シモキタのtokyoboy

下北沢に居を構える初老オジのエクスサイズ、呑み歩き、美術館巡りなどの備忘録生活記録ブログ、含む膝蓋骨骨折リハビリ記録。

江戸の六弁天

2015-10-29 | 七福神シリーズ他

新宿山ノ手七福神巡り、って随分間を開けてですが、をしている最中、

抜弁天訪問時に「江戸 六弁天」なるコンセプト?があることを知りました。

見ると、既訪のところも多そうな…

での総集編:

 

本所一つ目弁天: 江島杉山神社 ~ 両国から芭蕉記念館へ向かって歩いていた際、探したけど発見できず… 

改めて地図チェックすると、その時道路脇の地図で考えたのは逆でしたね、要再チャレ。

 

洲崎弁天: 洲崎神社 (訪問記事はこちら

 

滝野川/松崎弁天 ~ 現存していない、とのことですが、

(北区HP: 松橋弁天というのは、この寺院(金剛寺)の西側、崖下にある洞窟(現在は石神井川護岸の裏側になっています)に祀られていた弁財天のことで、岩屋弁天とも呼ばれていました。江戸時代、かなり広く知られていたようで、現在も区内に何ヶ所か、その名を彫った道標が残っています。)

(金剛寺への訪問記録 こちら それによると、この弁天堂は頼朝の寄進だそうな…)

 

冬木弁天堂  ~ 富岡八幡宮の北隣、お詣りしている筈→ちょっと外れているのでネグったみたいです^^;いずれ深川七福神は制覇しますメメ

 

弁天堂: 上野寛永寺 (訪問記事はこちら

 

抜弁天: 厳島神社 (訪問記事はこちら)

 

とまあ、六弁天を知って、サッとその付近を思い付くところがtokyoboyの由縁でございましょう…

← 自画自賛^^;

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新宿山ノ手七福神

2015-10-21 | 七福神シリーズ他

今回の「七福神」シリーズでまとめてのご紹介は「新宿山ノ手七福神」。

本ブログでは「山手七福神」を既にリポートしていますが、

あちらは白金~目黒、こちらは神楽坂/牛込~新宿/大久保となります。

本記事のためネットで調べた限りでは、大正~昭和初期に設定されたもののようです:


毘沙門天: 鎮護山善国寺 (訪問記事はこちら。毘沙門天の記述無し)

大黒天: 大乗山経王寺 (訪問記事はこちら

辨財天: 抜弁天/厳嶋神社 (訪問記事はこちら

福禄寿: 大久保山永福寺 (訪問記事はこちら

寿老人: 春時山法善寺 (訪問記事はこちら

布袋和尚: 霞関山太宗寺 (訪問記事はこちら。布袋様に気が付かず)

恵比寿神: 稲荷鬼王神社 (訪問記事はこちら

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

法善寺: 新宿山ノ手七福神寿老人

2015-10-18 | 七福神シリーズ他

今回余丁町から新宿6~7丁目に掛けての七福神を訪ねて訪問のお寺は、

何やら余所に有名なそれがある寺名。

こちらは新宿6丁目というか、旧東大久保村ですかね。

 

日蓮宗寺院の法善寺は、春時山と号し、日相上人(貞享4年寂)が創建しました。境内に安置してある七面明神は、池上本門寺に帰依していた鳥取城主池田家四代綱清から献上されたもので、法華宗独特の七面信仰江戸進出の最初のものです。


が由来。

 

 

こちらの山門は行き止まりの道、少し入ったところにありますが、

その手前の道は如何にも”古道”の趣き、抜弁天から御苑方向への道でありましょう、商店街にもなっていました。

そこから西に入って西向天神の境内を抜け、

新宿文化センターから歌舞伎町に入り込んで帰路につきました。

 

さて、こちらの寿老人さんは本堂右側の建物にいらっしゃるのですが、

この日は敢えて拝観をお願いしませんでした。

お正月時期が良いタイミングなのでしょう。

最後にご紹介が上述の「七面明神堂」。

七面明神とは日蓮宗の守護神の一つであり、七面天女、七面大菩薩ともいう。
「七面大明神縁起」によれば、13世紀末の建治年間、身延山中の日蓮上人の庵室に秀麗な婦人が法話を聴きに来たのでたずねると、自分は七面山の天女で、上人の説法を聴いて悪道の苦しみから逃れることができたことを告げ、未来永劫にわたり身延山を守ることを誓って立ち去ったという。


