十勝の活性化を考える会

     
 勉強会や講演会を開催し十勝の歴史及び現状などを学ぶことを通じて十勝の課題とその解決策を議論しましょう

幻の女流作家“久志芙沙子”

2021-01-21 05:00:00 | 投稿

 

先日、沖縄県出身作家久志芙沙子(くしふさこのことを、NHKテレビで放映していた。彼女は1903年生まれで、作家を目指して27歳の時に上京、29歳の時に小説滅びゆく琉球女の手記を書いたが、沖縄県出身の人から琉球人をバカにしていると批判され、その本のみしか出版しなかったそうである。

 

このテレビを見ていて、琉球人の女性は北海道のアイヌと同じように、昔は腕に入れ墨をしていたのを初めて知った。そして、琉球人はアイヌと同じように、土人として差別を受けていたらしい。3年前の沖縄米軍基地の反対闘争で、東京から派遣された機動隊員が沖縄人に向かって、「この土人め!」と罵声を浴びせて大問題になったことがある。現在でもこのように沖縄人は民族差別を受けており、また国土面積の約0.6%しかない沖縄県には、全国の米軍専用施設の約7割があり、米軍基地の設置でも差別を受けている。

知人に、奄美群島の喜界島に住んでいた人がいる。喜界島は人口7千人弱の鹿児島沖縄の間にある島で、鹿児島市から約380kmも離れており、台湾に近いために琉球文化と薩摩文化が交じり合っていたそうである。      

なお、北海道のアイヌと沖縄人の顔が似ているのは、下記に示すとおりDNA解析により遺伝子が似ているからである。生命誌ジャーナルに掲載された“縄文人の核ゲノムから歴史を読み解く”と題した、国立科学博物館研究員である神澤秀明氏の寄稿文に分かり易く書かれており、参考までに掲げよう。

(寄稿文)

現在の日本列島に住む人々は、形態や遺伝的性質から大きく3つの集団、アイヌ、本土日本人、琉球人に分かれる。この3集団にはどのような成立ちがあるのだろう。数千年、土に埋もれていた縄文人のDNA配列解析から現代へとつながる歴史が見えてきた。(中略)

現代日本列島人の成立ちを説明する学説として、1991年に形態研究に基づいて提唱された「二重構造説」がある。これは、縄文人と渡来民が徐々に混血していくことで現代の日本列島人が形成されたという説で、列島の端に住むアイヌと琉球の集団は、縄文人の遺伝要素を多く残すとしている。近年、行なわれた日本列島人の大規模なDNA解析からも、基本的にはこの説を支持する結果が得られている。』

「十勝の活性化を考える会」会長

注) 作家 久志芙沙子

久志 芙沙子(くし ふさこ、1903年 - 1986年)は、沖縄県出身の小説家首里に生まれる。沖縄県立第一高等女学校卒業後に小学校教員となる。27歳の頃、小説家を志して上京し、結婚して子供ももうける。

1932年、小説『滅びゆく琉球女の手記』を雑誌『婦人公論』に投稿し、掲載される。ところが、その内容に対して東京の沖縄県学生会から、同小説が沖縄のことを悪く書いている、またアイヌ朝鮮人と同一視されては困るというクレームがつき、連載が中止される。

芙沙子はこれに対して、沖縄を悪く書いたつもりはなく、沖縄文化に無理解な人に媚びる必要はないこと、またアイヌや他の民族を差別する心の方が歪んでいる、と釈明したが、その後、芙沙子は文壇から去って行った。

2016年に刊行された芙沙子をモデルにした小説「ツタよ、ツタ」(大島真寿美)が話題となり、芙沙子の孫が芙沙子の人生をたどる旅をドキュメンタリー化した番組がNHKで放映された。

(出典: 『ウィキペディア(Wikipedia)』より抜粋)

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生きる意味

2021-01-20 05:00:00 | 投稿

 

学生時代、空手部に属しており、先日、部のホームページを久しぶりで見た。部員の顔写真に加えて、創部以来の部誌も載っていた。先輩たちの部への思いや取組み姿勢が赤裸々に綴られており、頭をかち割られた思いがした。

創部は戦後、日本の高度経済成長期の始まりの時で、部誌には部員たちの“生きる意味のことなどが書かれており、考えさせられた。昔の人たちは生きるということに真剣に取り組んでいたのが分かる。安保闘争や学生運動も、その気概だけは無垢で混じりけの無いものであった。空手部の部員は、自分が知っているだけでも四人の部員が自殺しているが、みんないい人ばかりであったので極めて残念である。

 

三島由紀夫氏や川端康成氏は国を憂い、覚悟の自殺だったかも知れないが、私のような死にかけた人間にとっては、命はひとつしかないので大切にしてもらいたいと、しみじみ思う。

