ処理場の建設計画があるが、どのようなゴミ処理施設を建設しようとしているのであろうか。

 

ゴミを燃やす時代に育ったが、燃やすゴミは極力少なくしていかなければならない。日本でも紙や生ゴミ等は一部再利用されているが、予てより提唱されている3リデュース、リユースリサイクルを、本気で促進していくべきだと思う。

リデュース(Reduce)とは、製品をつくる時に使う資源の量を少なくすることや廃棄物の発生を少なくすること、リユース(Reuse)とは、使用済み製品やその部品等を繰り返し使用すること、リサイクル(Recycle)とは、廃棄物等を原材料やエネルギー源として有効利用することである。 これからの時代は、コロナ禍を機会にピンチをチャンスにすべく、変える時代、変わるスタイル、未来志向である。

「十勝の活性化を考える会」会長

 

注) SDGs

SDGsとは「Sustainable Development Goals(持続可能な開発目標)」の略称です。そもそもどう発音するかというと、SDGs(エス・ディー・ジーズ)です。時々エス・ディー・ジー・エスと読まれる方がいらっしゃるのですが、最後はGoals(ゴールズ)の略です。SDGs20159月の国連サミットで採択されたもので、国連加盟193か国が2016年から2030年の15年間で達成するために掲げた目標です。
SDGs17の目標

この6つの目標を見ていると、貧困や飢餓、健康や教育、さらには安全な水など開発途上国に対する支援に見えます。

しかし実際には、日本の子どもの6人から7人に1人が貧困だと言われていたり、ジェンダー平等に関しても201912月に世界経済フォーラムで発表された数字によると153カ国のうち120位と、とても低い数字になっていて、これらの目標は先進国である日本国内でも当てはまることだと言えます。

(出典:yahoo検索より)

十勝の活性化を考える会」会員募集