昼行灯(だった)トキの大雑把なひとりごと

クレヨンしんちゃんよりもユルく生きていた(当面過去系)私の備忘録と、大雑把なひとりごと。時々細かく語ることも。

君はシンデレラ

2019-02-26 09:30:43 | Weblog
富田靖子5thシングル。三浦徳子/タケカワユキヒデ/矢野立美という布陣。
楽曲は、如何にもタケカワユキヒデという転調から爽やかなサビに抜ける気持ちいい曲。

35年近くもなんにも気にしていなかったけど、この曲、男子を「シンデレラ」に見立ているんですね。
そして、振られた彼に「シンデレラ、ガラスの靴を履くのをやめて。もっと貴方を好きな女の子(多分語り手)知ってるよ」と語りかけ、応援する。
ちょっと面白い構成だと思います。
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続・過去に向く視線

2019-02-23 01:18:07 | Weblog
富田靖子の曲、全部聴いたことがあるわけではないのですが、知る限りのシングル曲は、どれも良いです。
このへんは事務所(アミューズ)の強みなのでしょうか。

前々回、1stアルバム「みつめてください」から「林檎雨」をレビューしましたが、収録曲で一番好きなのは「恋のヒロイン」です。
「古いカセドラルの窓 蔦に覆われてた壁 不思議なくらいに黄昏 高台の教会で祈ったの」
この西洋感。
「シスター教えて 恋とは何か 震える予感は ああ分からない」
このカトリック感。

カトリック系幼稚園に通った身としては、何かこう格別に来るものがあります。
切なさを豊かに表現した名曲です。

詞は秋元康。「林檎雨」は松本隆でしたが、秋元詞が多いアルバムです。
乃木坂に似合いそうというのもむべなるかな。とにかくまあ、今も昔も、秋元康の歌詞が表現する「(男が妄想する)ミドルティーン女子」感は凄い。
女性がどう感じるのか全く分からないですけど、男にとってリアル感のある表現がなされていると思います。

5曲目のアルバムバージョン「オレンジ色の絵葉書」。やはりシングル盤の方が好きですね。何せ原体験ですから。
スピード感のあるキャッチーなイントロから、疾走するように続くメロディ。
対するアルバムバージョンは、やや寂しげで静かな入りから、重厚なストリングスが奏でられ、シングル盤に比べややスローテンポに振った(と感じる)、全体的にミドル調のアレンジが施されています。大人しいというか。
この曲と10曲目「夜空のララバイ」の作曲は柴矢俊彦。どちらもマイナー調で疾走感のある、格好いい、でも女の子らしい可愛さを兼ね備えた曲です。
思春期特有の、溢れ出すような、言葉にならない感情の動きみたいなものが、上手に表現されていると感じます。
方向性は違うけれど、川本真琴に通じるような部分でしょうか。

7曲目「秋めいて」も、可愛く纏め上げられた良作。「黄昏が校舎を染めて野球部の練習急かす ポプラの影まで傾くのが分かる 水のないプールの傍の金網にもたれるように 友達待ってた時に 発見したの」。みんなに共通するようなノスタルジックな風景描写が秀逸です。これも詞は秋元康。

しばし、過去に耽溺していたいです。このアルバムをリアルタイムで聴いていたのは、正に中学生時代。戻りたい時期ではないけれど、あの頃の感覚、思い出には、つい感傷的になってしまいます。
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過去に向く視線

2019-02-22 23:21:14 | Weblog
富田靖子1stアルバム「みつめてください」をどうしても聴きたくなり、結局中古CDを購入してしまいました。

さて、早速聴いてみて、ふと違和感。
1曲目「Dream theme from YASUKO」は、編曲担当の瀬尾一三による、収録曲のメロディを散りばめたインストゥルメンタル。
で、私の記憶では、2曲目「卒業という名の列車」のイントロ部分の引用から、そのままこの2曲目にシームレスに繋がっていたように思うのです。
しかしCDでは、1曲目の最後は5曲目「オレンジ色の絵葉書」アルバムバージョンのイントロ部分の引用で終わり、2曲目は独立してスタートします。

この1曲目の終盤部分、5曲目イントロがスローダウンしていくくだりは、勿論記憶に残っています。
私の中では、「Dream theme from YASUKO」前半の「卒業という名の列車」イントロアレンジからそのまま2曲目へ繋がっていき、曲の後半は、どこか別の部分、例えばA面最後か、B面冒頭あたりに入っていたような憶えがあるのです。

これを確認するには、中古LPとレコードプレーヤーを買うか、もしくは過去のダビングテープを発掘して聴いてみるしかありません。
どちらも、あまり現実的じゃない。


この疑問に関し、どこかにヒントがないかと思い、検索してヒットしたのが以下のサイト。
http://ryougetsu.net/tomiyasu/index.html
直接の回答はないのですが、歌手・富田靖子の業績について、大変参考になる記事です。
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好き避け

2019-02-14 23:44:00 | Weblog
そんな言葉はなかった1984年にリリースされ、見事にその事を歌っているのが以下。

『林檎雨』富田靖子
 作詞/松本隆 作曲/筒美京平 編曲/瀬尾一三

林檎雨 大粒の雨音
林檎雨 降りしきる水色
おせっかいな友だちが言うの
「彼、あなたに気がある」ってね

すれ違う時 私
機嫌斜めの素振り
傘で 眼をふと かくしては
理由(わけ)もなく つんとすまし顔

林檎雨 教室の窓から
林檎雨 校庭を見てたの
ただそれだけ 影をひく肩を
眼で追うのは ほんと偶然

後ろの席で彼が
何かおどけて笑う
別に気にしてないのにね
私だけ 急に 
黙りこむ

すれ違う時 私
機嫌斜めの素振り
昨日まで そう何気なく
声なんか かけて いたのにね

林檎雨 大粒の雨音
林檎雨 降りしきる水色
林檎雨 明日から髪型
林檎雨 変えようと想うの


セカンドシングル『渚のドルフィン』B面
1stアルバム「みつめてください」収録

アルバムの概要は以下の記事を紹介させていただきます。
https://ameblo.jp/no-hideaki/entry-12123288902.html

この記事でも本作が「名曲」として紹介されています。
記事を読んで気がついたのですが、編曲のストリングスが非常に良いのです。アルバム全編。
アルバム全体を録音したカセットテープがどこかに眠っているはずですが、35年も前のものなので、流石に再生不可でしょう。
この曲を含む数曲は、マイベストのテープから10年ほど前にデジタル化したものに加え、2010年発売の「ゴールデンベスト」にも収録されているので、そちらで確保していました。

乃木坂あたりがカバーしたら、実に合いそうな名曲です。
この曲を知ったのは中1のときで、上記アルバムを友人から購入した際。
富田靖子は小6当時の私が最初にファンになったアイドルで、デビューシングルも購入しています。
この頃の透明感、凛とした少女らしさ、年齢の割に堂々とした雰囲気など、非常に素晴らしいものがありました。
この透明感や凛とした感じ、どこか中性的な部分、楚々とした美しさみたいなものが、私のお気に入りアイドルの共通要素で、原田知世から石田ひかりと移ろっていきます。「女の色気」が出る手前の、それこそ富田靖子がデビューした14歳くらいの女子の感じが大好きです。
何だロリコンかよ。そうかもしれません。非モテの私は4歳から15歳にかけて無告白片思いを繰り返し苦むトラウマ期の始まりを経験しています。
その時期に同年齢だった女子に焦点が当たってしまうのです。

もう一つ、この時期は上記歌詞の「傘でふと眼を隠しては・・・」を中学時代にリアルでやっていた思い出があります。
今で言う「好き避け」ですね。
恋愛感情とまではいかない好意を示してくれていた女の子のことを、こうやって避けていたのです。目線合わせなかったり、挨拶してくれても素っ気なくしたり。

勿論嫌いなわけじゃなくて、むしろ優しくて頭のよいハーフ系美少女でしたから、なんというか気後れというか、コミュ障の性というか。
本当に『林檎雨』の歌詞と同じです。気になって気になって仕方がない自分を隠したい、取り繕いたい。恥ずかしいから。ただ好意は本当に嬉しい。でもそれを素直に出せない。もどかしさやイライラばかりが意識され、隠れた裏側には素直な暖かい気持ちがあるのに、それを出せないし交わせないんです。切ない。

私の場合、そうこうしているうちに相手の気分を害し、ガチで嫌われてしまった始末です。大変申し訳ないことをしたと思っていますし、当時のコミュ力欠如を非常に悔やんでもいます。今も大して変わっていませんが。

もっとも、好意を寄せられていると感じたのも、そうやって異性を意識するあまりに変な行動を取ったのも、私の一方的な考えで、別に先方から告白されたとか、バレンタインチョコ貰ったとか一切ないので、上記の全部が勘違いや妄想である可能性も大いにあるわけです。
そういう拗らせ非モテにとって、実に滋味深い一曲です。詞も曲も「14歳の富田靖子が表している少女像」を鋭く描写した、名作です。

ところで「林檎雨」って、初夏の雨のイメージですが、「リンゴ飴」のもじりですよね。今気づきました。

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根拠のない自信

2019-02-03 23:52:50 | Weblog
があると、それを持ち続けると、そして現状を脱却したいと強く思っていると、それが実現する。
というような成功体験をマツコ・デラックス氏が語っていた。
冷静で客観視できてしまうと、逆にそれが良くない。「一言でいうと、狂っているのね」と。

現状について誰よりも冷静で客観的な分析をしているつもりでいる。
そのことが良くないのかもしれない。
そういえば根拠のない自信とまでは言わないが、良策を求めるようなマインドはかつて存在していた。

しかし、あらゆる努力がすべて逆効果だったということを繰り返し刷り込まれた人間は、果たして根拠のない自信を持てるものだろうか?
根拠のある自信ですら砕かれているのに。
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道なき道 或いは隘路

