大正12年創立、と神代の昔からの伊勢神宮の中で極めて新しい別宮…
倭姫命は、第11代垂仁天皇の皇女です。第10代崇神(すじん)天皇の皇女豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)の後を継いで「御杖代(みつえしろ)」として皇大御神(すめおおみかみ)に奉仕され、皇大御神を戴いて大和国をお発ちになり、伊賀・近江・美濃等の諸国を経て伊勢の国に入られて、ご神慮によって現在の地に万代不易の皇大神宮をご創建されました。
「御杖代」とは皇大御神の御杖となって、ご神慮を体して仕えられるお方の意です。
倭姫命から後、代々の天皇は未婚の皇女を伊勢に遣わして皇大御神に奉仕させられましたが、このお方を斎王(いつきのみこ)と申し上げます。
倭姫命は皇大神宮ご鎮座ののち、神嘗祭をはじめとする年中の祭りを定め、神田並びに各種ご料品を奉る神領を選定し、禰宜(ねぎ)、大物忌(おおものいみ)以下の奉仕者の職掌を定め、斎戒(さいかい)や祓(はらえ)の法を示し、神宮所属の宮社を定められるなど、神宮の祭祀と経営の規模を確立されました。
という功績を受けて、当時の宇治山田市と神宮庁の請願に依るものだそうです
アプローチが長く、深遠な森の中、といったロケーション。
なかなか、でありました
旅行の楽しみの1つは”食”であることは間違いないところですが、それが良港に恵まれた伊勢ともなれば色々試してみたいところ…
メインの夕食時は別掲として、こんなもん食べた、の備忘録;
1. JR参宮線内駅弁
「名古屋コーチン飯」とかいう代物でした
兎に角炊き込みご飯を鶏の付け焼きの切れっ端でいただくというコンセプト…
まあね、夕食早い予定だったし
2. 伊勢うどん
それを夜の〆で頂いた翌日、内宮お参りの後「おはらい町」、「おかげ横丁」と歩くとまあ大変な人出…^^;
行列が出来ているお店に並んでまで、と思いつつ足を進め…
朝食のホテルビュッフェもしっかり食べちゃったし、で結局選んだのが伊勢うどん
卵をのっけた並で450円だったかな、入口「かわあげ君」を買おうと列が出来る「酉一」さんで頂きました
まあ、名物に…ではありますが宜しかったか、と
3. 大あさりと牡蠣の焼き物
この遷宮に合わせてでしょう、随分と新しいお店が出来た参道の中…
「鈴木水産 外宮参道店」さんは、入口付近に地元名産品も展示販売するアンテナショップ的お店
列車(JR参宮線はディーゼルの”汽車”です)待ちの時間を活かしてちょいとお邪魔してみました、の図。
食券を買って、焼き上がるのを待つスタイルは気が置けなくてちょっとの時間潰しには好都合
地酒もカップで頂いて、美味しゅうございました
皇大神宮、第一の別宮。正殿へのお参りが終わって、ぐるっと回ってのところで、こちらへの参拝に長蛇の列が出来ていました…
時にのぞんで、格別に顕著なご神威をあらわされる御魂のおはたらきを、「荒御魂」とたたえます。
とは伊勢神宮HPの記述ですが、どうやら伊勢神宮の”システム”的には、それぞれメインの神様?の荒御魂を恐らく畏れつつ祀る”荒御魂”別宮を建立するのを常としているようです。
豊受神の場合は多賀宮、月読神には月読荒御魂宮がそれぞれ置かれています
そういう背景を全く知らなかったtokyoboyはその行列を横目に逆方向から神殿前には立たなかったものの拝礼致しました。
だから、祀られている神様が正殿同様、天照の大御神だったのか、とその訳を得心した次第
さて、このサービスカット、これだけだと分からないですよね^^;
実はJR東日本新宿本社前、年末も押し詰まった時のもの
え、何が、ですか?
例年ならここにSUICAペンギンたちのクリスマスイルミネーションがある筈なんです
何か大人の事情なのか、残念です
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お分かりでしょうか、箱根駅伝5区、入り掛け、これから山登り、の選手です。
彼は相当後方の位置でしたが、でも早いっす
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さて、年明け元旦は、お屠蘇を朝頂いて、その後散歩に出たものの、午後は完全休養とヘタリました
翌2日は写真の通り、で結局終日渋滞の中車を走らせた?ということで
その反動?、3日は朝代田から梅ヶ丘に掛けて、初詣を兼ねた散歩でスタート
午後は上野の山から西日暮里へと美術館巡りから初詣。
それにしても朝からの有楽町線路脇での火事の影響をこちらも微々たるものながら受けました
4日は…もう普通の土曜日でしょうか?
朝渋谷まで散歩で買い物。
午後は六本木で美術館巡りの後、渋谷まで歩いての帰路に
最終日5日朝、ようやく開館したジムで筋トレその他
午後は代々木から原宿、渋谷と美術館訪問を挟みつつの散歩♪ それにしても、代々木八幡境内にある出世神社の参拝客の多かったこと…
日本国総鎮守
八百万の神の頂点に君臨、
ご神体は「八咫の鏡」、三種の神器の1つ…
まあ、これ以上言葉を重ねる必要は無い訳ですが、今回は遷宮というタイミングで訪問させて頂いたのでそのことに言及すると~~
個人的には今回廃される神殿には初めてお参りしました。
前回訪問は1つ前の遷宮より前
外宮では比較的オープンに拝見出来たそれは、ここでは高い塀に囲われたままでおわしました
その正殿の背後を回って入口に戻るのが今回の拝礼コース
以前はこうではなかったですね、ですから別宮とか気に止まらなかったんだと思います…
最後は、新旧大神宮の境界線…
段差はありますが、基本的にコピー、って分かります
いずれ、日本人にとって精神的文化的バックボーンとしての居住まいを強く意識させられる場所でありました
おはらい町かおかげ横丁で昼食を摂ろうと予定していたので、朝から動いていたtokyoboyは月読別宮近くのバス停で降り立ち
そこから内宮に向かって歩いて、その道中でこちらにもお参りを果たしました
猿田彦さんは天照大神が孫の瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)に高天原から葦原中原を統治するようオーダーされ降り立った(天孫降臨)際、先導役を務めた方
その後、この五十鈴川川上に鎮まり、その子孫が大田氏となったとか。
交通安全、方位除けに霊験あらたか、とのことです
こちらは佐瑠女神社(さるめじんじゃ)。
例の天照大神が天岩戸にお隠れになった際、踊りを踊って誘い出した?天宇受賣命(あめのうずめ)を祀っています
その踊りって日本書紀によれば局部に紐を押し付けたり、結構エロチックなものだったみたいです
猿田彦と夫婦、という説もあるようですね
いずれ、面白いことに国家神道的ヒエラルキーとかと別の扱いを受けて来た神社のようで、内宮真ん前にある面白神社でありました
あ、そうそう…
伊勢神宮でもそうだったのですが、今や”パワースポット”は知られるところみたいで、こちらでもこんな風にある1点に真剣に手を翳す方々が見られました
逆にそんな方々からはパワースポットを信じない人間は軽軽に伊勢や出雲など行くと怪我をするぞ!と言われちゃったりして、まあ凄いもんです^^;
今回訪問した伊勢神宮(総称としての)の中で一番気に入った感を持ったのがこちら。
観光客から遠く離れ、でもしっかりとした神域と並んだ4つの神明造の別宮は”日本の歴史”を思わせる何か、がありました…
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月読宮
記紀では伊弉諾尊の子。”つくよみ”と読み、月を神格化、夜を統べる神。
天照大神の弟で太陽神の反対概念のようです
月読荒御魂宮
どうやら月読宮内にある「荒御魂宮」という読み方が正しいようです←間違っていたら教えて下さいm(_)m
荒御魂は「四魂」の一つ、
時にのぞんで、格別に顕著なご神威をあらわされる御魂のおはたらきを、「荒御魂」とたたえます。
とは伊勢神宮HPの言葉を借用ですが、皇大神宮内にも別宮として置かれていますが、第一の別宮とされていますので、何やら特別なのでしょう…
伊佐奈岐宮
彼は天地開闢、神世七代の最後に生まれ、伊弉冉の兄にして夫(近親婚ですな^^;)。
彼女との間で日本列島の島々やを産み出したばかりでなく、石、海などなど森羅万象の神も造り出した…
先に亡くなった妻を追い求めて黄泉の国に行くが、腐敗した妻の身体に恐れを抱き逃げ出す
そして、その穢れを禊ぐ時様々な神が生まれ、最後に三皇子と呼ばれる、天照大神、月読命(月夜見尊とも表記される)、建素戔嗚尊速が生まれる…
伊佐奈弥宮
同じく伊弉冉(いざなみ)尊を祀った神社。
彼女は、夫との”共同作業”の過程で、火の神を産んだ時陰部を火傷、それが原因で亡くなったが、その後黄泉の国の主宰神となられた…
凄いでしょ
ふーっ、日本創世記、であります
彼らは天照の親ですが、ここでは残念ながら別宮に坐す…
伊弉諾尊は禊を宮崎県宮崎市で行い、その後は「江田大社」、
そして坐すところは滋賀県多賀神社と言われているそうです
伊弉冉尊は黄泉の国、ということで、その入口は島根県松江付近とか…
ここでは製鉄の神とも言われているそうですから、この辺りと”出雲”、が被ってくるような
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最後に…
月読宮境内入ったところ脇にあるこちら
葭原(あしはら)神社で、皇大神宮の末社で16ある末社の第3位だそうです。
この付近は以前は葦(よし)の茂る土地だったから、のようで、祭神は3柱、いずれも田畑、五穀豊穣の神様とのことです