十勝の活性化を考える会

     
 勉強会や講演会を開催し十勝の歴史及び現状などを学ぶことを通じて十勝の課題とその解決策を議論しましょう

ポスト資本主義を考える

2021-01-11 05:00:00 | 投稿

先日、NHKラジオ朝イチ真剣勝負!で、「コロナ後 ポスト資本主義を考える」と題して、大阪市立大学大学院准教授 斎藤幸平氏が、次のことを語っていた。

① 資本主義の限界

② いき過ぎた競争社会

③ 地球温暖化による気候変動

④ 競争を生まないためには、消費を落とさざるをえないこと

⑤ 物を共有する社会が、Z世代を中心に広がっていること など

Z世代とは、アメリカ合衆国などにおいて1990年代中盤以降に生まれた世代のこと。生まれた時にはすでに、インターネットが利用可能であったという意味では、真のデジタル世代で、且つスマホ世代でもある。2020年に始まった新型コロナ禍の影響を受けて、義務教育高等教育の両方で、オンライン授業を受けた世代ともなっている。各項目、思い当たるところも多く、参考になった。

この新型コロナウイルスによるパンデミックが生じなかったならば、どのような世界、日本になっていたのだろう。競争社会がますます熾烈化し、地球温暖化によってますます気候変動が大きくなっていた可能性もある。

だから、私は考えようによっては、経済活動にブレーキが掛かったものの、長い目で見れば一大転換点と思っている。コロナ終息して世界が我欲、我組織、我国を改め、共生への意識を高める契機となることを期待するためである。

なぜなら新型コロナウィルスは、地球温暖化によって生み出されたものという有識者もいるくらいである。いずれにせよ地球は、人類中心主義によって動いているのは事実であり、関連として脚注に“自然選択説”を載せてみた。

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 注) 自然淘汰(自然選択説)

自然選択説とは、進化を説明するうえでの根幹をなす理論。

厳しい自然環境が、生物に無目的に起きる変異(突然変異)を選別し、進化に方向性を与えるという説。1859年チャールズ・ダーウィンアルフレッド・ウォレスによってはじめて体系化された。自然淘汰説ともいう。

自然選択は生命の誕生以来、全ての生物に働いてきたと考えられる。そのためしばしば自然選択説は循環論的であると批判される。しかし実際に観察された現象から導き出された理論である。19世紀以前は「神の思し召しである」としか説明できなかった生物が持つ様々な性質の由来について、自然選択説に基づく観察は、それぞれ異なった説明を可能にした。

総合説に代表される「ネオ・ダーウィニズム」では自然選択を重視しているが、木村資生中立進化説などの分子進化論では、自然選択にかかわらない中立な突然変異を起こした遺伝子が集団内に広がることも、進化にとって重要であるとしている。生物進化を要約すると次の通りである:

・生物がもつ性質が次の3つの条件を満たすとき、生物集団の伝達的性質が累積的に変化する。

1. 生物の個体には、同じ種に属していても、さまざまな変異が見られる。(変異)

2. そのような変異の中には、親から子へ伝えられるものがある。(遺伝)

3. 変異の中には、自身の生存確率や次世代に残せる子の数に差を与えるものがある。

上記のメカニズムのうち、3番目に関わるのが自然選択である。一般に生物の繁殖力が環境収容力(生存可能数の上限)を超えるため、同じ生物種内で生存競争が起き、生存と繁殖に有利な個体はその性質を多くの子孫に伝え、不利な性質を持った個体の子供は少なくなる。このように適応力に応じて「自然環境が篩い分けの役割を果たすこと」を自然選択という。

(出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』より抜粋)

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不思議な十勝

2021-01-10 05:00:00 | 投稿

不思議な十勝とは、300億円も費やしてゴミ処理場を建設しようとしている計画のことである。ここ十勝は、日本の食料基地として「フードバレーとかち」といわれ、日本でも稀な恵まれた大地を有するところである。

 

日本の7番目の面積を誇る岐阜県と同じ広さで、1戸当たりの耕地面積が50ヘクタール弱で、大きな農地を保有する農業主体のところである。そこに、約7割の燃えるごみを燃やしてしまう焼却炉を作らんとしている。

ラベンダーで有名な富良野市は、再利用で燃やすゴミは1割弱に抑えているらしい。燃やせば地球温暖化を促進することになり、環境活動家 グレタ・トゥーンベリさんが、国連で行なった演説の主旨が理解できる。

 

不思議なことは、これだけではない。これに対して、十勝住民の反対運動があまり起こってこないことである。自分の身に、あまり振りかぶって来ないということであろうか、自分には何とも理解しかねることである。今の日本、だんだん貧しい国になっていくことを思うと、理不尽なことが多すぎる。

 

例えば、人口減少の要因になっている少子高齢化である。人口減少はいろいろな理由があって、解決には100年間は掛かると言われる。ゴミ処理場の問題解決にはそれほど時間は掛からないので、もう一度、十勝住民は考えてみよう。これからのキーワードは、変わる時代、変えるスタイル、未来志向である。

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注) 十勝はこんなところです。

十勝は、北海道を14に分けた行政区画である振興局の一つで、北海道の東部に位置し、1市16町2村から構成される地域です。 十勝の開拓は、明治16年(1883年)に「晩成社(明治15年1月、現在の静岡県松崎町で結成)」一行27人が、下帯広村に入植したことによりはじまりました。

その後、寒冷な気象条件にありながらも、広大で恵まれた土地資源、年間2,000時間を越える日照、良質な水資源等、豊かな自然環境の中で、農業・林業・水産業といった1次産業を柱に地域が発展してきました。

(出典:十勝観光連盟ホームページより)

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手負いクマ

2021-01-09 05:00:00 | 投稿

 

手負いクマとは、攻撃を受けてったクマで、恐怖や憎悪から必死の反撃に出るので怖い。類語では、窮鼠猫を噛むなどもあるが、危機の中で何をしでかすか分からないということである。

私は1回だけ、野生のクマに遭遇した時がある。それは自宅から約80キロ離れた東大雪のウペペサンケ山(1,836 m)に行く途中の、登山の時に起こった。登山口の手前の道路を、ノッソ!ノッソ!と車の前をクマが悠然と横切ったのである。同行の妻が、「登山を止めて帰ろう」と言ったが、そのまま登山してきた思い出がある。

 

一方、火事場のバカ力という諺もある。切迫した状況の中で無意識に想像以上の力を出すというから、現在のようなパンデミックの時には、みんなが火事場のバカ力を出す時でもある。しかしまだ、ワンチームになっていないような気がする。

以下の文章は、表題とやや異なるような気もするが掲げよう。私は9年前に脳出血を罹患したが、最近、やっと話が出来るようになった。そんな第二の人生なので、いろいろと人生について考える時がある。                                  

知人の方で50歳の時、私と同じく脳出血を罹患した人がいる。彼は罹患した経験から、命や心のありようを大切にしているので、大変感銘を受けた2019426日付けブログを再掲する。

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「支えるということは支えられる」ということ

国連の障害者権利条約は、障害のある人だけに権利を与えたものでなく、障害のある人も障害のない人も、“すべての生活者”に権利を有しています。

現在私は、定期的に医療や福祉サービスを受けています。医療や福祉をはじめとして多くの社会組織には、「施す」側と「受ける」側の存在があります。そこには自ずと、上位にある側と下位にある側との関係があります。医療では、医師と患者。福祉では、支援者と障害当事者といった具合です。

それは意識の根底に、自分が他者に対して何ができるかという、いわば上位に立つ無意識の思い込みが忍び込んでいることもあります。

障害のない人から見て多くの人は、障害があるから「できない」という思い込みは、気づかないうちに行動、言動に表れるもので、私は何回もそういう状況を経験しました。

最近、人が人を世話したり、支えたりすることは一体どのようなことか、そして人として、そこにどのような課題があるのかを考え始めました。このことは、立場が入れ替わったときにはじめて本当に気付くものです。

現在、私は里山に移住し自分が暮らし続けたい場所で豊かな人間関係に囲まれ、社会的役割や自己肯定感をもって生き生きと田舎暮らしをしています。自分を支えてくれる地域は、自分が支える地域でありたいとつくづく思います。

これは、「互酬」(お互いさま)に基づき、私のライフワークとして、誇りと尊厳をもって人間らしく自分らしく生きられる社会を創り出したいと考え、活動の支えになっています。

私は発病以来、多くの人々の支えでここまで来ることができました。とくに心が折れそうになったとき、ある人との出会いで勇気をもらい、そこから“こころのきっかけ”が生まれました。

今度は、中途障害を持ったから気づいたこと、障害があるからこそ果たせる役割があると考え行動しています。私にとってのエンパワメントは、社会的障壁や不均等をもたらす社会的メカニズムの変革を考えています。

(「十勝の活性化を考える会」ブログ読者)

注) 互酬

互酬は、文化人類学経済学社会学などにおいて用いられる概念。人類学においては、義務としての贈与関係や相互扶助関係を意味する。

互酬は、集団対称性を特徴とする。集団間におけるサービスの運動によってギブ・アンド・テイクを促進し、相互依存の関係を作る。互酬を行う集団は対称的なサブグループを組織するので、3つ以上の集団も参加できる。その場合は相互にではなく、類似の関係にある第3のサブグループとやりとりを行う。

集団において経済組織が分離していない場合は、互酬は親族を中心に行われるため、親族関係が複雑となる。

(出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』より抜粋)

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縄文人、弥生人、エミシからアイヌへ

2021-01-08 05:00:00 | 投稿

縄文人”とは、縄文時代日本列島に居住していた人々で、約1万6000年前から約3000年前まで日本全土、北海道から沖縄にかけて住んでいた。

弥生人”とは、弥生時代に中国大陸朝鮮半島等から日本列島に渡来してきた「大陸系弥生人」、「縄文系弥生人」、および両者の混血である「混血系弥生人」に分けられ、「混血系弥生人」が和人、日本人につながったとされている。

この弥生時代は、紀元前10世紀頃から西暦3世紀中頃までにあたる時代区分で、水稲農耕を主とした生産経済の時代だったと言われている。但し、青森県で「三内丸山遺跡」が発掘され、縄文時代にも稲作を行なわれていたようである。

そして弥生時代が終わり、4世紀から6世紀ころにかけての時代区分として、「古墳時代」や「飛鳥時代」、「大和時代」などが広く用いられているが、大和朝廷とはその時期に日本列島の主要な部分を支配した政治勢力であった。

そして“エミシ”とは、「縄文系弥生人」が関東地方やその以北に住んでいた人々で、大和朝廷への帰属や同化を拒否した集団であった。エミシは統一した政治勢力とならず、ある者は積極的に朝廷に接近する集団もあれば、敵対した集団もあったと考えられているが、大和朝廷が次第に影響力を増大させて、エミシを征服・吸収させていったといわれる。

エミシと呼ばれた集団の一部は中世の蝦夷(えぞ)、すなわち“アイヌ”につながり、一部は和人につながったと考えられている。だから、青森には下北アイヌコタンや津軽アイヌコタンがあり、江戸時代までは和人とアイヌが共生していたのである。

 

また、アイヌという「自民族の呼称」として意識的に使われだしたのは、大和民族とアイヌとの交易が増加した17世紀末から18世紀初めにかけての時期といわれる。

神奈川県に住んでいる知人に、このアイヌの歴史のことで電話したところ、既述のことは日本の歴史では当たり前のことだと言われた。

日本人の起源は縄文人にあり、その末裔にエミシ(アイヌ)がいるのであるが、このような事実が日本人にあまり知られていないことが、アイヌに対する差別の原因になっていると思っている。

北海道平取町に、「北海道びらとり会」がある。3年前の2017年に設立され、70名余りが会員である。平取町はアイヌの血を引く人が多く住む町で、東京など遠い所に住んでいても故郷とのつながりを強く持っているから、会員になる人が多いと思う。

私は民間ロケットで有名な十勝の大樹町で生まれたため、「帯広大樹会」に入会しているが、発足当時の会員は130名余りだったそうであるが、現在は30名足らずである。

どんな会にも言えるが、会員が減り続けている。減る理由にはいろいろあるが、何といっても“少子高齢化”で、解決の糸口を見いだすのは難しい。ただ、それにより人とのつながりを無くしていくのであれば、そのことを人々が望んでいたか、又は、人とのつながりを求めない世の中に変わったからでもあろう。

ギリシャの哲学者 アリストテレスは、「人間は社会的な動物である」と述べたが、人間は他者との絆を結ぶことは本能のようなものであり、他人とのつながりを絶って孤独のうちに一生を終えることができる人は、ほとんどいないと思う。

現在の日本を振り返ると、「新型コロナ禍」で人々の価値観が変わりつつあるので、もう一度、日本人のルーツや人とのつながりを考える良い機会だと思っている。

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満身創痍

2021-01-07 05:00:00 | 投稿

満身創痍という言葉がある。「満身創痍」とは、「全身傷だらけの状態」あるいは「心身ともにボロボロの状態」という意味で用いられる表現。

鈴木北海道知事は、満身創痍ではないだろうか。彼は、財政破綻した夕張市長の時、曲りなりにも財政を立て直したからである。だれも財政破綻した夕張市の市長にはなりたくない。しかも、元東京都職員の職歴を考慮すれば、給料も半分以下に減るは必至である。

2年前、帯広畜産大学で行なった夕張市長時代の彼の講演を聞きに行ったことがある。その時に彼は、「30年後の東京は、今の夕張市と同じかもしれない」と言ったが、まんざら、戯言でないかも知れない。

彼の偉大さは、先を読むだけでなく、行動で示していることである。今年4月にいち早く出した「緊急非常事態宣言」、「寿都町の核ゴミ問題」、「新北海道スタイル」など、具体例を出すと枚挙にいとまがない。

そして、運も彼に味方している。夕張市炭鉱博物館の模擬坑道が火災に遭ったのも市長を止めてからであった。任期途上であれば火災対応のために、知事立候補は不可能であっただろう。彼を弁護するわけではないが、運は自分で掴んでくるものである。全国最年少の知事として彼のほかに適任者がいなかったのは、選挙の得票数にも表れている。

彼は大学時代にボクシング部に所属し、“ハングリー精神が豊かで打たれ強いのである。だから、北海道知事を誰よりも任せられると思っている。これからの北海道は、今まで以上に難問山積しているが、彼ならできると思っている。コロナ禍で政治、財政、経済等々、満身創痍の日本、そして北海道。道民みんなで支えていくべきだと思う。

参考までに、彼の略歴は次のとおりである。埼玉県立三郷高等学校在学中、両親の離婚により母子家庭で育ち、経済的な事情から大学進学を断念。19歳の2000年4月、都職員として勤務しながら法政大学第二部法学部法律学科に入学し地方自治を専攻、4年で卒業した。

「十勝の活性化を考える会」会長

注) ハングリー精神

ハングリー精神とは、恵まれない環境から脱出するために必要な強い気持ちという意味で用いられます。目標や自分の夢、物事を強く求め、達成するために強い意志を持って立ち向かう気持ちや心意気などを意味します。 スポーツの場で使われることも多く、「現状に満足しない」「高い目標がある」「何事にも挑戦する」といった場面で使われます。 (出典:yahoo検索より)

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