だそうで、この像は、

中正院日護上人(1580-1649)の作と伝えられる像高約30cmの木彫立像で、唐風の衣装をまとい宝冠をかぶり、左手に如意宝珠、右手に鍵を持つ。華麗な彩色と、精緻な彫法による江戸時代の典型的な七面明神像であり、「七面様」と呼ばれ親しまれている。


とのこと。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大久保山永福寺: 新宿山ノ手七福神福禄寿

2015-10-14 | 七福神シリーズ他

永福寺だと…

で、山号を付けてみました^^;

大久保通り、抜弁天の角付近左側(北側)がロケーション。

冒頭はその境内、大久保通り側に鎮座の福禄寿さんです。

 

 

 

 

 

 

さて、こちら永福寺さんは曹洞宗、縁起は:

僧尊悦(慶長15年寂)が開基となり慶安元年(1648)創建しました。もと牛込万昌院末。

とのこと。

本堂に向かっての広さはそれ程でなく、でも表通りの音から離れた感がありました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

抜弁天 / 厳嶋神社: 新宿山ノ手七福神弁財天

2015-10-12 | 七福神シリーズ他

職安通りを明治通り越えて、余丁町に入る三角交差点にあるこちら。

写真はアップにしていますが、実は敷地はミニマム、都市型神社。

 

抜弁天厳島神社は、応徳3年(1086)鎮守府将軍源義家が奥州征伐の帰途に創建したと伝えられます。

が由縁で、

祭神は「市杵嶋姫命(イチキシマヒメ)」、宗像大社中津宮に祀られる方、

仏教の弁財天と習合して今に至るようです。

「抜」は境内を南北に”抜けられる”から、とありますが、本当でしょうか…??

 

 

最初の写真に見えるように、確かにこの参道、向こう側の道路に抜けられます。

その参道、右側に弁天堂が。

「江戸の六弁天」にも数えられるのだとか。

********************

(付録: 西向天神社)

 

普段は無人の様で、朱印状などお正月を除くとこちら「西向天神社」へ、とのこと。

この西向天神社、実は富士講/富士山を拝見しに以前伺っています。

その時は車でアプローチとか全然違いました。

とはいえ、今回も発見適わず、前回同様(記事はこちら)です…


今回は裏手から入って、

その時車を停めた鳥居のところまで降りる動線。

この下の鳥居から右の方、上が駐車場になっている辺りが富士登山道に、やはり見えるんですがねえ??

*********************


(付録2 鬼王神社恵比寿神)


べったら漬けで知られるお祭は直ぐ!

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

経王寺/新宿山ノ手七福神 大黒天 (牛込)

2015-09-28 | 七福神シリーズ他

大久保通り、牛込柳町交差点から大久保方向程近いところで”発見”のこちら。

山手七福神、というとシノギの近く、白金から目黒に掛けて、と思うのですが、

こちらはそこに新宿、が付きます。

 

昭和九年大久保の人中村正策の発案とも、又大正年中布袋屋呉服店(いせ丹)人形研究家有坂与太郎の発案ともいう。福禄寿は、元は鈴木豊香園。(江戸東京札所事典より)


だそうで、まあ最近確立した七福神、寺院・神社混交のものですね。


 

 

経王寺は、尊重院日静大徳が慶長3年(1598)市ヶ谷田町に創建したといいます。外濠造成に伴い川田久保(当地周辺)へ移転、天和3年(1683)当地へ移転したといいます。当寺の大黒天像は、日蓮宗中老日法の作で、日静上人が身延山久遠寺より持ち出したものといい、度重なる火事にも焼け残ったことから「火伏の大黒天」として崇敬を集め、


が由来のようです。

 

大久保通り沿い、一段高いところはアースダイバー。

この一連の写真は大黒天様の前の様子なんですが、

コンパクトにまとまった、お寺でありました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

専念寺: 東都六地蔵第二番 (千駄木/団子坂上)

2015-04-20 | 七福神シリーズ他

さて、東都六地蔵については今年1月24日の本ブログで紹介したところですが、

現存する2体のうち、第三番については既訪

残る第二番を拝見しに千駄木1-22-24へ伺いました。

千駄木駅から団子坂を上って、坂上交差点を過ぎてから左に入る、がロケーション。

 

東京名所図会」によると、

 

専念寺は同町(本郷千駄木町)八番地に在り。浄土宗にして一心山と號し。正覺院と稱す。京都知恩院の末なり。創立の年月は詳ならざれども。石像に徴するに正保年間ならむ。開山は念蓮社専譽上人心阿無的大和尚とす。


だそうですから、浄土宗で寛永年間後の1645~48年の間位に創建された、となりますね。

 

 

で、実際にお邪魔してみると、

団子坂から冒頭の写真の側面が路地の端に見えて、

お寺と言うべき建物は無い。

ご住職はこのお宅にお住まいなのでしょう、「専念精舎」と表札にあります。

不思議な光景でした…

 



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

浄光寺: 東都六地蔵第三番  (西日暮里/諏訪台)

2015-02-04 | 七福神シリーズ他

さて、今回は表と裏、

両方向からお地蔵様を直撃取材!!

 

こちらは浄光寺さん、住所的には西日暮里。

もう少し谷中商店街に近い、と思っていたんですが、実際にはそこから4つ並ぶお寺さんの一番最後でありました。

 

ということで、諏方神社の鳥居横、というロケーション。

下の由緒をご覧になれば分かるように、その諏方神社の別当だったそうです。

 

 

 

 

さて、この日少し遠回りになること承知で、

実は自分の氏神様だった神社の近辺までわざわざ訪問したのは、

こちらに「東都六地蔵」で現存する2体の内、1つがいらっしゃると最近知ったから。

(東都六地蔵についてはこちら

 

このお寺の由来は:

 

真言宗豊山派寺院の浄光寺は、法輪山法幢院と号します。境内からの雪見が有名となって雪見寺と呼ばれました。境内左手には元禄4年(1691)に空無上人が勧請した地蔵菩薩像、文化6年(1809)に再建した地蔵菩薩立像があります。


この中にあるお地蔵様2体が写真にみられるものですね。

創建年代は不明だそうですが、諏方神社が1202年創建の別当ですから、少なくとも近い年代となるのだと思われます。


tokyoboy的定義?では東京洪積世台地のフロンティアにあるこちら、

江戸時代にはその筑波山にまで及んだであろう景色に「雪見寺」と別称されたそうですが、

その絶景はこの地に生まれた人間として想像できます。

これまで存じ上げず、失礼いたしました…

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

都歳時記による江戸六地蔵: 東都六地蔵

2015-01-24 | 七福神シリーズ他

 以前、江戸六地蔵については記事を物していますが、

2015新年、谷中七福神詣でをしている道中で、もう1つ「江戸六地蔵」があるのでは、という疑問に???

 

天保9年(1837)刊の東都歳時記によると、江戸六地蔵は、銅造泥塑の仏像造りに秀でた下谷心行寺(現府中市)二世空無上人の権化によって元禄4年(1691)に開眼したものと記載されています。


とのことで、一般に知られる「江戸六地蔵」(紹介記事総集編はこちら。ここから各お寺訪問記にリンクしています。)が京都のそれとの対比で、江戸に入る主要街道沿いに置かれたのに対し、

こちらは特定される銅像名人が造ったもの、ということになります。

 

東都歳時記記載場所 現住所 備考
駒込瑞泰寺 文京区向丘2-36-1 現存せず。石造を代仏
千駄木専念寺 文京区千駄木1-22 現存
新堀浄光寺 荒川区西日暮里3-4-3 現存
下谷心行寺 府中市紅葉丘2-32-14 現存せず
福聚院 台東区上野公園16-13 現存せず
浅草寺正智院 台東区浅草2-31-3 現存せず

が、このHPのコピペ。

いつもお世話になっております…

 

今後の訪問に向けた備忘録まで。

浄光寺三への訪問記はこちら:

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東覚寺 + 谷中七福神福禄寿 (田端)

2015-01-15 | 七福神シリーズ他

凄い人出でしょ!

こちらは田端、駅から程近い東覚寺さん。

以前、隣接する田端富士を含む、田端神社に訪問したことがある(記事はこちら)のですが、

当時はエリアの再開発、

寺院前の道路拡幅工事など、荒涼としている、という感すら持つ状況。

 

2015松の内に訪問したこの日、

すっかり落ち着いて、

谷中七福神詣ででしょう、参拝客で賑わっていました。

 

ここまでの道中を振り返ると、

田端駅改札のところからバナーが掛けられ、

人気と駅員さんたちの稼働低減(道を尋ねられる)が図られていました。

そこから門前となる訳ですが、

先の自分の記事を読むと、道路拡幅で本堂そのものが移動した可能性を語っていますねえ…

 

真言宗豊山派寺院の東覚寺は、白龍山寿命院と号し、延徳3年(1491)源雅和尚が神田筋違に創建、根岸への移転を経て、慶長年間に当地へ移転したと伝えられます。江戸時代には、7石の朱印地を拝領した御朱印寺でした。


が由緒。

随分と境内は小さくなったのでしょうが、

ご本尊、不動明王と共に、今に至っています。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする