代々木から千駄ヶ谷の方、線路沿いをその先にある美術館目指して歩いていて、ふと目にしたこの建物…
変わらないんですねえ
今回調べると、ここは津田塾大千駄ヶ谷キャンパス
津田塾と言えば一ツ橋大の近く、という認識しか無いtokyoboy。本キャンパスはやはり小平の方らしいですが、都心にも拠点があるのもイメージ大切な女子大ですから重要なのでしょう
で、今回の話題はその昔ここにあった「津田英語会」
創始者津田梅子さんを持ち出すまでもなく、津田と言えば語学、なかんずく英語が有名な訳ですが、40年というかそれ以上前にここには上述の「津田英語会」があって、学生・社会人が英会話を学びに通っていました
今では「津田塾大学オープンスクール」という名称で何らかのクラスが開かれているようです
約40年前の当時、ここ以外にも日米とか色々な語学学校は存在していましたが、tokyoboyを英会話に行こうぜ、と誘った悪友が選んだのはこちら
彼が何故ここを?、は未だに不明ですが、レッスン内容以外に何かしらの”思惑”を持っていたのは恐らく確か
その思惑が外れたのも、これは間違いなく確か^^;
tokyoboyとしても自分としての問題意識は、まあ持っていて、それは高校時代ボロボロだった英語の成績、それに続く大学教養課程での語学の苦戦、を社会人まで引き摺るのは得策ではないであろう、という戦略
当時の認識でも、日本の学校教育における英語は明治以来連綿として培われてきた”英語教育”なるものの結晶にして、英語をコミュニケーションの道具として使う、という観点からは大きく離れている別物、とは思っていたんです
で、まあ、結果から言うと、悪友は1年でこの学校を去り、
私はダラダラ大学4年まで通ってしまった
まあ、そこに副次的狙いとか、諸々も加わったんですけどね
先生(アメリカ人)のお宅にクリスマス時期とかパーティーに招待されて、ハーフのとてつもなく綺麗なお嬢さん(確かモデルもやっていたんじゃないかな)と会うことだったり…
クラス後の呑み会、とかね
ということで、理論的には4年間、週2回夜に通学し(出席率は不問にてお願いします…)た場所にして、社会人になってからの個人的キャリアに大きな影響を与えた、そんなところでありました
それにしてもビジネス・キャリアの半分を海外で過ごすとは、本当にあの時思わなかったよなぁ
私も小5から通っていました
木造校舎も経験しています
鉄筋の方も経験しています
なつかしく拝読いたしました
ご案内かとも思いますが、これ以降こちらの建物はまた変わり、すっかり大学然となってきました。