シモキタのtokyoboy

下北沢に居を構える初老オジのエクスサイズ、呑み歩き、美術館巡りなどの備忘録生活記録ブログ、含む膝蓋骨骨折リハビリ記録。

京都で食べた、呑んだ、歩いた

2015-04-27 | 2015春奈良京都

今回の奈良・京都小旅行、最後の紹介は東京へ戻る前、半日過ごした京都での”その他活動”アーカイブ。

まあ、殆どが食べた、呑んだ、という記録ですが、一部はお土産として東京で頂いたものも含まれています。

 

1. 「イーサン」さん (今出川)

 

京都御所一般開放に向かう途中で腹ごしらえ。

動線から地下鉄烏丸線今出川駅下車が便利だったのですが、奈良からのJR奈良線でスマホを駆使?結局京都でタイ料理、となってお邪魔したこちら。

同志社の道向かいでもありますので、指導教官と生徒、とか外国人、色んな方々が食事を楽しんでいるところへの参入^^;

イーサンと聞けばタイ東北部、

お願いしたのは「カオソイ」、単品で840円也。

 

ふむ、揚げた麺が大量だし、何より横のお皿に乗ったトッピングは初めての経験。

辣油(多分)を少しづつ試し始め、

高菜の漬物その他、結局ためらわずに全投入。

うん、美味しいです!

 

ここから東に少し行けば百万遍、京都大学のテリトリー。

京都は東京と並ぶ国際都市ですよね、美味しかったですよ、ご馳走様。

 

2. 「ひさご寿司」さん (四条河原)

 

今回の奈良・京都への小旅行、買って帰りたいものの筆頭が鯖寿司。

色々チェック、中国でお酒を呑んだくれていた?方のブログで四条祇園の「いづ重」さんを候補に挙げていたんですが、結局軽く一杯に3.のお店を選んだこともこれあり、その近くにあると思われたこちらに寄ってみました。

店構えは京都風とでもいうのでしょうか、間口は大変狭いです!

 

 

京阪三条から三条河原で左折、降りて行ってのですが、殆ど四条との交差点近くでしたね。

お願いしたのは鯖寿司、2,160円也。

恐らく京都スタンダードで言う”半分”だと思われます。

写真3~4枚目は同封されていた「今日いろは歌」だったかな、のちらし。

 

東京へ戻っての翌日頂いたのですが、冷蔵庫に入れたからかなあ、鯖の厚みがネットで見たそれよりは薄い気が。

でも、酢の効き方その他なかなか上品で、美味しかったですよ、ご馳走様。

 

3. 「たつみ」さん (四条河原)

 

時間的には大好きな二条川端「赤垣屋」さんのシャッター?に間に合うところだったのですが、それなら早くから呑んでしまえ、と以前からマークのこちらに伺うこととしました。

ふむ、四条河原町の交差点から本当にちょっと入ったところなんですねえ…

写真のファサードは、門前仲町、辰巳新道にある「ゆうちゃん」(この記事、下の方でブルーシートが掛かっているお店)を思い出しちゃったのは内緒の話ですが、もうここまで来ると引けませんメメ

 

で、入店。17時前というのに奥のテーブル、今空いたところ、に滑り込みます!

何処に人気の秘密が、と探りつつ?滞在したのですが、恐らく一番の理由は店員さんたちの反応ですな。

気さく、かつ京都弁でやんわり捌くフロアマネージャークラス(ご主人かな?)に、若い方々がキビキビと。

生ビールから黄桜、と進み、お願いしたおつまみの幾つかは写真の通りなんですが、

このお店、一向に空いたお皿とかグラスとか片付けない…

 

不思議だなあ、と思って改めて店内見回すと、

”お1人様、お酒は3杯まで”と張り紙がありました。

赤羽、川魚料理の名店「まるます家」さんと同じ仕掛け、ながっちりを嫌い、酔っ払いを作らない…

片付けないのは証拠隠滅しない、という意思表示なのでしょう^^;

 あ、やっぱり回転命のお店なのね、とキリのいいところ1時間足らずでお勘定お願いしました。

 

何ら特筆すべきところはありませんし、実はお値段もそんなに安くはない、と思います。

突出しとか押しつけが無いのは良いですが、食べログの価格帯は絶対無理。

でも結構快適な時間だったのは内緒でも何でも無い話。

************************

 

(アーカイブ)

 

「ブラタモリ」でみた錦天満宮さんと、その鳥居が左右のビルに突き刺さっているところを目撃してしまいました…

撫で回され続けた牛さんに、からくり仕掛けのおみくじマシン!

実物見ると、かなりの面白さ!

 

この後、錦市場を烏丸まで歩き、地下鉄で京都駅から新幹線で東京に戻りましたとさ。

 

これにて、今回の旅行編、終了です。

 

 

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京都、鴨川/高瀬川の桜 2015

2015-04-26 | 2015春奈良京都

いやー、京都にやってきた、とtokyoboy的には一番思うシーンです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まあ、四条でも良いのですが、ここ三条大橋から鴨川の流れを見る…

そして、この時は未だ名残の桜が綺麗でしたから、川面を流れる風が最高でした。

*********************

 

そして、お土産物屋さんとか見ながら三条を河原町の方に歩けば、

高瀬川!

規模感は一気に小さくなりますが、風情その他、最高でありますなあ

 

 

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醍醐寺

2015-04-25 | 2015春奈良京都

「醍醐の花見」…

言わずと知れた秀吉の、でありますが、今回その時期での奈良訪問ということで、帰路京都で途中下車は”確信犯”^^;

そして、こちらに向かいました

 

事前に開花情報などチェックすると、こちらの”花”は枝垂れかな?

ということは微妙にソメイヨシノより早いのですが、霧雨の振る中到着しました。

 

この一列、冒頭は国宝の門、豊臣家の紋所が鮮やかなんですが、

造られたのが1599年、とかなり微妙な時期だったのが面白かったです…

醍醐寺を三か所に分けて、それぞれに入場料600円は”豪気”な仕掛け。

三か所共通券1,500円もあざとく、この辺から若干萎える気持ちも。

まあ、ここはやはり金堂、観音堂辺りを拝見するんでしょ。

 

真っ直ぐ山門まで行って、中に入れて頂きます。

ふむ、秀吉の花見に招待されたような幕は風流と見ると、邪魔と見るか…

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして足元の悪いクランク状になった道を進んでいくと、金堂も見えてくるのですが、それより右側の様子が気になります。

「清瀧宮本殿」という建物だそうですが、その前の枝垂れ桜!

写真でご覧のようにすでに9分方散ってはいるのですが、それでもその存在感はとんでもない!

満開のタイミングはなかなか計れない、今年は早かった、とは駅への帰途道を尋ねた時に話して下さった地元の方。

ネット上ではこの前日に満開と出ていたよなあ、は訪問客の繰り言。

その絶妙のタイミングだったらどんなに綺麗だったろう、はこの日でも実感できました。

 

そこから古い古い、五重塔へ向かいます。

 

醍醐天皇のご冥福を祈るために、第一皇子・朱雀天皇が承平6年(936)に着工し、第二皇子・村上天皇の天暦5年(951)に完成しました。初層の内部には両界曼荼羅や真言八祖が描かれており、日本密教絵画の源流をなすものといわれています。高さは約38メートルで屋根の上の相輪は約13メートルあり、相輪が塔の三分の一を占め、安定感を与えています。京都府下で最も古い木造建築物となっています。


とは大した存在感。何でも古い、と思いがちなんですが、951年で木造最古、なんですねえ…


そこから、更に金堂を気にせず山の上へ進みました。


祖師堂、弁天堂、借景に使ったのは今では茶店?


そこから戻って、ご朱印も頂いたのは観音堂。

ここで降る雨はピークに



最後に、

金堂の手前、不動堂もさりげなくチェック。

でも雨が強くなって、この辺から気持ちは帰途へ^^;

 

これが金堂。

観音堂でそのご朱印を頂いたご本尊、薬師如来像がいらっしゃいました。

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京都御所 一般公開 2015

2015-04-24 | 2015春奈良京都

今回の奈良・京都小旅行で色々動線を考えている最中、

多分新聞の折り込みか紙上でのツアー広告で、京都通過時に京都御所が一般公開している、と知りました。

こ、これは…

 

 

 

 

 

 

ということでの御所到着、初めて門内に入ります。

写真は撮り過ぎるほど、だったのですが、もう大変なことになるので整理しつつ、

当日のルートを再確認しながらご案内致します。

 

冒頭写真は”当然に”紫宸殿”。

帝座をアップしてみました…

そして、この日入場は宜秋門で、その前でセキュリティ・チェックを受けますが、大事なことです。

 

そして、以前使っていた車寄せ、狩野派の絵を向こうに見ながら、

諸大夫の間、新御車寄せ、と進みます。

 

 

そこから南側、建礼門の前を進んで、日華門からようやく紫宸殿前庭へと入ります。

 

 

 

如何ですか、「左近の桜」、「右近の橘」を含めて、その世界を拝見出来る…

それにしても、何時でもではなく、桜が未だ咲いている時点での訪問は極めてラッキーでした

 

 

ここから紫宸殿左側を抜けて、天皇の日常生活エリアだと思うのですが、左に清涼殿。

 

この空間を楽しみ、東側、回廊を抜けて御池庭、春興殿、と正しき日本庭園を愛で、

 

 

 

御学問所、

 

 

 

そして普段の生活をしていたと思われる御常御殿。

 

 

 

 

それぞれ襖には立派な絵が描かれているんどエスが、これを1対1で作者、作品名を挙げるのは今となっては不可能^^;

 

 

 

そして、出口の清所門まで広がるお庭、名残の桜など楽しみつつ御所内ウォーキング終了しました。

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法華寺

2015-04-23 | 2015春奈良京都

創建当初から、(天平時代から)千二百五十年以上続くお寺です。

光明皇后様は、藤原不比等(ふじわらのふひと)公没後、不比等公の屋敷を皇后宮とし、その後、総国分尼寺 法華滅罪之寺とされました。その後、略称として法華寺と呼ばれるようになります。

東大寺が総国分寺、法華寺が総国分尼寺となされ、『続日本記』には、光明皇后様の勧めによると記されています。

 

がこちらの由来。

宿泊したホテルがこの南側近くとあって、訪問を決めたのは自然な話。

この日は当初予定ルートの逆回り、平城京跡から回ったのですが、このお寺を含む集落に達するまで、まあ単調な空き地をずっと歩いたことか…

 

 

事前にHPをチェック、興味深いのは、こちら「浴室(からふろ)」。

光明皇后が病気の人等の、千人の人に沐浴(もくよく)の功徳(くどく)を積み困窮者(こんきゅうしゃ)を救ったといわれる。蒸気導入方式(じょうきどうにゅうほうしき)の珍しい蒸風呂(むしふろ)。
現在の建物は明和3年(1766)の再建。外観のみ公開。

だそうな。

だったのですが、この訪問日はご本尊、国宝の十一面菩薩像の特別公開日。


そういう特別な日は普段の日本庭園含めて700円の拝観料が二択になって、本堂のみか庭園含むかで結構なお値段になる…

時間もなかったので、本堂、国宝のご本尊以下のみの拝観を選択。

それなりに興味深かったのですが、見るべきものを拝見出来なかった、そんな仏の慈悲の無さを感じた訪問となりました…

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平城京跡

2015-04-22 | 2015春奈良京都

5年前、センセーショナル?な「せんとくん」と共に1300周年を迎えた平城京。

その時、大極殿が復元され話題となりましたが、さてその今の様子は??

 

ということで、今回の奈良行きの間にこちら平城京跡への訪問は外せないでしょ、と考え、

近鉄西大寺駅から東に向かってとことこ歩き、

ようやくその広大な敷地跡に入って、季節の桜越しに見えた大極殿、の図。

ここまでが色味のある写真…

 

 

 

とまあ、平城京跡の中心から朱雀門と大極殿を見ると、こんな感じなんですよ!!

兎に角広い、っというか、「ならまち」のパンフで”平安京遷都後寂れた平城京”というフレーズは読みましたが、本当に何にもないまま今日に至っているようです!!

朱雀門の前に通り過ぎる近鉄電車を見たり、これは予想外。

 

雨が降り始めた中、大極殿に近付きます。

"中、入れないのかなあ?”という家人の質問に、

”5年前に建てたこの中に何があるの?”と私。

まあ、ここは…

無いね

 

 

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西大寺

2015-04-21 | 2015春奈良京都

東大寺があれば「西大寺」があるのは道理ではあるのですが…

この日、唐招提寺/薬師寺と西ノ京を歩き、平城京跡に向かおうと近鉄西大寺駅で降り立ち、

そこから100mのところにこちらがあると知りました。

 

765年、称徳天皇が鎮護国家と平和祈願のため7尺の金銅四天王の造立を発願されたのが、当寺のはじまりである。南都七大寺の一つに数えられ、当初は、110もの堂宇が立ち並ぶほど栄えた。平安時代に火災などによって一時衰退したが、1235年、叡尊上人が当寺に入寺して再興し、密・律兼修の根本道場として発展した。現在の堂宇は1502年の火災で焼失したのちに、江戸時代に再建されたものである。


とは同寺HPの語るところ。

写真で「四王金堂」と読めるそれの由来も明白ですな。

 

じっくり歩いた訳ではないのですが、境内はそんなに広くない様子です。

ここが駅から道を入ったところにある寺の角、

そこから左手の道を行くと、小さな山門。

 

そこを入って、右側に池があって、お寺の前衛ということか「玄武」と記され、

そして右手に最初の金堂、

後から示す五重塔跡の先の方に僧坊だったんだろうなあ、と思われる建物が見えます

→ 本堂が桜の向こうのそれでした^^;

 

最後のご紹介は金堂と、その前にある五重塔跡。

 これは東塔跡、創建時のものは平安時代に焼失、その後…

藤原後期に再建されたが、これも室町時代文亀2年(1502)に焼失した。壇下の八角の小石列は、先年発掘調査によって確認された、創建期に計画され途中変更された八角七重塔の基壇の規模を示す。

とのことです。

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薬師寺 Part2: 白鳳伽藍

2015-04-20 | 2015春奈良京都

薬師如来に日光、月光…

 

このご本尊3体は以前トーハクでお会いしたことがあると思うのですが、

それでも西ノ京まで足を延ばしたら薬師寺さんへの訪問はmustです。

 

 

 

 

 

 

先ずは北側、本来は寺裏手なんですかね、から入場、

東僧坊、現在修復中の東塔を目にしつつ、

大講堂、金堂、それぞれへの入場は本来のルートであろう南側からだ、と認識。

 

 先ずは外観を拝見しつつ南門の方まで一旦行くことにしました。

金堂と五重塔(西塔)、

境内の桜にも参加いただきこんな感じで進みます。

 

 

この2枚が中門、最後が大講堂。

冒頭にお名前を挙げた、こちらのご本尊、薬師如来像、日光、月光像などは当然に撮影禁止ですので、その辺は同寺HPで、かな。

 

 

最後に、拝観料と引き換え?に頂いたマップをご参考まで。

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薬師寺 Part1: 「玄奘三蔵院伽藍」と「大唐西域壁画殿」

2015-04-19 | 2015春奈良京都

金堂以下の主要な伽藍が立ち並ぶ一角の北側、

路を隔ててあるのがこちら、「玄奘三蔵院伽藍」と、その周辺を取り巻く回廊の一部「大唐西域壁画殿」。

 

薬師寺と興福寺が法相(ほっそう)宗の大本山で、玄奘三蔵は法相宗の始祖に当たります。昭和17年(1942)に南京に駐屯していた日本軍が土中から玄奘三蔵のご頂骨を発見しました。その一部が昭和19年(1944)に全日本仏教会にも分骨されましたが、戦時中でもあり、埼玉県岩槻市の慈恩寺に奉安され、その後ご頂骨を祀る石塔が建てられました。薬師寺も玄奘三蔵と深いご縁のある事から、遺徳を顕彰するため全日本仏教会より昭和56年(1981)にご分骨を拝受し、平成3年(1991)玄奘三蔵院伽藍を建立しました。


がこちらの由来。

 

訪問の日は唐招提寺から歩いてきたので、当然に北側にあるこの伽藍って何だろう?と疑問を持ち、

だって、その先に五重塔とか見える訳ですからね…

それで塀の切れたところでそちらに向かい、

”平山郁夫画伯の大唐西域壁画公開中”という文字を観たら、それは行かざるを得ません

 

伽藍と三蔵法師の像を拝見した後、回廊に回って平山さんの壁画と対面します。

 

 

 

いいなあ、やっぱり!

実際にはこの壁画が一度だけお外に出た2011年2月、トーハクで拝見(訪問記事はこちら)しています。

その時も素晴らしい、と思いましたが三蔵法師の像を祭るお堂の近く、正にシルクロードの東側終点、奈良の地で拝見するのは格別ですなあ…

仏教伝来と見ると方向逆じゃん、と思ったのですが、三蔵法師目線?ですと正しい向き。

中央部、須弥山、ヒマラヤの景色が凄まじいのは平山さんの筆に拠る訳ですが、

東京の際同様、この素晴らしさの説明に余り言葉は要らない、との感想を抱きました。

是非とも年4回の公開時期をチェックの上、行かれてみて下さい。

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唐招提寺

2015-04-18 | 2015春奈良京都

飯田橋と言うか、江戸川橋と言うか、

凸版印刷本社ビル内の印刷博物館、VRで2回ほど”全容”を拝見している修復なった唐招提寺金堂。

 

その作業中に分かった屋根の木組みは元通り組み立てられ、屋根の上に置かれた鴟尾は新たに制作され、

鑑真和上が苦難の末来日された759年創建のころの姿を今に伝えながら、

10年掛かって十分な補強が出来たことは素晴らしい事業。




山門を抜けて、正面に上の金堂と正対する。

そして、その前は、朝一番先行する中国人女性2人組の後、という恵まれたポジションもあったのでしょうが、綺麗に掃き清められた玉砂利は本当に清々しくも厳かな雰囲気を醸し出し、

これ、今回の旅行で”超有名”寺院を回っていますが、こちらが一番。

 

上述を金堂側から見返した図、

そして礼堂、講堂など金堂を囲む伽藍。

真ん中は鼓楼かな?

この辺も天平時代を伝えます。

 

金堂ではご本尊、盧舎那仏や薬師如来、千手観音などの国宝を拝見。

裏手の講堂は博物館的役割を今果たしており、

本堂再建で分かった木造木組みの様子や屋上に乗った鴟尾(4体同時に作られたものの1つ)が拝見出来ます。

 

そして印刷博物館VRのように、奥の方にある御影堂、鑑真和上の像、そして東山魁夷さんの壁画が安置された場所、を目指すのですが、こちらは年1回、6月5~7日、開山忌3日間のみの公開とか。

その代り?、ですが、手前の左側写真「開山堂」で和上の”身代わり像”と対面させて頂きます。

 

そこから如何にも校倉造の宝蔵、経蔵、と拝見。

 

 

 

金堂のところに戻って、講堂内で係の方から伺った軒を支える三手先や、鐘、邪鬼など撮ったのですが、分からないかな…??

 

 

 

最後に、正面向かって右手、戒壇に向かいます。

その手前、お堀状のそこにはこれから楽しみな菖蒲などが青々と、

最後の写真は江戸初期の話。

日光東照宮と同じ彫り物が載せられ、葵の御紋なども見られるのですが、伺った詳細は失念しました…

戒壇はストゥーパに見えました。

 

 

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