昨年、「生きる意味の探し方」と題した講演を聞いてきた。講師は、東工大教授の「上田紀行氏」で、同氏は若い時に様々な挫折を経験しており、人間は挫折して初めて、生きる意味が分かってくると語っていた。

また、私と同じく脳出血を罹患し一旦、挫折した人がいるが、脳出血を罹患したことで、一人では生きられないことを悟り、第二の人生をスタートしている。 彼は有名大学を出たにもかかわらず、人間は自分らしく謙虚に尊厳を持って生きることが大切だという。

尊厳とは、尊くておごそかで掛けがえのないことをいう。人間の尊厳を尊重するということは、人間として存在していることをかけがえのない価値として、大切にすること意味する。

また、尊厳死とは一個の人格としての尊厳を保って死を迎えることをいうが、いわゆる“プライドを持つということは、自分らしく尊厳を持って生きることである。肩書などを失うとタダの人になってしまうプライドは、真のプライドとは言えないと思う。

 

私はサラリーマンだったので、組織の中でいろいろな人を見てきた。気の合う人、気の合わない人、神経の細やかな人、大雑把な人、プライドが高い人など、まさに十人十色である。

その中でプライドが高い人の中には、誰もが憧れるような素敵な人もいれば、問題が多い人もいる。プライドは、自分を強くしてくれる大切なものであるが、プライドばかりが高くなって信頼を失う人も少なくない。

そもそもプライドとは、「自尊心」や「誇り」のことであり、他人より優れていることを誇りに感じる気持ちや、能力が認められて「自分は優れた人間だ」と思うことは大切なことであるから、プライドを持つことは決して悪いことではない。

 

しかし、プライドばかりが高くなると、自分自身を過大評価したり周りが見えなくなったりする人が多く、プライドを保つために優位に立とうとするあまり、人間関係がギクシャクしてしまうこともある。

プライドが高い人は、自分に対する評価が人一倍高いため、「自分が正しい」と思う傾向があり、何かと意見されることや否定されることを嫌い、口には出さなくても態度に表すこともよくある。何もプライドに傷が入るのではないと思うのだが・・・・。

 

また、組織では昇進を狙って揉み手や忖度する人がいる。逆に言えば、そのようにしなければ昇進などは、おぼ付かないのである。プライドが高くなる原因や心理は、何だろうと考えている。

プライドが高くなるのは、性格だけでなく生まれ育った環境や体験にも関係していると思うが、プライドが高かったばかりに寂しい人生を過ごす人もたくさん見てきた。

 

一方、限りない挫折を経験した上田紀行教授は、プライドに関して、以下のようにも言っていた。 『プライドは、他人との比較にとって生ずることが多いが、比較してはいけない。世の奥様がたは、自分の子供を学校の成績のみで判断する傾向があるが、意味のないことである』と。

子供を服従させるような親のもとで育った人は、ゆがんだ価値観が植え付けられ、プライドの高さを受け継ぐことがある。プライドの高い人は、自分の意見が絶対であり、否定されると相手が折れるまで反論し続け、相容れなければ敵とみなす人もいる。

考え方を少し変えることによりプライドが不要なものであると気づけば、身近にいる人のことも大切にでき、彩りのある人生を送れるはずである。視野を広げれば、自分よりも優れた人がたくさんいることにも気づき、自分が持っているプライドが、取るに足らないものだと分かってくる。

空手の話に戻そう。空手は鍛え抜いた素手や素足で、お互いに打ち合あう武道で、柔道のように体重別は無いから、私のような身長の無い者(163センチ)にとっては、寸止めルールはあるものの常に緊張感が抜けず、人一倍練習に励んだ.

空手では、稽古前に道場に入るときや稽古を終えて道場を退出する際など、至るところに礼儀作法がある。もちろん、道場外での振る舞い方についても、礼儀作法が定められている。それゆえに「空手は、礼に始まり礼に終わる」といわれる武道で、空手道によって常に、自らをいましめるのである。だから私は、空手に関するプライドを持っているつもりでいる。

「十勝の活性化を考える会」会長

 

注) 上田紀行

上田 紀行は、日本の文化人類学者東京工業大学教授。専門は文化人類学。特に宗教癒し、社会変革に関する比較価値研究。学位は医学博士

東京都出身、東京大学教養学部文化人類学科卒業。東京大学大学院総合文化研究科文化人類学専攻博士課程単位取得退学。

1993年から1996年まで、愛媛大学助教授。1996年4月より東京工業大学大学院社会理工学研究科価値システム専攻准教授、2012年2月に東京工業大学リベラルアーツセンター教授となる。東京大学助教授(2003~2005年)を併任。

母は翻訳家の上田公子。妻はアナウンサーの武内陶子春風亭小朝は従兄弟。

[著書]

  • 『宗教クライシス』(岩波書店、1995年)
  • 『癒しの時代をひらく』(法蔵館、1997年)
  • 『日本型システムの終焉―自分自身を生きるために』(法蔵館、1998年)
  • 『がんばれ仏教!』(NHK出版、2004年)
  • 『生きる意味』(岩波書店、2005年)
  • 『「生きる力」としての仏教』(PHP新書、2006年)
  • 『かけがえのない人間』(講談社現代新書、2008年)
  • 『「肩の荷」をおろして生きる』(PHP新書、2010年)
  • 『慈悲の怒り―震災後を生きる心のマネジメント―』(朝日新聞出版、2011年)
  • 『人生の<逃げ場> 会社だけの生活に行き詰まっている人へ』(朝日新書、2015年) 

(出典:『ウィキペディア(Wikipedia)より抜粋』)

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変える時代

2021-01-19 05:00:00 | 投稿

 

新型コロナ禍で世の中が、変わろうとしている。いや、変えなければならないのである。なぜなら、新型コロナウイルスの発生原因のひとつとも言われている地球温暖化がこのまま進めば、食糧難などで多くの人間が死ぬ可能性が高いからである。

 

今回の新型コロナウイルスと人類の戦いは、「人間同士が殺し合う戦争でないからまだ良い」とある人が言ったが、国々では何百兆円という莫大なコロナ対策費がつぎ込んでいるから、第二次世界大戦の軍事費の比ではないだろう。

命はお金に代えることはできないが、世界では医療崩壊などで“トリアージが始まっているらしい。トリアージとは、治療患者を選別、優先順序をつけることを言うそうである。

現在、新型コロナ禍で10以上の都府県に緊急事態宣言が出された有事であるが、太平洋戦争が始まった時も非常事態宣言が出されている。なお、緊急事態、非常事態も国家存亡にかかる有事の同義語で、法律上は緊急事態とされている。

今は有事であるから、ひとり一人が自分の役割を発揮する時だと思われるが、自分は高齢に加え、体に障害を持っているので今は力がないが、全員一丸となって知恵のある者は知恵を出し、力のある者は力を出してほしい。それが今の有事を乗りこえる全てだと思っている。

ただ、こんな状況下にあっても世界の国々では、自国を守るために防衛費が使われている。日本でも、ステレス戦闘機(一機約100億)やイージス艦(1隻、約2,500億円)などの防衛予算が、年間約5兆円がつぎ込まれており、コロナ禍を機にこれらのムダなお金が使われない時代が来ればよいと思っている。しかし、国々には我欲があるから、いつになるか予測は難しいだろう。

ただ将来、今のようなことが続くとすれば、国々の予算が続かなくなることから、戦争のない平和の時代が来るかもしれない。そのような意味で今回のコロナ禍は、国々に一石を投じただろうし、人類の視点に立つ国際法の重要性が見直される時代にもなるだろう。

「時代」に関連して思い出すことがある。歌手の中島みゆきさんと本人が作詞作曲した時代の歌である。私が独身の時、ニューミュージックには全く興味がなく、中島みゆきという人物も知らなかった。当時、東京にある独身寮の部屋で、時代を聴いている友人がいて、そのレコードが入っていたジャケットを見た瞬間、「私はこの人を知っている」といったところ、友人たちはケラケラと笑い出したのである。友人たちは、彼女が私と同じ高校であったことを知らなかったのだろう。

 

彼女は1学年下の人で、高校体育祭の借り物競争で一緒に走ったので覚えている。借り物は覚えていないが、手を握って走ったことはしっかり覚えている。彼女は短髪で目立った存在で、私にとっては青春時代の淡い思い出となっている。

「十勝の活性化を考える会」会長

注) 国際法

国際法とは、国際社会を規律するをいう。国際私法と対比させて国際公法ともいわれるが、国内法制度における私法公法の関係のように両者が対立的な関係にあるわけではない。条約慣習国際法法の一般原則が国際法の存在形式とされる。かつては国家間の関係のみを規律する法と考えられてきたが、現代では国際組織や個人の関係や、これらと国家との関係を規律する法と考えられている。

 

現代国際法への移行

しかし現代では、国際人権法、国際人道法に見られるように、個人も国際法上の権利、義務の主体として位置づけられるようになった。

また、国際環境法における「人類の共通の関心事」あるいは「人類の共通利益」概念のように、「人類」概念も登場するに至った。このように、今日では、従来の「国際社会」とは異なる、諸国家の相互依存性から自然発生的に形成された「国際共同体」という概念が、学説においても、また実定法においても、徐々に浸透してきている。

(出典: 『ウィキペディア(Wikipedia)』より抜粋)

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人間の可能性

2021-01-18 05:00:00 | 投稿

 

