シモキタのtokyoboy

下北沢に居を構える初老オジのエクスサイズ、呑み歩き、美術館巡りなどの備忘録生活記録ブログ、含む膝蓋骨骨折リハビリ記録。

レストラン万葉 (奈良ロイヤルホテル)

2015-04-17 | 2015春奈良京都

如何にも、のネーミングでありますねえ…

冒頭、奥の方には「せんとくん」が座っております。

 

奈良、大所のホテルの中からツアーに組み込まれたリストを見てこちらを選んだのですが、

名前が良さげ、という理由で申し込んでから調べると所謂観光名所からは離れており、

唯一のメリットは平城京跡まで徒歩圏内。

 

ということで、朝食が付いていないツアープランでしたが、外に出ることも適わず、

また、「茶粥」を食べてみたい気もあって、の選択となりました。

もみうり、胡麻豆腐、 柿なます、大和まなの煮浸し、わらび餅まで、とHPにありますから、こんなところが must なのでしょう。

写真はなかなかのラインアップのブッフェ台の一部紹介。


ホテルへのチェックイン時に朝食が付いていないプランだがどうするか、と聞かれてお願いしたらHPで見た値段から一段安い金額でクーポンをゲット、

喜んで翌朝向かい、このブッフェ台のところから、こんな韓国料理風の皿に選んだものを盛り付けます。

柿なますは見つけられなかったなあ、

「大和まな」はしゃきしゃきした美味しい野菜でしたが、食後こちらのマネージャーに名前の由来を伺っても、”分からない”^^;

子供の頃は”菜っ葉と呼んでた”とのことで、この疑問先送りであります…

 

ご飯類としては、茶粥、ご飯にヤマトイモ、そして何故かカレー(写真無し)

 

ご馳走様でした!

******************************

 

(備忘録)

 

こんな部屋が割り当てられていました…

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

奈良町豆腐庵こんどう

2015-04-16 | 2015春奈良京都

1泊2日の奈良小旅行、

その夕食に何処に行くか、は”見識”すら問われる?訳ですが、

奈良はそれなりに広いし、お店もある中で絞り込みなんて中学生以来のオジには無理な訳で、

平城の頃に思いを馳せて、ベジ系に走ってみたのが事前の決定…

何が”奈良料理”っぽいのかなかなか分からなかったのですが、大和牛とか鶏とか、って少し違うし、海のものもねえ

 

さて、その過程で奈良町という”恐らく作られたかのような奈良のイメージを前面に出した町並み”があると知り、

そこを歩きつつお店を探します。

予約の段階で料理を決めろ、と言われ、

電話で聞いたその中から「湯豆腐定食」を選びました。

その時点でお肉は要らないなあ、と思ったもので。

 

紙のお鍋に入れられた豆乳の下にお豆腐。

そして、元々ちんまりとした料理が殆どなのに、食材の1つ1つまで丁寧に記載されたメニュー。

これを見ながら口に広がる色んな香りを楽しむのがこちらでの楽しみですねえ

 

このメニュー、食材を見る限りで完全な菜食。

色々頂いて、ここに鰹節の”色”が見えたかどうかは不明。

八寸からお願いしたワイン、生麩田楽など…

お分かりか、こちらの凄いところの1つはお酒を冷やす容器(あちらだとワインクーラーに当たるもんですね)が素晴らしいこと。

先ず、陶器が素敵、

そして、そこにさりげなく添えられた嫋やかな枝や、下の写真だと日本酒(秋鹿をお願いしました)を入れたクーラーに添えられたるはガクアジサイの蕾ですのよ、奥様!

