昼行灯(だった)トキの大雑把なひとりごと

クレヨンしんちゃんよりもユルく生きていた(当面過去系)私の備忘録と、大雑把なひとりごと。時々細かく語ることも。

グラスホッパー読了。

2007-07-15 22:41:57 | 読書
 伊坂作品の特徴に「語り手」役の登場人物は、日常よりの、読者の代弁者的な小市民であることが多い、というのがあると思う。
 そして、その小市民ですら、なんらかの心の澱を持っている。それゆえ、危機に陥ったりもする。
 今回もそうだ。語り手である鈴木は、復讐をねらっていた。そして、果たせなかった。
 ラストシーン、私は、語り手がどうなるのか、と、はらはらした。しかし、そうはならなかった。
 ただし、違う苦しみが、今後、彼を襲うであろう。それを予測させるラストである。

 「語り手」の運命は、率直には描かれない。しかし、決して、その悪夢のような状況から逃れ、万々歳、ではない。
 例えば、「ラッシュライフ」の河原崎。彼は多分、あのあと、父の後を追う。無論、犯した罪も大きい。
 「アヒルと鴨のコインロッカー」の椎名。彼もまた、本屋を襲うという犯罪に加担したという事実からは、逃れようも無い。たとえ、舞台である仙台にはもう、戻ってこない、としても。
 鈴木もまた、いずれは電車に飛び込んでしまうのではないか、という、不安定さを抱えることになる。

 逆に、「オーデュボンの祈り」の伊藤は、後の作品に登場することで、ああ、ある種の決着をつけたのだな、と確認することができる。「語り手」の中では、彼がいちばん幸福なのかもしれない。

 ところで、鈴木の妻だが、彼女との出会いの場であるホテルのバイキング、私の妻も同じようなことをよくしていた。
 そして、残りを私が頂くことになる。いまでも、そういうことが時々ある。
 だから何だ。いや、ただ、それだけです。

 
 

 
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