先日、NHKスペシャルで、「藤井聡太二冠への軌跡」を放映していた。藤井聡太二冠は人間コンピューターと言われ、30手先まで読むそうである。将棋の30手先といえば5億通りの組み合わせであるから、まさに人間コンピューターである。

 

棋聖戦で初タイトルを決めた手も、AI(人工知能)はそれほど重視していなかったそうで、バランス感覚を含めて“人間の可能性には無限であり、人間の能力も捨てたものではない。

彼は昨年の7月に棋聖、8月には王位のタイトル保持者となり、11月には史上最年少で公式戦200勝を達成してまさに天才である。そして、人一倍の努力家でもある。その証拠に詰将棋で、5年連続で日本一となっており、彼の能力は努力によって培われたらしい。AIが人間を上回る時代が来ると思っていたが、人間にはこころがあるから大丈夫であると思っている。

 

しかし、過去の人間の歴史を見ると原子爆弾や戦争などを行なっているから、他の動物にはない愚かさがあるので、安閑としてはいられないと思っている。一方、

ローカルな話題になるが、この十勝に地球温暖化を招くようなゴミ処理場が建設する計画があるようだが、これにも同じようなことが言えるので安閑としてはいられない。

いま新型コロナ禍で世界を震撼させているが、東日本大震災から今年は10年になる。あの時、人と人との間に「絆」がうまれ“花は咲くという歌も生まれたが、いつの間にか歌われなくなっているので掲げよう。

【歌“花は咲く” 作詞】
真っ白な 雪道に 春風は香る

わたしは なつかしい
あの街を 思い出す

叶えたい 夢もあった
変わりたい 自分もいた
今はただ なつかしい
あの人を 思い出す

誰かの歌が聞こえる
誰かを励ましてる
誰かの笑顔が見える
悲しみの向こう側に

花は 花は 花は咲く
いつか生まれる君に
花は 花は 花は咲く
わたしは何を残しただろう

夜空の 向こうの 朝の気配に
わたしは なつかしい
あの日々を 思い出す

傷ついて 傷つけて
報われず 泣いたりして
今はただ 愛おしい
あの人を 思い出す

誰かの想いが見える
誰かと結ばれてる
誰かの未来が見える
悲しみの向こう側に

花は 花は 花は咲く
いつか生まれる君に
花は 花は 花は咲く
わたしは何を残しただろう

花は 花は 花は咲くいつか生まれる君に
花は 花は 花は咲く
わたしは何を残しただろう


この歌詞の中で、「わたしは何を残しただろう」という部分に、いつも考えさせられる。東日本大震災の時に抱いた「絆」をもう一度想い起こす必要があり、人と人との連帯を強め、パンデミックの難局を乗り越えよう。

                              「十勝の活性化を考える会」会長

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歌“心残り”

2021-01-17 05:00:00 | 投稿

 

作曲家 なかにし礼さんが先月、享年82歳で病死したことを報じていた。彼は、「今日でお別れ」「北酒場」「石狩挽歌」など数多くのヒット曲を手掛けた歌謡界を代表する作詞家で、中国中東部(旧満州)で終戦、祖国日本に引き揚げた戦争体験が根底にあったという。昨年10月、他界した筒美京平さん(享年80歳)に続く悲報であった。

私には、彼が作詞した心残りの曲に忘れられない思い出がある。それは独身時代、隣の部屋にいた会社の友人がいつも口ずさんでいた歌で、一緒にマージャンをしながら歌っていたことを思い出す。彼は家庭用のガスボンベ事故で、29歳の若さで天国に旅立っている。私の年齢が70歳になるから、彼の倍の人生を生きてきたことになるが、運や不運、人の命の儚さを思わずにはいられない。

 

人生、70年間も生きてくれば数多くの不運を見てきた。最近では、新型コロナで死んだ人、忘年会の帰りに自宅の前で寝込んで凍死した人、愛犬と散歩中に急性心不全で死んだ人、みんな自分よりも若かった。運命だと思って、受け入れるしかないと思っている。 合掌

「十勝の活性化を考える会」会長

【歌心残りの歌詞】

私バカよね おバカさんよね
うしろ指 うしろ指 さされても
あなた一人に命をかけて
耐えてきたのよ 今日まで
秋風が吹く 港の町を
船が出てゆくように
私も旅に出るわ 明日の朝早く

私バカよね おバカさんよね
大切な 大切な 純情を
わるい人だと 知っていながら
上げてしまった あなたに
秋風の中 枯葉がひとつ
枝をはなれるように
私も旅に出るわ あてもないままに

私バカよね おバカさんよね
あきらめが あきらめが 悪いのね
一度はなれた 心は二度と
もどらないのよ もとには
秋風が吹く つめたい空に
鳥が飛び立つように
私も旅に出るわ 一人泣きながら

(出典、:yahoo検索)

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