 

料亭などで時期の先取り、はよくやられるところですが、それにしてもアジサイがこの時期…

そして料理の方は桜、に山菜、こごみその他と季節色満載で感動させられます。

 

 

などとちまちま頂き、冒頭の湯豆腐、1人1丁に半丁ずつ追加(織り込み済み)もお願い、

いやー、物凄い満腹感。

油ほぼ0、健康的で大満足のディナーとなりました

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ならまち

2015-04-15 | 2015春奈良京都

今回の小旅行を計画するまで、その名前すら知らなかった「ならまち」。

奈良の町、を意味することは明らかなんですが、どんな場所かは想像付かず…

 興福寺から真っ直ぐ南に降りたら、ほどなくそんなエリアに入った、と感じました。

 

 

*********************************************************************

 

 

 

 

 

3枚目は、そんないい加減?な訪問客に色々教えていただいた「情報館」。

こちらで頂いた地図主要部をコピペしました。

同館HPでも見ることが出来ますが、

「ならまち」の全容、ってまあエリア的に大したことありませんが、を知ることが出来ます。

 

で、写真で私がどんなシーンを切り取ったか、というアーカイブ。

このエリアのHPによれば、コピペが出来ないのでダイジェストでお伝えすれば平安京への遷都後、平城京(この跡に行ってそのことが良く分かりました)は寂れた。しかしながらこの付近、外京は東大寺、興福寺など国家鎮護の有力寺院が多く、その街並みを維持でき、特にその1/4、元興寺の旧境内の辺りが奈良町界隈として”町興し”をしている、ということのようです。

 

エリア的には猿沢池から南に向かって伸びる小路の周辺、と実際行って知りました。

元興寺さんには閉門の4時半少し過ぎたところで到達、拝観適わなかったのですが、

こちらも出来ればチェックしたかったですねえ…

 

この「ならまち」、散歩していて特徴的だったのはところどころに吉祥天とかそういった七福神系だと思うのですが、を祭った小さな祠を目にしたこと。

雨が大丈夫なところで写真撮ったのですが、気になったのは真ん中の「身代わり申」。

可愛いでしょ。

「ならまち」、特にこの吉祥堂周辺の家の軒先に下げられていて、小さいの欲しかったのですが丁度お堂が閉まったところでした…

このエリア、観光地化を狙っていると思うのですが、5時には殆どのお店、XX館、が閉まるんですよねえメメ

 

ここで夕食頂いて帰路に着いた8時過ぎには町は真っ暗。

まあ、住宅街だからやむを得ないのでしょうが、それにしても少しやり方はありませんでしょうかね??

 

最後に…

元興寺さんの門前で俄然気になった角打ちのお店。

東京に戻って調べると「小川又兵衛商店 ならまち店」というところで19時までの営業とか。

次の機会があったら、絶対お邪魔したいですねえ…

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

興福寺 含む国宝館

2015-04-14 | 2015春奈良京都

東大寺をゆっくり楽しみ、

奈良の国立博物館の立派、かつ広大な敷地に”国立博物館の年会員”として無料で常設に入ろうかと思いつつ、

その常設のラインアップが入口で分からず、時間もないのでこちらに足を向けたのですが、

雨脚が強くなって、飛び込んだのは当初から予定の国宝館。

真ん中、五重塔の写真をクリックすると、その時の雨粒が確認頂けます^^;

 

元々興福寺の「食堂(じきどう)」だった場所だそうですが、そこが国宝館になったのは1959年。

鉄筋コンクリート耐火式のこちらが修繕中→どうやらこの日も建設中だった中金堂の再建のためだったようです、の2009年東京で多くの国宝群、なかんずく大好きな「阿修羅像」にはお会いしているのですが(企画展はこちら、家のどこかにある阿修羅像のピンはこちら)、

更には2013年にこの日もいらした巨大頭^^;、やレリーフの十二神将などをこれはトーハクでなく藝大美術館で拝見しています。

とは言っても、やはり奈良の地で再会したいもの。

 

この日の白眉は、やはりご本尊「千手観音菩薩像」さま。

この大きさは、やはりこの地で、でありますね。

 

さて、少し小降りになったところで金堂周辺を散策します。

添付は現在建設中の中金堂工事の様子の紹介パンフ。

そして、その現状は、というと…

 

写真のように中金堂は未だ建設中ですが、

従前の遺構跡(柱の土台とか凄く立派です)。

どうやらこの遺構は中門跡の様子。

2018年落慶を目指しているそうです。

 

とその周辺。

最初が東金堂、国宝。

ここへは入場しませんでした。

真ん中が藤原北家に所縁の南円堂、

そして五重塔、730年創建のまま。

この興福寺、寺名は兎も角平城京以前に藤原鎌足が創建、爾来藤原氏庇護の下、平城京遷都の際にこのロケーションに移ったのだとか。

 

 

 

最後に”ここ一押し”の猿沢池(思ったよりずっと小さいものでしたが…)から見た五重塔を。

それにしても猿沢池、って思ったよりずっと小さかったです^^;

 

この時点で雨は小降り、

何とか池の水面も雨粒で乱されること無く、期待した様子、夕景となりました

 

 

 

 

 

折角ですので別アングルと、

奈良町に抜ける小道が側溝、というか興福寺の防御ライン、小さいお堀の気もしますが、にあったお地蔵様群を最後にご紹介。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東大寺

2015-04-13 | 2015春奈良京都

「お水取り」の時期に、少なくとも今年は訪問適いませんでしたが…

実際には、そんな門外漢がその神事を拝見できるところまで行けそうもない、と知ったことも大きかったかな。

となると、必ずしも寒風吹き荒ぶ時に奈良まで足を運ぶこともない^^;

 

などと始めましたが、東大寺さんを1記事でまとめることが出来るかどうか、書きながら考えることにして…

 

先ず冒頭はその二月堂、舞台の上まで登って大仏殿、奈良の街並み、を見下ろしました、の図。

 

 

 奈良は修学旅行以来かな…

出発前は南大門から入って、と考えたのですが、霧雨の振るこの日、今回の旅行メインイベントの春日大社に先ず参拝となって、

春日大社から水谷神社、若草山の麓を回り、

手向山八幡宮を軽く参拝しての法華堂(三月堂)に到着。

左側の写真がそれですが、こちらは東大寺開山以前からの建物。

 

さて、そこから二月堂に上がっていきます。

下から見上げて、

舞台に上がり…

 

「天平の甍」をアップにしたり、舞台からの景色を散々楽しみます。

京都には清水寺がありますが、ここ東大寺二月堂も同じようなコンセプトですね。

街中心から東側にある高台に舞台を設え、

街も含めて見下ろす”絵”を創り出している…

 

そこから、国宝の大仏殿を目指して歩来始めた、の写真。

実際に来てみると、この2月堂を天守閣?にして城郭にも似た構造を東大寺が持っている、と知ります。

”南都の僧兵”は興福寺さんだったでしょうか、でも平家が押し寄せてきたり、ですからこういった仕立てが必要不可欠だったのでしょう。

 

大仏殿に近付きつつ、桜を愛でたり、思いっ切りカメラのアングルを考えます。

大仏殿裏手は絶好のモデルですな

 

 

多くなり過ぎたので、もう3枚は別ラインで。

それにしてもこんなに大仏殿って大きかったのですね…

 

 

************************

 

いよいよ大仏殿に到着、ここは拝観料があるのはやむを得ないところ。

外人観光客もここにはたくさんいて、奈良観光の中心地、と知ります。

 

 添付はそのパンフレット抜粋。

 

 

 

 

 

 

そして、大仏様は…

掃木蓬生さんの小説、「国銅」が思い起こされます。











というハイライのご紹介を先ず終えて…

 

これらが大仏殿周辺。

南大門との間に池もあるんですね… 

 なるべく時節柄の桜と共演をお願いしています。

 

これも、アーカイブまでセレクションなしでの2列目紹介。

  散り始めた桜もこの大仏殿前衛の枝垂れ桜とか未だ大丈夫。

 

 

お堂の中のご紹介。

 分かり辛い2枚目は大仏様の下に置かれた蓮の花の飾りなどのレプリカ。

 その他いずれの仏像も大変大きい。

 

2列目時計回りで出発点にもう直ぐ戻ります、の図。

この大仏様がこの座に鎮座しつつどんな景色、歴史をご覧になって来たか、についてはここでの言を待ちませんよね…

 

 

最後にご紹介は南大門。

わが国最大の山門だそうです。

こちらは天平時代からそのままですか?と聞きたくなるような”素”の様子なのですが、現在の門は鎌倉時代、東大寺を復興した重源上人(ちょうげんしょうにん)が再建したもので、だそうです。

2枚目は門横、仁王像、天平創建期からのものだそうな。

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

水谷神社~若草山~手向山八幡

2015-04-12 | 2015春奈良京都

本記事は春日大社から東大寺に向かう動線上拝見した様子のご紹介。

 

先ず通過したのが水谷神社。

東大寺訪問の4月5日に、こちら水谷神社でお祭りがあるとのことでしたが(鎮花祭)、それはどうやら雨で中止(場所変更?)となったようです。

意外と小さかったこちらは、

 

摂社で聖流水谷川に沿ってお祀りされており、上水谷・中水谷・下水谷の下社に相当し、素盞鳴命様・大巳貴命様・奇稲田姫様を御祭神としています。平安時代から幕末までの神仏習合時代は祇園精舎の守護神で医薬の神として尊崇され、「牛頭天王(ごずてんのう)」とされていました。例祭は4月5日で、通称「水谷神社鎮花祭」として親しまれています。古くより霊験あらたかな神様として名高く、病気平癒や子授けを祈る人が多いお社です。

 

とのこと。

 

さて、恐らくその谷というか木の茂った低地を抜けると目の前に広がるのが有名な若草山。

写真ではっきり見て取れるように、山焼きをする場所なんだなあ、と空気を楽しみます。

そして、鹿さんに周囲の桜。

気持ちの良いエリアでした^^

 

あ、そうそう山に面して旅館や、何故か刃物類のお土産を扱っているお店が多かったです。

 


更に進んで、ふむ、立派な神社がある。

「手向山(たむけやま)八幡宮」、菅原道真も句で詠んだように紅葉の名所とか。

東大寺の鎮守、以前は別の地にあったものを平重衡が焼き討ち、

北条時頼が現在の場所に再建した、と源平の昔にドキドキしながら戻れる地なんですね。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

かすが茶屋  (奈良、大仏殿春日大社前交差点)

2015-04-11 | 2015春奈良京都

東京を出る前の目論みとしては春日大社の境内に入って、

そちらが経営する「春日荷茶屋」さんで茶粥のランチ、だったのですが、

バスが到着したところで急に雨がパラパラ振り出し、

それなら、と飛び込んだのがこちら。

大仏殿春日大社前バス停」、交差点のところです。

 

先に食券を買ってくれと言われ、

背後に待ち人を感じつつ、なかなか千円札を呑みこまない食券器にイライラしながら、

良く見ないでポチしたのが、「柿の葉寿司定食」をきつねうどんで880円也(税込)。

この後で、先にテーブルに座って、”メニューを頂戴”という客には後払い対応していましたから、その辺は如何か、と思ったのですが…

 

大きいお揚げの入ったうどんはなかなかに美味しい。

出来合いを買ってきた柿の葉寿司(鯖X2、サーモンX1)もまあそれほど外れることはありえない。

ということで、まあ結果オーライでありました。

あ、そうそう、その後上述のお茶屋さんの前を通りましたが待ち行列が出来ていましたから、

これまた宜しかったかと。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

佐保川の桜 (奈良)

2015-04-10 | 2015春奈良京都

今回の小旅行、JR奈良線が奈良駅に近付いた時、川並に綺麗な桜並木を目にし、

到着後とりあえずホテルにチェックインしようとホテルの近くまできて、恐らく同じ綺麗な桜並木を川沿いに見て、

チェックイン時にホテルの方のリコメンを伺い、移動の動線に徒歩にてその川並を通る、を入れました。

 

ふむ、ご覧の通りの美しさ。

前日の雨でかなり散っちゃったのは残念でしたが、充分にその姿は楽しめます。

中には蕾の八重桜もありましたから、引き続き楽しめるんじゃないかな。

 

 

翌日、ホテルチェックアウト後乗ったタクシーの運転手さんはこの桜を「川路桜」と呼ぶと説明してくれました。

”三本川の川路さんですね?”と知っていた私も相当なもの。

川路聖謨(としあきら)さんはこのwikiにある写真にも見覚えがありましたが、江戸幕府の役人で日露和親条約の時の交渉役として名前を知りました。

その後も日米和親条約では失敗、井伊直弼大老から排除され、

でも江戸城開城の際に自決を遂げた、ということで”骨のある”幕府役人として私の記憶には刷り込まれています。

 

その彼は奈良奉行でもあったんですねえ…

その時、1846年に植えさせた桜だそうです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

春日大社 第60次 式年造替

2015-04-09 | 2015春奈良京都

2013年、”出雲大社”と”伊勢神宮”双方の異なる遷宮スケジュールがピタリと重なる”遷宮イヤー”に双方訪問したtokyoboyですが、

今年、2015年はというと:

 

神さまがお鎮まりになる神殿や、神さまの御料で御殿の中にお納めをする御神宝などを造り替え、御修繕を行うことによって、御神威のさらに若々しく力強いご発揚を願う、日本人固有の信仰に基づいて行われるものであり、当社では創建以来ほぼ20年毎ご奉仕されてきました。

 

 とのこと。

 

実はこれを知ったのは奈良の異なった目的地へのツアーの広告を日経で見て、これは”安い”と夫婦共に思い、奈良に行ってみようと思い立つには至ったものの、

でも短期入院など諸々があって、結局4月初めがいいなあ、ということになり、

その時点で知った遷宮でありました^^;

 

当初広告で見たバスツアーは、見れば見るほど個人的に皆さんと共同行動は耐え難いよなあ、と思うに至り、

他で結構お安く、基本往復の新幹線その他とホテルだけのツアーを見付けての小旅行となりました。

桜の時期にも重なる期待があったのですが、それは一部でOK、曇り時々雨の2日間だったこともあって、花散りを見ることになったかな。

冒頭写真は本殿前、

次がバス停から鹿苑かな、と参道の様子です。

 

最初の赤い鳥居を潜ると、そこからは結構きつい登りになります。

それにしても、寄進された石燈籠の数たるや半端なかったのですが…

 

上述のように、今回の訪問タイミングは、奈良、春日大社の20年に一度の式年造替(しきねんぞうたい)に合わせて。

2007年、一の鳥居から始まり、来年御本社御本殿の正遷宮までのロングプロジェクトで、

3月27日 仮殿遷座祭(下遷宮)執行 のタイミングで、一時的に神様が仮殿に移られ国宝の本殿、神秘の石「磐座」が公開される、はビッグニュース。


添付はたまたま偶然にトーハクだったと思いますが入手した今回のイベントのパンフレット。

これを事前に読んではいましたが、実際のそれはなかなか紙上だけで把握できるものではありませんでした。


ところで奈良までは、新幹線から京都でJR奈良線に乗り換えとなったのですが、

京都からの車中、周りで日本語話す人殆ど居ませんでした…!?

そして、霧雨が降る中登ったご紹介の参道にも多数の外国人観光客!

ニュースで日本を訪問するインバウンドの外国人観光客の数急増は知られていますし、

銀座なんかであふれる中国の方など”見飽きた”風景になりつつありますが、

京都、奈良は白人観光客も多く、かなりのハイブリッド。


本殿前まで到着した時には本殿特別公開も混んでいるんじゃないか、と危惧していたのですが、

その左側に設われた別入口の方には、参道を上がってきた中ではかなり少数に絞られた日本人が中心で、若干の外国人が混じる位。

拍子抜けするほどあっさりと特別拝観料1,000円也(記念品付き)を支払わせて頂き本殿内に入らせて頂きます。。

左の写真はHPからのイメージです…

 

朱塗りに白壁、如何にものお姿を拝見しながら歩いたのですが、本殿手前に仮殿が造られていて、

そちらでご神体に向けて直接参拝させて頂けたのは望外の喜び。

 

それから本殿を支える柱の間に「磐座」が白い漆喰に塗られて鎮座。

その後、春日造、四棟が横一列、檜皮葺、柱は本朱塗り、の本殿を拝見しました。

貴重な経験となりました。

 

2年前の出雲、伊勢、の式年造替とは規模感は異なっていました。

若草山を後背に敷地的にも限られている、ということはあるのかも知れません。

 

最後に一旦本殿の周囲に出て、4月最初の5日間のみ公開のご神宝を拝見に回ったのですが、

これはまあ、鹿島神宮との関係などを知るにとどまった、としておきましょう。

関東圏に住む身として、時間があったら鹿島神宮や香取神宮にもお参りしなくては、ですね。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする