忘れもしない11年前の阪神淡路大震災。
当時、大学生だった自分は大阪に在住していて、その地震を僅かながら体験した。
僅かながらといっても、過去、体験したことのないほどの揺れであったと記憶している。
時期的に大学の後期試験があった時で、前の日の遅くまで、友人と酒を飲みながら、試験勉強をしていたのだが、その友人は夜中に帰ったものだと思い込んで、寝込んでいた。
明け方、あの物凄い揺れを感じて飛び起きたのだが、それ以上に、自分の部屋に自分以外の人間がいるということにビックリした(泥棒か何かと思い込んで・・)ことを記憶している。
その友人は、かなり落ち着いていて、おもむろに、テレビのスイッチを入れ、NHKを見出した。
「かなり揺れたなぁ。」
「やばかったなぁ。どこが震源地やろ。」
と、テレビを見ていると、どうやら兵庫県の辺りらしい。しかし、震度が出ていない。震度3以上はこの辺でも揺れていたように感じたのだが・・。
待てよ。そういえば、神戸には弟が住んでいることを思い出した。勿論、電話をかけても通じない。
実家に連絡を入れたところ、実家の方は大丈夫だったので一安心。しかし、実家にも弟からの連絡はまだなかった。
その後、あの神戸の変わり果てた状況がテレビから流れてきた。
ちょうどその時、弟の住んでいた辺りの高速道路が崩壊している映像が流れた。正直、まさか・・最悪のシナリオも頭をよぎった。
その後、実家から無事だったとの連絡が入って、安堵した。連絡するために2時間もの間、公衆電話に並んでいたそうだ。
勿論、交通機関はマヒ。徒歩とタクシーなどを使って何とか、大阪の方まで出てきて、家まで来ることが出来た。
自分も寝具を買いにいったり、取り合えず、生活できるようにいろいろ買出しに奔走したものである。
弟に聞いたことだが、自分の住んでいたマンションは、新築だったので大丈夫だったが、周りの家はすべてペチャンコに潰れていた、とのことだった。
あれから、11年、あの震災を風化してはならない。しかし、昨年の10年という節目を迎え、今年の慰霊の行事等も縮小傾向にあるという。
あの地震を体験して得た、教訓をいつ起こるかわからない東南海地震、関東地震にどう生かしていくかがこれから自分達に課せられた問題である。
当時、大学生だった自分は大阪に在住していて、その地震を僅かながら体験した。
僅かながらといっても、過去、体験したことのないほどの揺れであったと記憶している。
時期的に大学の後期試験があった時で、前の日の遅くまで、友人と酒を飲みながら、試験勉強をしていたのだが、その友人は夜中に帰ったものだと思い込んで、寝込んでいた。
明け方、あの物凄い揺れを感じて飛び起きたのだが、それ以上に、自分の部屋に自分以外の人間がいるということにビックリした(泥棒か何かと思い込んで・・)ことを記憶している。
その友人は、かなり落ち着いていて、おもむろに、テレビのスイッチを入れ、NHKを見出した。
「かなり揺れたなぁ。」
「やばかったなぁ。どこが震源地やろ。」
と、テレビを見ていると、どうやら兵庫県の辺りらしい。しかし、震度が出ていない。震度3以上はこの辺でも揺れていたように感じたのだが・・。
待てよ。そういえば、神戸には弟が住んでいることを思い出した。勿論、電話をかけても通じない。
実家に連絡を入れたところ、実家の方は大丈夫だったので一安心。しかし、実家にも弟からの連絡はまだなかった。
その後、あの神戸の変わり果てた状況がテレビから流れてきた。
ちょうどその時、弟の住んでいた辺りの高速道路が崩壊している映像が流れた。正直、まさか・・最悪のシナリオも頭をよぎった。
その後、実家から無事だったとの連絡が入って、安堵した。連絡するために2時間もの間、公衆電話に並んでいたそうだ。
勿論、交通機関はマヒ。徒歩とタクシーなどを使って何とか、大阪の方まで出てきて、家まで来ることが出来た。
自分も寝具を買いにいったり、取り合えず、生活できるようにいろいろ買出しに奔走したものである。
弟に聞いたことだが、自分の住んでいたマンションは、新築だったので大丈夫だったが、周りの家はすべてペチャンコに潰れていた、とのことだった。
あれから、11年、あの震災を風化してはならない。しかし、昨年の10年という節目を迎え、今年の慰霊の行事等も縮小傾向にあるという。
あの地震を体験して得た、教訓をいつ起こるかわからない東南海地震、関東地震にどう生かしていくかがこれから自分達に課せられた問題である。
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