2019-01-03 00:51:26 | Weblog
去年1月2日に書いたブログを見返すと「何もない」と書かれている。
そうは言いながら、どうせ予想の斜め上に悪いことしか起こらないとも思っていて、どこかでその事も書いていたはず。
それはやはり現実になった。自己成就予言じゃないか、そういうことを考えたり書くのは止めるべきではないか。そんな気もするが、かといって現実が予想通りになる以上、それは予想が正しかったということしか意味しない。
未来は変えられる。それは真実だ。変える方法はある。ただし、それが自分の理想とする方向に変えられるかどうかは、また別だ。
例えば、今ここで自分の命を断つことだって、変える方法の一つであり、そして簡易に取りうる方法だ。それが理想か。難しい。
同じように、破滅的な方向に変えるのは比較的容易である。それを望んでいないというのも嘘になるが、望んでいるというのも今は嘘だ。そういう鬱の時期をとうに過ぎている。そこまで余力が残っていないという言い方が正しい。

ここ数年の年末年始はいつもそうだが、大掃除を済ませ、年末の格闘技と紅白を見る。年が明けたら23550655を見て、余裕があればさだを見る。
それを終えて寝て起きたあとは、年末年始の休みが半分終わってしまったことの悲しさしか残っていない。

去年は何があったか。仕事はひどいものだった。4月の異動がひどいものだった。そのせいで色々と酷い目にあった。今でもそれは変わらない。
このような理不尽は許されないと怒っている。珍しく怒っている。ずっとそのまま来ている。
同時に、ある岐路があった。小さな選択肢があった。決めきれずに結局は何もせずに済ませた。あとから振り返ると、あれやこれやのことがあったので、これでよかった、というか、こうしていなかったらもっとひどいことになっていただろうと考えている。何もできなかったが、それが最低最悪でありつつ最善であった。

今年はどんな1年になるかなどということは無駄な考えである。勿論理想はあるし、それを追ってもいるが、そのことに依存することは禁忌だ。人生は裏切りと悲しみの連続で、それが心の余裕も豊かさも奪っていく。そういう人生をしばらく歩んでいて、心は荒みきっていると言っていい。
そういう人間であることを、どうしようもない。破滅的でない方向に変えるのは容易でない。現状はひどいものだ。ひどい。ひどいままである。良い事を書こうが悪い事を書こうが、何が変わるというのか。このひどさが。
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毛孔性苔癬

2018-11-25 23:46:36 | Weblog
って遺伝性だったのね。
知らなかった。

若い頃結構悩んだりしたもの。
不潔にしてるつもりはないのになんでこうなるの?って。

今はそれに悩んでる場合じゃない色々がある。
さてどうやって健康回復するか。

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詰め将棋

2018-10-31 23:15:50 | Weblog
貧食カレーを注文した。

それはいい。
問題は身体だ。

貧血が改善しない。これは結構重大な疾患の疑いが視野に入って来る。
しかし、それを調べるには手術が必要で、たぶん入院検査治療でトータル3、4ヶ月要するのではないか。

今の自分は、そんな長期に休めない環境に追い込まれている。休むと道義的に問題であると同時に、言質を取られる。休まずに悪化すると、今度は人の(建前だけの)忠告を聞かないから」と、揚げ足を取るのだろう。
この間に急速に悪化するようだと、ヤバい。
というところで、分からないが投了の二文字が視界の脇に出て来た気がする。

しかしまだ投了はしていない。していないのだ。今後について自分なりの計画を持っている。
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心が折れた後に折れるものは何か?

2018-10-22 01:48:31 | Weblog
心が折れた件、またヘルペスが悪化した。
悪化するようなことがあった。
およそ考えられる限り最悪のことで、この仕事している以上は絶対に避けるべきだったことだ。

失敗、とは少し違う。組織的には失敗とは捉えられていない。むしろ「やむを得ない」という意見が(建前かもしれないが)ほとんどだ。
しかし、時系列を見れば、真実を迅速に伝えた私の行為が、それまでの箍を外してしまったものと考えざるを得ない。

例えば、私が真実を伝えるのを3ヶ月サボっていれば、この結果は避けられた可能性があると考える。
そうしなかった私のミスだろうか。これは分からない。

これ以来、胃が重い。貧血症状も酷い。なかなか治らない。
仕事を続ける体力はないのかもしれない。既に。それでも仕事には行かなければならない。収入は勿論だが、それに加え道義的理由が大きい。
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心を折る

2018-09-29 11:14:23 | Weblog
と最初に言ったのは神取忍先生であるという。
けだし名言である。

大変なことも多かったが、なんとか乗り切ったと思っていた。
「思っていた」という過去形を使ったのは、実は乗り切れていなかったらしいからだ。
具体的に言うと口唇ヘルペスが発症した。
これは、相当に身体が弱っているサインだ。

乗り切ったつもりが、そうでなかった。
しょげるしかない。いろいろやりたいこともあったが、控えねばと思い始めている。
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